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もっと簡単な話なのだが

Posted on 1月 11th, 2008 in 未分類 by apj

 社会学玄論の「ニセ科学批判の意味空間」にツッコミを入れてみる。NATROMさんのところでも、「ニセ科学批判者は科学を絶対視しているか?」というエントリーが上がったので、私のところでも議論してみる。

人によって科学の定義が異なるおそれもある。単に科学者による発言や発明品を全て科学と思う人もおれば、ニセ科学批判者のように科学哲学的な公準で厳密に考える人もいる。

 少なくとも私は科学哲学的な公準は採用していない。「科学を装う」については「通常人の常識で見ると科学(あるいは科学的根拠がある)と誤認することがある」という、むしろ法解釈の基準に沿ったものを提案しているし、「科学でない」については、「通常人」のかわりに「専門家」を想定して判断することになるだろうと考えている。「専門家の判断」がどのようなものになるかは、例えば公正取引委員会の景表法4条2項の運用指針を読むとイメージがつかめるはずである。

物理的リアリティ(対象と認識の一致)の世界では、科学が唯一絶対的な正しい真理であるという前提において、はじめて装おうことが意味をもつと考えられる。

 この部分は間違っている。「科学が唯一絶対的な正しい真理である」という前提は不要で、そのかわりに「科学とはどのようなものかという専門家の間での共通認識がある」が「その共通認識の全てが必ずしも通常人にまで共有されていない」という前提があればよい。

そして、ニセ科学批判も、科学の立場からなされるのならば、科学が唯一絶対的な正しい真理であるという暗黙の前提をもつことになる。

 この部分は間違い。「科学とは何か」ということについて、一定の合意があれば良い。グレーゾーンはあってもよいが、「これはどうやったって真っ黒だろう」というものについて合意がとれていればそれでよい。「これは真っ黒」と「専門家」なら誰でも判断するものを、「かなり白です」と敢えて触れ回るようなことをされた場合には、「それは違う」と言うしかない。

ニセ科学批判者たちが、なぜそんなに熱くニセ科学やニセ科学批判批判を批判するのか、その理由が釈然としないもどかしさを感じる。

 その程度のこともわからないのだとすると、おそらく、merca氏は自身の専門を相当軽んじているに違いない。
 例えば、○○工務店を経営して、マイホームを建てたいお客さんに、技術的基盤のある、防火耐震に気を配った設計施工をしていたとする。そこに、××工務店が出てきて「ウチなら同じ機能の家を□□工法でやるので10分の1の価格で」などと商売を始めたとしよう。□□工法はそれらしいパンフレットで宣伝され、素人目には良さそうに見えた。しかし、同じ機能を10分の1の値段で実現する□□工法があるという技術的根拠は、今の建設業の技術的完成度からみて、何一つ存在しなかったとしよう。○○工務店としては「□□工法にはこれこれの理由で根拠が無いから、確立した従来通りの工法をウチはお薦めします」と言うしかないのではないか。そのうち、「□□工法」に騙される人がたくさん出てきたら、今度は建設業界を挙げて「□□工法を騙る悪徳工務店にご注意!」と、消費者に注意喚起することになるだろう。
 工務店の例で書いたが、どの業界でも同じである。まっとうな商売をしているところに、粗悪品でぼったくる悪徳商法が進出してきたら、「最近は粗悪なものを売りつける商売が流行っているから気を付けて下さい」位の事は言うものである。粗悪品の流通を許したら、消費者も被害を受けるが、まっとうな商売をしている側だって大打撃を蒙る。
 自身の専門を重んじるのであれば、自身の専門が偽られて他人を騙すことに使われているのを見たら、注意喚起をするのが当然ではないか。

科学だけが正しいとは限らないという私のような相対的な認識をもっている者には不思議にうつるのである。科学が唯一絶対的な正しい真理と堂々と思っているから熱く議論するのであると正直に言えばいいと思う。ポストモダンが生み出した懐疑論者やニヒリストたちの前で、科学は文化を越えた唯一絶対的な真理であると単純にいうのは、恥ずかしいと思っているのかと思う。

 正直に言おう。自分が生業にしている仕事のイメージが悪いことに利用されているのを見たら、それを防ぐために注意喚起をするのは、人として当たり前のことだと思う。ポストモダンや懐疑論者やニヒリストだということが、自分の専門について、知識の差を利用した騙りが横行しているのを放置することを正当化するとは、ちょっと考えられない。

