そういえばポリシーを示してなかったな
「技術系サラリーマンの交差点」の、「実名ブロガーは「匿名による批判へのポリシー」を示しておいてはどうか」より。 実名vs匿名論争の歴史はfjでもあったが、パソコン通信を知らないので、歴史的にいつ頃から問題になったのかが分からない。
ポリシーの類型としては3通り紹介されているが、ウチは果たして……と考えてみた。んで、今現在の結論は(書いてないけど)、
ダブハン禁止、後は内容で判断。ただしspamは削除。
……我ながらいい加減だな……orz。つか、掲示板と変わらんがな(´・ω・`)。内容で判断、の基準は、向こうの掲示板運用ポリシーに準ずると考えている。細かく言うと、運用ポリシーで判断するのが私、ポリシーに触れない部分(議論の質とか内容とか)について判断するのは不特定多数の訪問者、ということになる。
ただ、実生活でやってることとネットで出してる内容の整合性を保つという部分が生命線であることは確かで、この点では酔うぞさんの意見と一致している。別人格を演出するよりも同じにしておいた方が楽、というのもあるが、同じにしておかないとネットの利点を享受できない上、下手すると勝手に利用されるわけで、むしろ防衛のために同じにしているというのが正直なところである。
ここからは旧ブログのコメントです。
by 酔うぞ at 2006-03-19 05:25:19
Re:そういえばポリシーを示してなかったな
なんだなんだ(^^ゞ
どうして見つかったのよぉ?
by apj at 2006-03-00 06:27:00
Re:そういえばポリシーを示してなかったな
「技術系サラリーマンの交差点」経由ですよ。
この2,3日、分け分からん奴が暴れてるもんで、そういえばポリシー決めてなかったな、と。
でも、結局、一番コストが安くつくもんで「何もしない」に決定。
blog=日記の延長上、だと思うと、匿名論争をやりたくなるのかな。掲示板の延長、だと思うと大して気にならない。黒木さんみたいに、掲示板でもポリシー提示する人もいるから、一概には言えないけど。
by 酔うぞ at 2006-03-00 06:34:00
Re:そういえばポリシーを示してなかったな
ところで「ウェブ進化論」梅田望夫著 ちくま新書 を読了。
その中にブログや実名・匿名問題が出てくるのだが、アメリカの「オレがオレが文化」というか「他人とは違うぜ文化」はブログを実名にしているのに対して、日本では「こんなことは人は知っているだろう、だから黙っている」文化であってそのために匿名あるいはペンネームで発表する。
というのですね。
その上で「ブログで実名で情報発信をしていると、初対面の人にも情報が伝わっていて都合がよい」なんて話でてきます。
これが梅田氏によると「こっち(旧世界)とあっち(未来)」の違いだそうで、こっちとは反オープンソースで情報囲い込み、あっちとはオープンソースであ不特定多数無限大といったところに情報発信してしまうといったことになるのだそうです。
つまり、匿名にどう対するかとは「新世界から旧世界にどう対応するか」という話になるらしいですよ。
by apj at 2006-03-55 19:37:55
Re:そういえばポリシーを示してなかったな
不特定多数に情報発信って、書く側の立場からすると、これまでの出版と何が違うの?と思ってしまうんですよ。
・出版のコストがわずかですむ
・物理的に制約されない流通
・その代わり編集さんの手は入ってないことがほとんど
という特徴があるだけで、本を出すのと変わらない。本だって、ペンネームで出す人も実名で出す人もいたわけだし。
読む側からすると、匿名でやってるサイトでも、読んで楽しいものは楽しいし、実名であってもそれは同じです。ただ、実名でやってると、情報が先に伝わることがあって、便利な場合がある。でもこれは、ネットだから特殊、というのではなく、書店で本を買ったあとで著者に会う、というのと質的な差がない。
ただ、blogでも掲示板でも、情報の双方向性があるから、本を買って読んでわざわざアンケート葉書の限られたスペースにコメントを書いて投函しに行くよりは、ずっと簡単にレスポンスできる。これは従来のメディアと明らかに違うところだし、読者コメントが他の人にも読めるというのも無かったことで、情報共有の範囲かなり広がったというところは新しいと思うんだけど。
ネットは、確かに不特定多数無限大と言っていいほど公開範囲は広いけど、結局興味のある人しか読まないわけで、増刷と在庫を抱える心配がないだけのようにも思います。本だって、図書館に置かれれば、出版部数以上の範囲に公開されちゃうわけだし。
by 酔うぞ at 2006-03-56 19:48:56
Re:そういえばポリシーを示してなかったな
>でもこれは、ネットだから特殊、というのではなく、書店で本を買ったあとで著者に会う、というのと質的な差がない。
これはムリというか少数派でしょう(^_^)
普通は著者に会わないし、会いにも行かないですよ。
わたしはブログなどに書くことは、拡大版の名刺というか自己紹介のようなものという感じかな?
