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演示実験ではわからない

Posted on 11月 29th, 2007 in 未分類 by apj

 直前のエントリ知識の絶対量も問題ではで、「考えるといっても、それには経験が必要では。知識が少ない状態で考えても、トンデモに突っ込んで玉砕するだけのような気がするが……。」と簡単にコメントした。これについて、亀@渋研Xさんのところや、酔うぞさんのところでいろいろコメントが出ている。私がコメントを書いた時は、報道中の「考える力が身に付いていない」という論評について、考える力がないのではなく考える基礎になる知識や経験がない可能性もあるだろう、そもそも知識や経験が少なすぎて身動きが取れないという可能性を除外すべきでもないよなぁ、と思い、でも昨日はいろいろ忙しかったので、簡単なコメントにしてしまった。今日は少し考えてみる。

 もともと、小中学校でやる「実験」は、既にわかっている自然現象を見せるための演示実験で、未知のことがらを確定させるための方法論はほとんど学ばない。教科書で先に正しい知識を学び、それが本当であることを確認しましょう、という形で実験が示され、やってみて、確かに教科書に書かれていることを裏付ける結果をだして終わる。結果が教科書通りにならないと、実験を失敗したという結論になるだけである。実験セットも最初から決まっているから、失敗はめったに起きないし(初心者でも大抵が成功するように演示実験は作られている)、考察する余地も少ない。「予想してから実験しましょう。実験が終わったら考察しましょう」とあるが、予想は教科書に出ているし、考察は「教科書通りでした」で終わってしまう。優秀な理科の先生にかかれば、意外な結果になる実験をしたり、深い考察にまで生徒を導けるかもしれないが、そういう先生が多いとは思えない。
 さらに、その演示実験は試験の材料になる。試験対策としては、その演示実験でありがちな間違いを覚えておけば良いということになる。
 こんなことをしているものだから、大学では、学生実験で教科書通りの結果が出ないと「自然現象が間違っています」と平気で言う学生が出てきたりする。

 本来は、これまでの知識の積み重ねがあり、一方に分からないことがあって、手持ちの知識を使ってわからないことをわかるようにするにはどうするか、ということからやるべき実験を決める。その後、試行錯誤することになるのだが、実験での試行錯誤の仕方を実際に学ぶのは、大抵の場合、理系の大学に入って卒業研究をする頃になる。なお、大学の学生実験では、教科書通りにやったってそんなにキレイなデータは出ないんだということや、ちょっと操作が複雑になると人間のミスは無視できない要素だ、ということを体験し、レポートの書き方を学ぶ。レポートのどんな目的でどういう実験をしたかという部分は、最初から決まっているので、テキストの丸写しになったりする。
 実験の結果を考察するというのは、実は結構大変で、実験のデザインが悪いと結果が出ても考察のしようがなかったりする。実験のデザインを決めるには、蓄積された知識が必要である。

 演示実験では、知らないことをどうやって確定させるかということはやらない。そもそもそういう目的のものではない。その代わり、既にわかっていることをどうやって確かめるかということをやる。「観察や実験が好き」「どちらかと言えば好き」の「実験」とは、演示実験のことだろう。演示実験を科学の実験だと思ってトレーニングを続ければ、「考えが正しいか調べるため、観察や実験の方法を自分で考える」「予想と異なった時に原因を調べようとする」余地が少ないことを経験で学ぶから、中学生の方がそのように考えないのはある意味当たり前である。「やってみた」「こうなりました」で終わってしまう。演示実験は、わかりやすい分、そこから考察をたくさんするというのは難しいのではないか。

 思考力が先か知識が先かという問いは無意味で、両方必要だということについては、渋研Xさんの意見に同じである。


ここからは旧ブログのコメントです。


by 亀@渋研X at 2007-11-34 10:17:34
Re:演示実験ではわからない

新エントリとトラックバックありがとうございます(本文は、ソースを表示して読みました。Aタグにおかしなところは見当たらないのに、なんで表示されないんでしょうね?)。
まったく念頭にない観点でしたが、腑に落ちました。「小中学校の実験は、実はほとんどデモンストレーションだ」ということ自体は、以前きくちくんに教わっていたのですが、日頃親しんでいない区別だからか、忘れてしまっていました。それでは「実験でなにかを確認する」とか「結果を予想する」と言っても、経験を積むとか思考力を培うといったことには結びつきようもないですね。
また、横レスですが、酔うぞさんのエントリも拝見して、中学の授業ではむしろ思考力を奪うというのもありそうなことと思います。我が家には公立校に通う中3と中1がいるので、なおさらそう思うのかもしれません。


by 亀@渋研X at 2007-11-09 10:34:09
Re:演示実験ではわからない

タグのおかしなところがわかりました。酔うぞさんの記事へのリンクのオプション「_blank」の後に”が抜けています。


by tree at 2007-11-29 11:15:29
Re:演示実験ではわからない

いつもひそかに拝見させていただいております。
亀@渋研Xさんのご指摘どおり、「”」が抜けてますね(手打ちなんですか!?)。

このエントリを読んだとき、なんとなく、「テーマ潰れてしもたがな」を思い出してしまいました。


by 酔うぞ at 2007-11-59 17:23:59
Re:演示実験ではわからない

現在では高校は全入になってしまってますが、どこの高校も「我が校は全入です」とは言わない。

全入だといった瞬間に、受験者数が減るからだという説明です。
つまり生徒が逃げるということですね。

そういうものか?と思っていたら、結果として「校風」が強くなってきたようです。
複数の高校に行っているのですが、意外なほど校風があって「乱暴な表現をする生徒が多いが実は人当たりがよい」とか「とにかくおとなしいよい子ばっかり」といった具合です。