【追記】
 このあたりの厳しさは、職種によっても相当異なる。例えば、資格もないのに「債務の整理をしてあげますよ」などと持ちかけて怪しげな一本化をやったりすると、弁護士であることを騙らなくても、非弁活動ということで処罰される。インチキ債務整理屋が跋扈したら社会的弊害が極めて大きいし(大抵そういう商売はヤ○ザが絡んだりするし)、弁護士業界全体の信用にもかかわるから、この手のことをやったら最後、それはもう弁護士が腕によりをかけて熱心に狩り出して刑事と民事の両方できっちり責任を負わせてくれるはずである。
 これが科学者やら技術者になると、国家資格である士業ではないから、ニセ科学言説を振りまいた人が直ちに処罰されるわけではない。が、ニセ科学言説が広まるのを放置しておくと、科学や技術の業界と業界の提供するサービスの信用低下を引き起こすことは確かなので、専門家の側が「それはニセ」とはっきり言った方が望ましいだろう。


ここからは旧ブログのコメントです。


by TAKESAN at 2008-01-34 03:45:34
Re:もっと簡単な話なのだが

今晩は。

もう、びっくりするくらい、前と同じ事を言っていますよね、論宅さんは。apjさんやきくちさんとのやり取りは一体何だったのだろうか、と…。あまりにループで、呆れます。

工務店・工法の喩えは、物凄く解りやすいと思いました。


by 杉山真大 at 2008-01-25 04:25:25
Re:もっと簡単な話なのだが

そんなこと言っている傍らで、「火の玉教授」がトンデモないこと口にしていますよ。
http://ohtsuki-yoshihiko.cocolog-nifty.com/blog/2008/01/13_530b.html

こんなことを平然と口にするのが、「反オカルト」なんて言うから・・・理科教育への偏見を植え付けようと言うのですかね(爆


by Kaey at 2008-01-03 09:22:03
Re:もっと簡単な話なのだが

私の経験で言うと、理工系の大学生でもニセ科学を信じている人やオカルト的なものを無批判に受け入れている人が少なくありません。将来、仕事をする上で科学を用いるはずの人たちが科学とニセ科学との区別が付かないといったような状況に危機感を感じることがあります。ニセ科学の被害者になってしまう以外に、悪気がないのに加害者側になってしまうことが予想されるからです。少しでも科学的な考え方を身につけて欲しいと、私は講義の合間にニセ科学のインチキ性を指摘して学生に教えたりしています。

mercaさんはこういう営みを理解できないんでしょうね。実害が生じるのを防ごうとする具体的な行為を、評論めいたあまり論理的でない議論でけなすのは何故なのでしょうか?
科学者自身が「科学が唯一絶対的な正しい真理」であるなんて言っていないのに、mercaさんがこの言葉を使うのは、この人が自然科学の手法を使えず、自然科学の知識もないので、ひがんで自然科学「者」批判をしているからではないかと憶測してしまいます。

mercaさんの「科学だけが正しいとは限らないという私のような相対的な認識」の言葉の中の「正しい」の意味が曖昧です。何について、どういう基準で正しいとか正しくないとかと言っておられるのでしょうか?
科学的な診断結果をもとにして、あなたは癌に罹っていますと言われたときに、診断方法や診断結果の解釈が正しいかどうかを問うのではなしに、「診断技術が科学の上に作られているものなのでこの結果は正しいとは限らない」と疑っているようなものです。多くの人々が長い年月をかけて築き上げてきた診断技術を、自分が癌であるなんて信じたくないという心情から否定しているのでしょうか。自分にとって都合の悪い結果が出たときには科学を否定する一方で、「この水を飲めば癌なんてうそのように治ります」という甘い言葉は簡単に信じて引っかかり、被害に遭う人が出たりするのは困ったものです。「科学だけが正しいとは限らない」と言う意見の裏には、感情的な判断もあるのではないかと考えられます。
要するに、インチキを暴く行為をみて、判官贔屓で科学者を批判しているのでしょうかね。


by apj at 2008-01-36 11:43:36
Re:もっと簡単な話なのだが

Kaeyさん、

>自分にとって都合の悪い結果が出たときには科学を否定する一方で、「この水を飲めば癌なんてうそのように治ります」という甘い言葉は簡単に信じて引っかかり、

 私は、科学そのものについて話をするときに「技術は人にとって役立つものだけど、科学は人に対して真実を突きつける。例え都合が悪くても」と言ってます。
 「都合の悪い真実」の例としては、ぐうたらしながらダイエットする方法は無いとか、無限にエネルギーを取り出す方法は無いといったものがあります。

