松岡農水相自殺
昼過ぎにYahoo!のヘッドラインを見ていたら松岡農水相が自殺を図った記事が出ていて、いろんな意味で驚いた。ナントカ還元水ネタは、現在進行形で一般教育の講義で使っているところだった。
報道通りに心肺停止状態なら厳しいだろうと思って、午後のゼミ終了後にニュースをチェックしたら、死亡とあった。
急だし現職閣僚が、というのは珍しいのでびっくりしたが、本当に引っ掛かった点は別にある。松岡農水相の周囲の金の流れが不透明というのはさんざん出てきていたが、政治家にはそんなことはつきもので、程度の差があるだけで別に珍しくはない。それよりも、今時、政治家の責任の取り方として「自殺」を実行するというセンスの方ににびっくりした。松岡農水相が追求されたり批判されたりしていたのは、すべて「公人」としての部分であって、「私人」としての部分ではなかったと私は理解している。自殺することの倫理的是非はとりあえずおくとして、「私人」の責任の取り方として自殺が有り得たとしても、「公人」の責任の取り方として自殺は有り得ないと思う。そして、私人の責任と公人の責任は別だというのが、(封建社会ではない)近代社会の考え方の基本ではないか。
安倍首相がまずい判断をしたのは、「金の流れが不透明な人物を閣僚にした」「しかも擁護して辞職させなかった」といったことではない。マスコミはそういう報道をしているが、それは政治の技術的な話であり、トレードオフを考えて首相が決めればいいことである。首相の見識が真実足りなかったのは「松岡農水相が、近代社会の基本であるはずの公人と私人の区別ができていない人物であるということを見抜けず閣僚に入れた」という部分ではないかと思う。
個人的には農水相の冥福を祈る。ただ、一般論として「死んで責任をとった」ということを認める風潮が出てこないように、意識して気を付ける必要がある。「公人」の責任の取り方として「自殺」を認める限り、そんな社会は近代社会とは呼べないと考えるからである。
なお、ゲルマニウム還元水のニセ科学批判の立場からすると、高価な水を使って健康に気を配っていても、縊死では何とも仕方がなかろうと思う。「健康」は「心」と「体」の両方が良好で調和がとれているという意味なので……。
還元水の件ではウチの師匠がコメントしたので、農水相自殺の情報をニュースで見て直接たれ込んだ人がいたらしい。私のところにも連絡があった。不透明経理を容認するつもりはないが、たかだか500万円の不正経理疑惑とナントカ還元水程度で自殺するような人には、そもそも危なくて政治は任せられないし、これまでだってやってこれなかっただろう(このあたりは、一般の人とは基準が違うはずなので……)。本当の原因はそのうち報道されるか、ずっと後になって歴史が明らかにするのかもしれない。
ここからは旧ブログのコメントです。
by zorori at 2007-05-37 04:36:37
Re:松岡農水相自殺
私も、びっくりしました。
現代社会では、私人としても自殺と言う責任の取り方は社会的に認められてはいませんね。江戸時代の切腹でもないですから。なので、私人と公人の区別がついていないとか、そういう問題ではなく、通常の精神状態ではなくなっていたというだけのことではないでしょうか。
by 杉山真大 at 2007-05-43 04:45:43
Re:松岡農水相自殺
>「公人」の責任の取り方として「自殺」を認める限り、そんな社会は近代社会とは呼べない
学部時代に経営情報論の授業で新田次郎「八甲田山死の彷徨」を読んだことがあるのですけど、その結末がどうも割り切れなかったんですよね。結局、演習に口を挟んだ挙句一連の惨事を引き起こした大隊長は割腹自殺を遂げるのですけど、それを制止する立場にあった(筈の)師団長や参謀に何か処罰があったんではないんですよね。自殺することによって責任の所在が曖昧になった挙句、その後の日露戦争での消耗戦となったのは、どうも示唆的に思えるのですが・・・・・
by apj at 2007-05-41 04:47:41
Re:松岡農水相自殺
zororiさん、
>私人としても自殺と言う責任の取り方は社会的に認められてはいませんね。
私はこの部分に、一種の傲慢さを感じます。一個人としては死ぬ自由くらい残して欲しい。認めないという人がいたら、私人としては戦うしかないです。
>通常の精神状態ではなくなっていた
本人は確かにそうだったかもしれませんが、私も含めてそうじゃない本人以外の人は、「死んで責任をとった」とつい思ったりしないように用心しないとなぁ、ということです。
by apj at 2007-05-59 04:53:59
Re:松岡農水相自殺
杉山真大さん、
社会制度として、地位と身分と職業と特定個人ががっちり結びついているような場合は、公人としての責任をとれと言われたらハラキリするしかないわけですが、そういうのはとっくに分離しているはずですからねぇ。
zororiさん、