その理由が、どうも「自分にあった学校に受験生が寄ってしまうから」ということあるようで、学校のランキングが偏差値そのものになって、かつ固定してしまう、といったことと同列に「校風(カラー)も固定化している」ようです。

ここで問題になるのが「社会の多様性」を全く経験しないで高校を卒業する生徒が大量生産されていることで、成績もさることながら「高校生活」とか「校風」「学校の年中行事」といったものにもっと注目するべきでしょうし、大人は学校の方向性とは違う世界を積極的に見せる、経験させることが非常に重要だと思います。

生の「人」としては、小学生も高校生も数十年前と変わっていないと思います。
それが、ちょっと見た目には「近頃の子どもは分からない」になっているのですから、化けの皮をかぶっているのか化粧をしているか分かりませんが、生徒達は「生の声を発する」=「個性の発露」を経験していないようなのです。

だから、議論が出来ないのは当たり前で、議論以前に相談が出来ない。
「なんでも良いから質問」なんて問いかけると何も言わない。

こんなまま社会人になってしまうと、困るのは社会の方なんですよ。
高校生に関わるようになった頃は「キャリア教育が不足している」と思って「何かを足せばよい」という、いわば「栄養補給」のような考え方をしていましたが、最近では「何が違う」と感じて「体質改善」のようなことが重要じゃないのか?と思い始めています。


by apj at 2007-11-57 20:36:57
Re:演示実験ではわからない

亀@渋研Xさん、
 以前、投稿したけどエントリが消えてしまったことがあって、手元にも保存するようにしています。昨日は、保存用のツールの方で編集したため、タグが直打ちになってしまい、間違えたようです。直しました。
 見苦しいことになっててすみません。ソースのチェック、有り難うございました。


by ドラゴン at 2007-11-04 22:37:04
Re:演示実験ではわからない

私も知識か考える力かという二元論には反対です。どちらも重要でしょう。

この問題については左巻先生の指摘も重要だと思います。
http://www.doblog.com/weblog/myblog/32167/2621429#2621429
>現在の学習指導要領では、溶けても質量保存は小学校5年で学習して終わりです。ですから学んだばかりの小学生が正答率が高いのです。
ということは、ただ覚えただけの知識ということで、簡単に忘れてしまうような知識だったということでしょう。

酔うぞさんの考えにも近いんですが、知識量だけ重視してきたということもあると思います。
学力調査結果でも知識を問うような問題の結果は良いんですが、応用できない、説明できないということが課題として出ています(この結果でもそうなんですが)。
佐伯胖氏が「覚えたことは忘れるが理解したことは忘れない。例えば、地球が丸いことを理解すれば、それは忘れようがない」と指摘されていましたが、求められる知識はそのような理解された知識なんでしょう。もしくは実感された知識とか。そこに考える力が要求されるのでしょう。
つまり知識の量だけじゃなく、質が求められているのだと思います。

総合的な学習で求められたのも従来バラバラだった知識の総合化という側面もありました。理科の知識と社会科の知識を総合して環境問題に取り組むなどでしょうか。

今、文部科学省の進めている新教育課程のキーワードに「知識」と「活用」というのがあります。学習で得た知識を活用して新しい問題に取り組むとか、生活に活かすとか、そういうことが求められているようです。


by rmiya at 2007-11-23 01:10:23
Re:演示実験ではわからない

> 大学の学生実験では

学生実験のレポートの考察によく見られる記述の事例報告ということで。

テキストどおりにスムーズにできてよかった; (文献値と比べて) 誤差が小さくてよかった; etc.

なんか, 誤解の山盛りのような気が……


by しもふり at 2007-11-08 11:05:08
Re:演示実験ではわからない

小学校の理科の実験で感じていた違和感が、このエントリで具体的になりました。
小学校の理科の実験で、担任は「予想」を立てさせるヒトだったのですが、当時の私にはこれが違和感バリバリで。

たとえば、植物で「根から吸収した水はどこから出て行くのか」という実験で、葉をビニールで覆って蒸散を見るというやつがありましたね。
あの実験での予想は、「葉から出て行く」「根に戻る」などがありうるわけですが、みんな教科書のちょっと先を呼んでから予想するので、「葉から出て行く」という「正しい予想」をするわけです。私は天邪鬼なので「根に戻る」派に与したりしてましたが(超少数派)、結局あの「予想」に意味なんて無かったわけですね。ううむ。

