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ニセ科学批判はレッテル貼りではなくレッテル剥がし

Posted on 8月 27th, 2007 in 倉庫 by apj

 技術系サラリーマンの交差点:「ニセ科学」関連・最終記事より。ニセ科学批判をすることは、批判した相手に「ニセ科学」というレッテルを貼ることではないかという議論があった(まあ、他でも時々あるが)。
 で、多分それは違う。ニセ科学については「科学を装うが、科学でないもの」をそう呼んでいる。ということは、まず先に「科学でない」あるいは「まだ科学に入っていない」モノに対して、誰かが先に「科学である」というレッテルを貼ったという現実があるわけで、これがニセ科学批判の大前提である。もし、「科学でない」あるいは「まだ科学に入っていない」モノが、「科学である」レッテルを貼られずにそのまま置いてあるなら、わざわざしゃしゃり出てニセ科学だと指摘する意味はない。ニセ科学を批判するという行為は、既に貼ってある間違った「科学である」レッテルを剥がす行為か、あるいは「このレッテルは間違い」というレッテルを上に貼り付ける行為か、いずれかでしかない。
 いずれにしても、「先に間違ったレッテルが貼ってある」ところが出発点になる。


ここからは旧ブログのコメントです。


by 宮内 at 2007-08-38 07:08:38
Re:ニセ科学批判はレッテル貼りではなくレッテル剥がし

なるほど。
ニセのレッテルをはがすわけですね。


by apj at 2007-08-42 08:14:42
Re:ニセ科学批判はレッテル貼りではなくレッテル剥がし

宮内さん
 そうです。「誰だ最初にこんなの貼ったヤツは……」とぼやきながらやる作業(笑)。


by 酔うぞ at 2007-08-53 09:01:53
Re:ニセ科学批判はレッテル貼りではなくレッテル剥がし

レッテル剥がしなら大変に具体的とイメージできるのですが、なんで一般論で問題になったのかな?
学会が全体として「ニセ科学は許せない」とか言っちゃまずいということなんですかねぇ?

具体的な問題
それの及ぼす被害

の二つが揃ったら「剥がしにか掛かる」ということになるのでしょうかね?


by (ぱ) at 2007-08-04 10:20:04
Re:ニセ科学批判はレッテル貼りではなくレッテル剥がし

その理屈からすると、
「水からの伝言はファンタジーです」
とか言われてしまうと批判できなくなってしまうのでは。


by apj at 2007-08-01 10:27:01
Re:ニセ科学批判はレッテル貼りではなくレッテル剥がし

(ぱ)さん、
>「水からの伝言はファンタジーです」
 これ*だけ*に徹してくれるならいいんですよ。実験したりしていかにも科学っぽく見せかけたりしなければ。
「科学である」レッテルを貼ることには、科学だという勘違いを誘発させる行動をとることも含まれますから。


by (ぱ) at 2007-08-08 10:05:08
Re:ニセ科学批判はレッテル貼りではなくレッテル剥がし

 >実験したりしていかにも科学っぽく見せかけたりしなければ。

 うーん、「いかにも科学っぽく」という時点で、「ラベル貼り」という言葉が恣意的に使えるようになってしまっている気がします。
 私が言いたかったのは、「ラベル貼り」とか「ラベル剥がし」とか比喩的な言明(これ自体「ラベル貼り」かも)を言い合っても不毛でしょ、ということなんですけれども。
 「危険物」や「毒」にラベルを貼るのは別に悪いことではないでしょうから。


by TAKESAN at 2007-08-03 11:28:03
Re:ニセ科学批判はレッテル貼りではなくレッテル剥がし

今晩は。

あれ、(ぱ)さん、津村さんのエントリー、読まれたんですよね?
そもそも、使われていたのは「レッテル」ですし(「レッテル」と「ラベル」じゃ、語感が違うと思うのですが、どうでしょう)、それを津村さんは、結構ネガティブな意味で用いたのですよね。

で、apjさんは、敢えて同じ喩えを使って、実際のニセ科学批判はこういうものだ、というのを示された、のだと理解しています。

全然不毛じゃ無いと思いますよ。


by (ぱ) at 2007-08-18 11:57:18
Re:ニセ科学批判はレッテル貼りではなくレッテル剥がし

津村さんのエントリーは、最後のものについては読んでます(コメントは一部流し読みになってしまいましたが)。
「レッテル」と「ラベル」は書き間違いました。すみません。
んで、津村さんがそれをネガティブな意味で用いたのはわかってますが、その根拠がいまいちはっきりしないので、何も同じたとえで返すこともないのでは、と思ったのですけど。