 「科学だけが正しいとは限らない」≒「楽してお手軽に結果が得られる都合のよい話だけ聞きたい」ということではないかと。だから、ニセ科学言説とインチキ商売は親和性が高いんですよ。そういう人は、真実でなくたって、都合の良い話さえ持っていけば、お金を払ってくれますから。


by Hutakobu at 2008-01-42 12:06:42
Re:もっと簡単な話なのだが

「科学が唯一絶対的な正しい真理であると考えて居るんだろう」ではなくて、「科学がこの世の仕組みを理解し、より良く生きるために使える一番マシな方法だと考えて居るんだろう」と言えばあちこちから反論されなくて済むと思うんですが、なぜ極論に走ってしまうんだろう。典型的なわら人形、というよりは自分自身の言葉に過剰反応しているようにも見える。もしそう言う妥当な言い方をしても、彼の主張のあちこちが混乱していることにかわりはないですが・・・。

ニセ科学批判をタケノコ族みたいな社会的なムーブメントととらえて、それを批判的に見てみようと言うことなんでしょうか。批判すること自体が目的で、論理的(っぽく見える感じ)に批判するためには、わら人形をこしらえたりメタな議論にする必要がありそうです。


by 酔うぞ at 2008-01-02 18:21:02
Re:もっと簡単な話なのだが

昨日は高校でサッカーロボのプログラム授業の第一回目でした。
(4回目にゲーム(試合)をやる)

講師はNPOのメンバーで全員がメーカー出身者です。
そこで、担当の先生が

     「メーカの方はどなたも、やってみろというのですね
      わたしなら、説明書を読んでその通りに・・・・」

と感想を話されました。

そういうこと自体を考えたことが無かったので「そうなんだ」と妙な納得をしたのですが、なにしろ対象の高校生は「4年制の大学は無理じゃないのか?」というレベルの生徒ですから、面白くもないプログラムマニュアルを読めと言っても無理だと考えるから「まず直進させてみよう」といった感じてやっています。

機械系のエンジニアにとっては「理屈と動作はセットで考える」のが当たり前なので「動作はちゃんとしているが、理屈は判らない」ということにあまり抵抗感がないところもあります。

これが人によって、「動けば理屈はどうでも良い」から「理屈がわからないのは動いてもヘンだ」というぐらいのバラツキがあります。

しかし、「理屈がこうだから、動くはずだ」という感覚は機械系の人には少ないような気がします。

その意味では機械系の人の多くは「科学が唯一絶対的な正しい真理であると考えて居る」事はないと考えます。
また、機械系はもちろんいわゆる理系の考え方として「科学が唯一の絶対的な真理」と言う言葉が持つ「教条的」な思い込みの人はいないのではないだろうか?

どこからこのような「教条的」な方向性が出てくるのだろうか?


by com at 2008-01-31 18:27:31
Re:もっと簡単な話なのだが

おはようございます。

何だかすごいですね…相変わらず。
誤読して、脳内でapjさんの行動指針を作り(mercaさんの仮想敵が誰か知りませんが、とりあずapjさんと仮定します)、その行動指針が自分の考えて違うから、って批判する。