ふと思ったのですが、
>通常の精神状態ではなくなっていた
にしても、私人として追求されたのなら仕方ないかと思いますが、公人として追求されたのなら、やはりおかしい気がします。公人として追求されているのに私人のことだと思いこんだ、というのなら別ですが……。
by 酔うぞ at 2007-05-01 05:12:01
Re:松岡農水相自殺
今日はビックリの連続でありました。
ZARDの坂井泉水の死亡について mixi に書いて出かけたら、コメントに「大臣が自殺」とあるのを携帯電話で読んであわててニュースを見たという次第。
今日は、高校一年生に「個人と社会」を話すということで、出だしから「自分が死んだら世界は存在するのか」なんてレジメに書いてあったので、そのまま出たらどう話を繋げようかと考えつつが学校に入ったのですか、幸いなことにレジメから章タイトルだけを抜き出したプリントが配付されていました。
仮に、農相自殺を高校一年生に話すとなると結構困ったと思いますよ。
政治家には、その程度の立場の斟酌ができような精神的な強さは欲しいと思うところです。
社会と個人のあり方から高校生がするべきこと、いったテーマで話してきました。
(本を読め、自分の興味をあらわにしろ。なんて話です)
あの高校生30人はこのニュースで「この大臣は社会にどう向き合っていたのだろう」と考えてしまうでしょうね。
こんな部分だけでも「悪しき見本」との観点では非難せざるを得ません。
by zorori at 2007-05-03 05:35:03
Re:松岡農水相自殺
>私はこの部分に、一種の傲慢さを感じます。一個人としては死ぬ自由くらい残して欲しい。認めないという人がいたら、私人としては戦うしかないです。
あ、なるほど、安楽死てのもありますね。「認めない」というのが強すぎましたね。「私人としても、死んでまで責任を取る必要は無い」、あるいは「死んだからと言って責任を取ったことにはならない」という程度でしょうか。
>私も含めてそうじゃない本人以外の人は、「死んで責任をとった」とつい思ったりしないように用心しないとなぁ、ということです。
それは、全くその通りだと思います。
>>通常の精神状態ではなくなっていた
にしても、私人として追求されたのなら仕方ないかと思いますが、公人として追求されたのなら、やはりおかしい気がします。公人として追求されているのに私人のことだと思いこんだ、というのなら別ですが……。
すいません、この部分、意味がつかめません。
by apj at 2007-05-47 05:48:47
Re:松岡農水相自殺
zororiさん、
>「認めない」というのが強すぎましたね。「私人としても、死んでまで責任を取る必要は無い」、あるいは「死んだからと言って責任を取ったことにはならない」という程度でしょうか。
それはそうだと思います。私人だから死んで責任をとれ、というのが認められちゃったりしたら、別の意味で困ります。ただ、自殺自体にヒステリックな批判を向けるのもどうかと思うといったところです。
>すいません、この部分、意味がつかめません。
個人の資質の部分も絡んできますし、想像と仮定で書くしかないのでどうしても歯切れが悪くなるのですが……。
公人として責任追及されたとしても、「公人と私人は別」ということがはっきり認識されていたなら、追求されているのはあくまでも「公人」なので、私人としての精神状態に響くというのは考えにくいのではないか。逆に、公私の区別が不完全だったから、公人の部分で追求されたときに、私人としての精神状態がおかしくなったのではないか、と思ったものですから……。
「公私の区別」がはっきりしているのであれば、公人の責任の追及は私人の部分とは独立に行われるし、自他ともにそれを前提に行動するなら、政治家を長く務めるような人が、そうそう簡単に精神的に追い詰められるということにはならないだろう、と思っているんです。ただ、過去のマスコミ対政治家のあり方を見ていると、必ずしも区別が明白でない、というか意図的に公私を混ぜようとする誘導が行われていたようにも見えるので、気になっています。
もちろん、政治家だって生身の人間ですから、ある時期を境に心が病気になることだってあるでしょうけれども。
by nomad at 2007-05-30 06:34:30
Re:松岡農水相自殺
生きていても死んでいても「不透明経理」は不透明経理であって責任はついてまわるんですけどね。
公人は死なない。責任が全うされるまでは。
by 田部勝也 at 2007-05-39 07:18:39
Re:松岡農水相自殺
早速、石原慎太郎都知事が、「死をもって償ったという意味では、彼も侍だった」といったようなコメントをしているようですね。大変そら恐ろしい気持ちにさせられました。今回は、死によって、多大な混乱と迷惑を撒き散らして自分だけ逃げた──という状況になってきているように、素人目には見えるのですけど……。「償った」という感覚なのか……。