「わたしのことはブログを読んで下さい」なんてので済ませてしまう。
ウェブ進化論の中に面白いと感じたのは「本などで意見を書いている人は圧倒的に少数だから、ネット上のバラつきのある知性の記事であっても、本などで書いている平均以上の知性を量的に圧倒してしまうのは当然だ」のようなところですね。
まぁこの本は全体として「インターネット万歳。旧社会は壊れるぞ」といったところまでしか書いていないので「その先はどうなるの?」については答えがありません。
ただ apj さんの言う「結局興味のある人しか読まないわけで」はちょっとスタティックではないか?と思います。
ソーシャルネットワークの原理は「あいつは自分にとってなんか有用な情報を持ってくるのではないか?」という期待に基づいているわけで、ダイナミックに考えると書き手も読み手も興味のある分野を変化させるということが、出版とは違うネットワークの特徴かな?と思うのです。
こういう観点からはコンメント・トラックバックお断りのブログとか、リンク許可制のサイトなどはネットワークではないな、と思いますね。
確かに情報発信と購読という点は新聞・本などと同じかもしれませんが、ネットワークならではの展開を強くすると新聞や本などとは別物になっていくと思ってます。
by apj at 2006-03-57 20:11:57
Re:そういえばポリシーを示してなかったな
>これはムリというか少数派でしょう(^_^)
>普通は著者に会わないし、会いにも行かないですよ。
ちょっと説明が足りませんでしたね。
>本などで意見を書いている人は圧倒的に少数
であるから、自分がこれから会う人が本を書いていることは滅多にない。ネットの普及によって、「書いた人に会う」ということが、結構頻繁に起きるようになったけど、その1件1件は、「今日会ったこの人の本、1冊持ってる」と質的には変わらないんじゃないか、という意味です。
>書き手も読み手も興味のある分野を変化させる
これが短時間のうちに起きるのが特徴ではないですかね。
従来の出版では、変化が見えないくらいゆっくりだったり、遅すぎるために途中で立ち消え足りしてたものが見えてくるのでは。
by apj at 2006-03-10 20:19:10
Re:そういえばポリシーを示してなかったな
>「あいつは自分にとってなんか有用な情報を持ってくるのではないか?」
マイミクさんに古本屋をやってる方がいまして……。知り合って古本屋だとわかった瞬間、「15年以上にわたって探していたコミックス、そっちにありませんか」と思わず手が勝手にメールしてました^^;)。
「この間漫画喫茶から大量に入荷したので見てみるね」→「発見しますた」となって、交渉成立、まんだらけのプレミア価格の半額くらいでゲットしました。
「これからのおつきあいもあるでしょうから、もうちょっとふっかけてくれてもよかったのよ」「しまった……」なんてやりとりもあったりして。
何でも、マイミクさんと商談成立は2回目だとか。
地理的には離れていて、おそらくネットが無ければ、一生店舗を訪れることなんかなかっただろうなぁ……。
by 酔うぞ at 2006-03-19 21:30:19
Re:そういえばポリシーを示してなかったな
わたしは、やはり本や新聞といった既存メディアの一方通行性に着目しちゃうなぁ。
そういう意味での「著者に会いに行く」と「コメント付ける」は別だろう、という意見です。
遠めがねに書いた
http://youzo.cocolog-nifty.com/data/2006/03/post_c290.html
>大企業ではインターネット上の情報や顧客の意見に極めて大きなコストを掛けて対応して
はトヨタ自動車のことです。
どうも365日24時間体制(?)でお客様相談室のメールを見ているスタッフが居るようで署名付きの返事が戻ってきます。
これはネットワーク利用だと思うのね。
ところが多くは、返事が来ないとかだからこれは熱ワークという仕組みだけを利用しているのだと思う。
と言ってしまうと、実はインターネットを見ているだけの多くの人のことをネットワーク利用していないのか?と思われるでしょうが、YESです。
やはり双方向というのは大きいですよ。
プロジェクトXとかでも「訪ねていった」のような話がゾロゾロ出てくるわけで、情報を受け取っているだけで何も出さないのでは、どうも情報の縮小均衡とでもいった展開にしかならないのだろうな。
そういう意味ではインターネットの現状はちょっ不親切だわ。