「批判されるべきなのに運良く対象にならないものが発生するのは不公平」というのは、コメント欄でも指摘されていますが、別段問題ではないと思います。
「聴きにきた人たちは「科学的な態度」を修得するよりも「これがニセ科学」という判定を聞きに来たように思われます」というのも… そこに留まってしまえば問題かもしれませんが、実例なしで科学的な態度を習得できるほど、一般人はアタマよくないですわ(私を含めて)


by 温泉カワセミ at 2007-08-04 12:10:04
Re:ニセ科学批判はレッテル貼りではなくレッテル剥がし

(ぱ)さん、

>「水からの伝言はファンタジーです」
>とか言われてしまうと批判できなくなってしまうのでは。

科学って言うのは、ある意味、自然界の原理・現象などを客観的かつ普遍的な整理を行う行為ですから、『科学』と言う言葉を使っていなくても、『客観的・普遍的な事実・事象』は科学の範疇になるのですよ。

その意味で、江本氏が最初っから『水からの伝言はファンタジーです』とだけ言い切っていたのなら、別に疑似科学として批難される謂われがないのは仰る通りだと思うです。ファンタジーとしての出来に関する批評は構わんと思いますけどね。

しかしながら、かのヒトは科学者から、そんな実験に意味はないとつっこまれ倒してから、苦し紛れに『ファンタジー』と言う言葉で逃げただけなんで、これだけでは免罪符にはなり難いです。

加えて、あのAERAのインタビュー記事でもあったように、ファンタジーと言ったそのすぐ後に『今後、周りの研究者によって科学的に証明されていくと思う』と、『科学の検証に載る』べき『客観的事実』であると、明言しないまでも、ハッキリと主張しているのですから、この場合にはナンボでも疑似科学として批判出来るのです。

apjさんの仰る『いかにも科学っぽく』と言うのは、おそらくこういうコトも含んでいると思いますよ。


by apj at 2007-08-14 01:41:14
Re:ニセ科学批判はレッテル貼りではなくレッテル剥がし

(ぱ)さん、
 レッテルとラベルは、私も最初書き間違えていて、エントリーを直しました。

 まあ、レッテル貼り論争は不毛であることは確かです。でも、「レッテル貼り」という言葉から安易にイメージされるであろうナニモノカがあることもまた確かなので、それならば同じレベルで「違う、貼るんじゃない、剥がすんだ」と言ってみてもいいんじゃないか、その方がはっきりするんじゃないかと思ったんですね。


by rmiya at 2007-08-04 03:00:04
Re:ニセ科学批判はレッテル貼りではなくレッテル剥がし

ええと、「『ニセ科学批判』批判」な人たちは、『ニセ科学批判』のことを、(1)何かモノゴトがあったとして、初めは真贋の評価はついていない価値中立で、(2)そこに『ニセ科学批判』の人が本物とかニセ物とかのレッテルを貼り付けている、と考えているのではないでしょうか。

だから彼らは、『ニセ科学批判』の人に、おまえは真贋を評価する立場にあるのかと、「『ニセ科学批判』批判」するのではないかと。

そこで apj さんが、そもそも(1)が間違っていて、(1')ニセ科学な人は、そのモノゴトに科学を装ったレッテルを貼り付けていて、(2')だから『ニセ科学批判』はそれを剥がしているのだと。そういう喩えを言ったのでしょう。

ポイントは、同じ喩えを用いているように見えても、(2)の“貼る”を“剥がす”に置き換えることで、(1)の認識の誤りの指摘を意図しているということではないでしょうか。


by ながぴい at 2007-09-02 08:28:02
Re:ニセ科学批判はレッテル貼りではなくレッテル剥がし

わし、この騒動見てて思ったんやけど、
「ニセ科学」と言う言葉の「ニセ」の部分の印象がちと強すぎて、
あらぬ誤解を引き起こすこともあるんとちゃうかね?と思た。

「ニセ」の対極にあるものは、「ホンモノ」であって、
この2つに分化させることが「ニセ科学批判」だと思われちゃうことがあるのでは?

わしゃ最近は「ニセ科学」という言葉より、「インチキ科学」という言葉をよく使う。
そのほうがなんかインチキっぽいから。(笑)

「ニセ」よりも「インチキ」のほうが印象が弱いんで、
「さあ、じゃあこれのどこがインチキか、みんなで考えてみよ~」
ということにつながるんじゃないかな?と考えています。