>apj氏「公人として責任追及されたとしても、「公人と私人は別」ということがはっきり認識されていたなら、(後略)」
ニセ科学の論争で、仮説を否定しているに過ぎないのに、自分の全人格を否定されたかのごとくムキになる人というのは、たくさんいますよね(自分もあまり人の事は言えませんけど(苦笑))。
政治家(特に、そのイスに執着し、辞任を徹底的に拒否するような政治家)は、政治家としての自分がすべてで、政治家という立場を切り離した自分というものなど、およそ想像さえできない状態にあるとしても、私は特には驚かないと思います。
by zorori at 2007-05-29 16:39:29
Re:松岡農水相自殺
> 公人として責任追及されたとしても、「公人と私人は別」ということがはっきり認識されていたなら、追求されているのはあくまでも「公人」なので、私人としての精神状態に響くというのは考えにくいのではないか。逆に、公私の区別が不完全だったから、公人の部分で追求されたときに、私人としての精神状態がおかしくなったのではないか、と思ったものですから……。
説明いただき、ありがとうございます。
分かるような気もするのですが、人格は一つなので公人としてであれ、私人としてであれ、ストレスがダメージを与える精神状態は一つしかないような気がします。理性的な部分では、ある程度公私の分離は可能だと思うのですが、情緒面では難しいのではないでしょうか。政治家たるものは、夫婦喧嘩が仕事に影響するようでは困るのですが、皆無にはできませんし。完全に分離ができるとしたら、病的な多重人格障害かもしれません。多重人格はストレスからの防衛反応でもあるようですから。
ちょっと違うかもしれませんが、政治家には肉体的頑強さも必要ですね。激務で簡単に体調を崩し政務が滞るようでは政治家として困ります。一方で、個人的趣味のゴルフなら、体を壊すほど満喫したいと思うことは勝手です。しかし、体は一つなので、分離することは不可能ですね。
えーと書いているうちに、apjさんのおっしゃることも分かるような気がしてきました。公私の区別をきちんとつけることは、精神的にも良いのは確かですね。その点で、政治家という職業は公私の区別が無いというか、ほとんどが公という厳しい仕事という気もします。
by rna at 2007-05-42 16:43:42
Re:松岡農水相自殺
あくまで一般論ですが、この手の自殺は証拠隠滅、つまり身内や世話になった人に累が及ばないようにするのが目的で、責任というのはそういう人たち(自分が生きてると迷惑がかかる人たち)に対してであって、国民に対してではないと思います。だとすれば公私はしっかり区別してるのです。公のことなんて考えてないという意味で。
by apj at 2007-05-05 21:54:05
Re:松岡農水相自殺
田部勝也さん、
>石原慎太郎都知事が、「死をもって償ったという意味では、彼も侍だった」といったようなコメント
作家や文学青年がこういう情緒的なことを言うのなら、それはそれで仕方がないのですが、都知事という公職にある人の言うことではないでしょう。publicという概念をまともに持っていないということをさらけ出しているわけで。恐ろしいというよりも、無知、恥といったところではないかと。
zororiさん、
>政治家という職業は公私の区別が無いというか、ほとんどが公という厳しい仕事
誰にでも門戸は開かれているけど、誰にでもできる仕事ではないということです。
rnaさん、
>だとすれば公私はしっかり区別してるのです。公のことなんて考えてないという意味で。
すると、首相の責任は、「公のことなんて考えない」人物を閣僚に任命したという部分にあるということになりますね。
by 通りすがり at 2007-05-42 04:25:42
Re:松岡農水相自殺
rnaさん
今までの状況から見れば、自殺して証拠隠滅するほど追い込まれていないでしょう。
一般論としては、2つの意見の葛藤があって、どちらも選択できないときに、第3の選択として死を選ぶということが普通だと思います。
公的(大臣、衆議院議員、自民党党員)としては疑惑を明らかにしたほうが良い=良心
私的、疑惑を明らかにすることで迷惑をかける人がいる(身内、世話になった人、自民党?、派閥?)から、疑惑は明らかに出来ない=欲望
公と私、良心と欲望、義理と人情というような構図です。
apjさん
首相の責任は、多々あろうと思いますが
「疑惑を受けるような行為をしている」人物を閣僚に任命したという部分と
「疑惑を明らかにするように明確に指示しなかった」
にあることは間違いないと思います
「公のことなんて考えない」人物であれば自殺はしないでしょう
by 越後屋遼 at 2007-05-57 04:55:57
Re:松岡農水相自殺
>「公のことなんて考えない」人物であれば自殺はしないでしょう
・・・なんで?これ、おかしくない?