実験結果を「予想」させる意義というのが、初等教育ではどのくらいの意味があるのかとかねてから思っていたのですが、結局は教師の力量次第ですか・・・

基礎知識の伝授と、予測を立てて観測しその結果を考察する力を養うというのは、義務教育あたりの段階では分けて考えないと、いい悪いというよりは、教師の力量を超えてしまうというのがありそうな気がしますが、実際はどうなんでしょう。


by ドラゴン at 2007-11-39 19:09:39
Re:演示実験ではわからない

しもふりさん

ご指摘の点は、やはり教師の力量だと思います。
お書きになられたものを見ても、予想をどう活かしているかが分かりません。
子どもに予想させる→それを無視して教師主導の実験 では、予想させることの意味が分かりません。

理科は門外漢なんですが、力量のある教師は、誤答を活かします。その予想からその子どもの知識や認識の度合いも測れるはずです。予想から知識の少ない子どもには、補充してやるとかも大事でしょう。
「根に戻る」派が、どうしてそう考えるようになったのか、どうすれば納得できるのかをうまく活用すれば、より深い理解ができると思います。

算数の学習でもよくあることですが、授業の手順を踏んでいけばできるんだと考える教師もたくさんいます。典型がTOSSですね。形通りに予想させて、実験して、まとめる、そういう授業も実際には多いです。

ただ「基礎知識を伝授する」というのは、簡単なことではありません。教科書を覚えればよいということではありません。

最近「ニュートン」を立ち読みしました。五次元についての記事です。書いてある文言などには知らない言葉はありません。四次元までは納得できます。五次元については、まったく理解できませんでした。それは、私の物理や科学に関しての知識が乏しいためでもあるでしょうが、「知る」ということと「理解する」ということには、大きな隔たりがあるとも思いました。
「基礎知識の伝授」のためにも、教科書だけでなく、予想して実験や観察することも必要だと考えます。

今日の記事でOECDの学力調査の一部が公表されました。予定では、四日だったのが、スペインでフライイングがあったようです。理科の応用力も下がっております。ただ、これは新聞報道ほど懸念の必要がないと思っております。
http://www.asahi.com/edu/news/TKY200711290407.html


by apj at 2007-12-52 03:36:52
Re:演示実験ではわからない

しもふりさん、ドラゴンさん、

 私も、しもふりさんと同じ違和感を持って、小学校の理科実験をくぐってきました。教科担任ではない小学校では、担任の先生が理科好きでなければ、形式通りのことをやって終わってしまうことも多いのではないかと思います。
 一番困ったのが、夏休みの自由研究。普段の理科実験と、自由研究がまったく結びつかず、苦手な課題の一つでした。
 きれいなデータが出るように作られた実験をやるだけでは、ややこしいものに直面したときの対応の仕方は身に付かないのではないでしょうか。1ステップ程度の推論はできても、そこから先にギャップがあるように思います。


by まいまい at 2007-12-46 06:19:46
Re:演示実験ではわからない

実験と言えば、知り合いは学生からの評価が一部から過激に悪かったです。
医学部の生物学実験を担当していたからですが、理由は以下のようなもの。

基本を講義し、簡単な課題を解明する実験をやらせると失敗する学生が出て来る。するとその学生たち、受験科目は物理・化学なせいか、講義したはずの生物現象も忘れてトンデモ学説を作り上げてレポートにするそうです。

「このような学説は無い」と言って落とすと、「先生は私の理論が理解出来ないから、インネンを付けて潰そうとしているんだ」と泣くのだそうです。
「ではその理論を説明してみたまえ」と機会を与えると、
「すべてレポートに書いてあるだろう」と逆ギレしたり説明が支離滅裂(根拠・参考文献もちろんナシ)。
「君がどんなことをいっても、それでは説明になっていない。説明とはコレコレのように展開して、根拠を示すものだ」と言い渡すと、「私の理論(や才能)に嫉妬してるんだな、落とせるもんなら落としてみろ」と出てゆく。

もちろん落第にするので、学生評価では「パワハラするあいつをクビにしろ」などとやられるとのこと(笑)。
決して特定の学生の話ではなく、毎年一定数こういう学生はいるそうです。もちろん病気や障害という訳でもない。
経済学部の教授と情報交換すると、「経済分野でもいる、彼らには良い経験だろうから学生評価にダメを出されるのは教えるものの勲章だな(哄笑)」という結論になるそうで。

知識でも、考える力でも無く、
説明してわかってもらえるかどうか経験がなくてわからない
意思疎通がうまくいかない時に、辛抱してわかるまでやり取りした経験がないからその方法が身に付いていない
という、二元論では全く説明出来ない教育と言うか学生生活のポイントがそこにはあると思います。


by ちはちょる at 2007-12-14 04:35:14
Re:演示実験ではわからない

児童生徒むけの科学教室を時々やらされています。
実験をさせるときには、わざと失敗するような設定も組み入れています。いわれた通りにやって教科書と一緒の答えが出ました、ではあまりにも面白くないから。