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ウェブログの心理学

Posted on 3月 22nd, 2005 in 倉庫 by apj

 「ウェブログの心理学」山下・川浦・川上・三浦著(NTT出版)2200円を買った。Web日記の初期の頃からの話が出ている。どういう書かれ方をしているのかという部分の分析が面白い。一回挫折して、懲りずに新システムをいれてまたブログやりはじめたんで、長続きのヒントが欲しくて買った。巻末の「ウェブログの歩き方」が参考になる。
 ただ、これを読んで唐突に思い出したのが「元禄御畳奉行の日記」。ブログもウェブも無かった時代に、大酒飲みの下級武士が日常生活の事件を紙にひたすら書きまくったもの(の解説本)。おかげで元禄時代の世の中の様子がよくわかるわけだが、ブログはこれを国中でやっているということなのか。文明がこのまま継続して、アーカイブが維持できれば、将来の歴史研究は、膨大な一次史料から何を引き出すかという形に様変わりするのかもしれない。

 最初にWWW、というか正確にはブラウザを知ったのが1994年で、博士過程の最終学年だったから、ネットを駆使して資料を作っていた。PDBには本当にお世話になった。というか、ネットが中ったらプレゼンの資料がそろわなくて失敗してたかもしれない。fjとWWWが半々くらいの利用だった。このころから、日記を書く人は書いてたらしいけど、私はあんまり惹かれなかったなあ。
 その後、研究室のワークステーションにこっそりhttpdを入れて遊んでいた。余計な仕事を増やしたくなかったから黙ってたんだけど、とある日、教授がやってきて、「研究室のウェブページを作れ」と言い出した。仕方がないから後輩と一緒に、エディタでhtmlをかしかし書いて作った。その後、1996年になって軽部研を出るとき、管理担当者を決めて更新もやってね、って言ったんだけど、案の定というか、ウェブページはそのまま放置プレイされた。その後、1年以上にわたって「軽部研で研究員やりたいんですけど」ってな海外からの問い合わせメールが、別のところで仕事をしている私に届いた。webmaster宛のメールは、サーバ管理者の私に飛ぶように設定してあったのね。確か2年近く経った頃だと思うが、いい加減頭に来て、藤原博文さんの「呆れたページ」のコーナーにタレこんでみた。勢いよく作ったはいいがその後放置されている、といった、情報発信の趣旨からみて呆れたページへのリンク集があって、タレ込みを募集していたので。そこに載ったら効果覿面で、見た人が先端研の事務に連絡→事務から軽部教授に連絡→軽部教授から何とかせんかい、って業務命令が下る、で、私はめでたく、ネット上の軽部研連絡係から解放された。
 自分のウェブサイトを作るチャンスはいくらでもあったけど、不思議と日記を書こうとは思わなかったなあ、なんてことを考えていたら、ちょっと古い話を思い出したのだった。