結果的にはそうだった、という話ならわかるけど。
まぁひとつ言えるのは、松岡って人は「しょいこんじゃうタイプ」だったんだろうな、ということ。
それと、お母さんがかわいそう。
何はともあれ疑惑は追及すべし。
by 田部勝也 at 2007-05-34 06:29:34
Re:松岡農水相自殺
>apj氏「作家や文学青年がこういう情緒的なことを言うのなら、それはそれで仕方がないのですが、都知事という公職にある人の言うことではないでしょう。publicという概念をまともに持っていないということをさらけ出しているわけで。恐ろしいというよりも、無知、恥といったところではないかと」
そういう無知・恥な人が都知事という公職に就いているという事に、そら恐ろしい気持ちにさせられたという事です。仮に、都知事が都政を私物化し、都財政を破綻させたとしても、自殺する事で罪が償われる、潔い侍として後世に記憶される──などと考えるような潜在的可能性を有しているのだとしたら、私にはとても恐ろしい事のように感じます。
そう言う意味では、apj氏がエントリに書いた「ただ、一般論として「死んで責任をとった」ということを認める風潮が出てこないように、意識して気を付ける必要がある。「公人」の責任の取り方として「自殺」を認める限り、そんな社会は近代社会とは呼べないと考えるからである」という主張に、全面的に同意します。
松岡利勝前農相の遺書には、「自分の身命を持って責任とお詫びに代えさせていただきます」といったような主旨の事が書かれていたそうですけど、こんなふざけた言い分に少しでも共感するような価値観を持つ社会は、個人的にはとても嫌です。
by じょん at 2007-05-49 08:16:49
Re:松岡農水相自殺
私も石原都知事の「死をもって償った」というコメントにもの凄い違和感を覚えました。「償う」という言葉を手元の辞書(岩波国語辞典第三版/1981年(古いぞ))によると
1として損失を補うの意
2金品や労力を提供し、または何かの方法で罪やあやまちの埋め合わせをする。
と書かれています。
「死」は何かの方法かもしれないけれど、少なくとも石原氏が自殺を知った時点では、罪やあやまちは本人や関係者が真実を語っていなく、また客観的な証拠が出ていない以上、疑惑でしかないと思うのですよ(勿論、何らかの真実を知っていたという可能性は否定できませんが)。それを、「死をもって償った」と断言してしまうセンス・・・(ただ、私はテレビで石原コメントを聞いたのですが、実は例えば「もし、松岡さんにかけられている疑惑が真実ならば」というようなことを言っていて、それをあえて編集しているのならテレビ局の姿勢も疑わざるをえませんが)
そういう点からも、田部さんの仰る
> そういう無知・恥な人が都知事という公職に就いているという事に、そら恐ろしい気持ちにさせられたという事です。
に強く同意します。8年前、まだ都民だった時に投票なんてしなければよかった。
by エディ at 2007-05-04 08:24:04
Re:松岡農水相自殺
自殺は「究極の現実逃避」ですよね。
by apj at 2007-05-07 08:33:07
Re:松岡農水相自殺
エディさん、
そうすると、遺書の内容としては、「責任とお詫びにかえさせていただきます」ではなく「もう耐えられないので全力で逃げさせていただきます」が正しいということですね……。確かに、後の方なら、情けない雰囲気は漂ってくるが違和感は無いなぁ。
by mal at 2007-05-29 17:56:29
Re:松岡農水相自殺
政治家は(とくに自民党は)世襲化が激しいので、スキャンダル政治家が自分の子供に地位を残し、かつ、継がせるには、自殺はよい方法なんだろうなと思う。(ただし、握りつぶすという技が使えない場合です)
洗いざらい白状しちゃったら、その家系の政治生命は絶たれるだろうし、白状しないと、やっぱり家系に傷がつく。
昔は、緊急入院で同じ効果を得ていたけど、それがエスカレートしているのだと思う。今後はもっと増えるんじゃないかな。
by SC at 2007-05-12 18:57:12
Re:松岡農水相自殺
死をもって償った・・・・・・という考え方は、社会から死によって切り離された、故に、それでこの話は終わりにしよう、なぜなら、もうアイツはこちらの社会とは関係なくなったのだから・・・・ということでしょう。
これを一言で表現すれば「関係性の切断」ですが、こうした論理は、不祥事における自殺だけでなく、イラク人質事件の際には、自己責任論、という形態で表出しています。
たぶん、日本はいまだ中世なんです。それに気づいている人は、たまらんな、と感じている。そういうことだと思います。
by tori at 2007-05-22 21:02:22
Re:松岡農水相自殺
>石原慎太郎都知事の「死をもって償ったという意味では、彼も侍だった」
>というコメント
をいいように解釈してやると
「彼は近代的な知性を持ち合わせることがついぞなかった人物であった」
ということになるのでしょうか。
#もちろん、本人の意図は全然違うところにあるでしょうが。
by apj at 2007-05-22 21:14:22
Re:松岡農水相自殺
>洗いざらい白状しちゃったら、その家系の政治生命は絶たれるだろうし、白状しないと、やっぱり家系に傷がつく。
「じゃあ、政治家やってる途中で平気で職務を投げ出したヤツの居る家系」ということで、当分身内から政治家が出てこれない程度に叩けばいいのか……。
#中世ならそれでも仕方がないわな。
by zorori at 2007-05-51 21:56:51
Re:松岡農水相自殺
石原都知事みたいな人もいて、私の政界への認識が甘いのかもしれませんが、「死をもって償う」などという時代錯誤は、どうも現実感がありません。
そこで、うがった見方なのですが、嫌がらせの自殺みたいなことを考えてしまいます。やじ馬的発想では、自殺したのは巨悪の黒幕がいて、洗いざらい白状できなくて、追い詰められたのではなどと想像したりします。自殺は黒幕への当てつけ見たいな意味があるわけです。普通に考えれば、当てつけには、自殺より黒幕が困る真実をばらしたほうが効果的なのですが、追い詰められるとそう言う判断もできません。というか、黒幕に反抗することは考えられない精神状態になっていて、自殺のほうが敷居が低くなっているわけです。
いじめ問題でも、子供が打ち明けることができなくて自殺したりしますが、少なくとも何かを償うつもりは無いはずです。ところが、遺書には「僕が弱かったから」というような自分を責める言葉があったりします。なんだか「私の不徳の致すところ」と似ていませんか。
by 田部勝也 at 2007-06-51 07:05:51
Re:松岡農水相自殺
>じょん氏「少なくとも石原氏が自殺を知った時点では、罪やあやまちは本人や関係者が真実を語っていなく、また客観的な証拠が出ていない以上、疑惑でしかないと思うのですよ」
申し訳ありません。先の石原慎太郎都知事のコメントは、「私はこの件については何も知りませんよ。知りませんけど……」といったような前置きがあったと記憶しています。それでもなお、私は、石原慎太郎都知事の発言には、違和感を拭えません。
by 酔うぞ at 2007-06-10 19:19:10
Re:松岡農水相自殺
こういう時のお約束というべきですが、こんな記事が出てます。
http://www.nikkeibp.co.jp/style/biz/feature/tachibana/media/070531_tentosen/