挙げ句の果てに相対論とは…。何だか妄想だけの世界で暮らせるなんて、幸せに見ますねぇ。

ほんとに社会学者なんでしょうか?まぁ、自称するのは自由でしょうから。でも、
でも、実態を知らずして何が「社会学を社会学する自己言及ブログ 」なのか。


by apj at 2008-01-50 19:12:50
Re:もっと簡単な話なのだが

 都合の良いことだけ信じたがる文章の例、というのを探していたら、ぴったりなのを見つけました。らんきーブログのこのエントリ
http://rankeyblog.blog68.fc2.com/blog-entry-771.html#comment_head
についた、whiteさんという方のコメントがイイ線いってます。関連部分(といってもほとんど全部になりますが)を引用します。
ーーーーーーーーーーーーーーーーー(引用ここから)
ほとんどの方が江本氏の『水の結晶』の話に懐疑的というか否定的なのですが、実は水に関する事の多くが科学では解明されていません。
例えば、固体の氷が水より1割近く軽く液体の水に浮く事や、4℃の水が0℃の水より重いといった事が現象的にはわかっていますが、なぜそうなるのかはわかっていません。
そもそも水がどのようにしてできたのかさえ、本当のところはわかっていないのです。
科学とは私たちのもっとも身近な、しかも生命を維持するために不可欠な水ですら完全には解き明かしてはいないのに、『水は単なる物質で言葉や音楽などで性質を変えるはずは無い』といった決め付けはどうかなと思います。
テレビや大新聞では『真実』のみを報道しているのでしょうか?
教育機関では本当に『真実』だけを教えているのでしょうか?
私が今回の事で怖いなと思ったのは、ある情報(いかにも権威があるような)をもとに、違う情報や考え方を全否定する考え方です。
意図をもって情報操作しようとする勢力にとっては、そういう方は実に好ましい存在でしょう。
科学万能主義も怖い事です。
科学的に証明されていないという事を理由として責任を回避する企業や国。
それによって、水俣病などの被害者の救済が遅れに遅れたこと。
それから、電磁波によっての健康被害についても同様で、国民よりも企業の方を向いている官僚組織は、それを理由に各種規制は甘いままですし、防衛策は個人が行いなさいという対応なのです。
情報の世界では声の大きな者の論調が大きく取り上げられ、今や地球温暖化の主犯は二酸化炭素であるということが、繰り返し、繰り返しテレビ、新聞から垂れ流され、多くの人は、それは事実だという刷り込みを受けています。
しかし、まともな科学者の多くは否定しておりますが、その意見がマスコミに取り上げられることはありません。
私は、科学物質や放射能による環境破壊こそが温暖化対策に優先して取り組まなければいけない課題だと信じます。
しかし、影響を受ける大企業が多いことから、環境破壊の報道はあまりされません。
なぜかは、このブログの読者ならおわかりでしょうね。
かのガリレオも最初は狂人扱いでした。
科学とは常に進化し続けるものなので、今の科学水準で全てを決め付けることは極めて危険と言わざるを得ません。
何事も決め付けず『疑う』ということこそ、重要なのではないでしょうか。
その姿勢があれば一人の狂人に騙されることも無いでしょうし、人生をもっと豊潤なものに出来るのではないでしょうか。
それから、ぶいっちゃんがおっしゃっているように『ものは言い方』だと思います。人間は感情の動物ですからね。
二人として同じ人間はいないのですから、100人いれば100通りの考え方があるのです。
自分と違う考えを認めないのでは、上手に生きていけませんし、人間的な成長もありません
ーーーーーーーーーーーーーーーーー(引用ここまで)


by オキナタケ at 2008-01-56 08:54:56
Re:もっと簡単な話なのだが

「科学物質」というのがいいですね。これに汚染されると、何を考えても科学万能の考え方しかできなくなるような恐怖の物質でしょうか。


by nomad at 2008-01-03 10:25:03
Re:もっと簡単な話なのだが

> 都合の良いことだけ信じたがる

僕はこういう人に、「じゃあ高層ビルの屋上から飛び降りてみろ」と言ったことがあります。

あなたは飛び降りたことがありますか。ないでしょう。飛び降りてどんなことが起きるのかあなたは経験したことがないじゃありませんか。どうして危ないと思うのですか。流体力学では蜂が飛行する理由も明らかにされていない(ルイジ・コラーニ笑)と言いますよ。なぜ飛び降りて証明しようと思わないのですか。あなたが証明すべきことですよ。

科学懐疑論者の方は片っ端からビルの屋上かr(ry


by 石田剛 at 2008-01-18 01:30:18
Re:もっと簡単な話なのだが

> 自分と違う考えを認めないのでは、上手に生きて
> いけませんし、人間的な成長もありません
つ 鏡


by y_ikeda at 2008-01-50 06:30:50
Re:もっと簡単な話なのだが

リンク先見たけど、理系の人間と文系の人間には深くて暗い溝があるような気がします。


by 杉山真大 at 2008-01-03 06:54:03
Re:もっと簡単な話なのだが

>y_ikeda氏
だからそれ、ステレオタイプですから(苦笑
http://d.hatena.ne.jp/ykoike/20080103/1199350401


by (稲 at 2008-01-04 07:41:04
Re:もっと簡単な話なのだが

> 理系の人間と文系の人間には

僕は、merca氏は実はふま君なのでは、と思いました。ふま君は理系っぽいですよね。でも思考回路はそっくり。

文理云々よりもむしろ、メタなところに引きこもって一日中夢見ているか、具体的な問題に即して真面目に考えた経験があるか、の差のような気がします。


by com at 2008-01-00 07:49:00
Re:もっと簡単な話なのだが

別段、歴史学だって検証するツールとして、科学的手法を用いるわけだから、文系だろうが理系だろうが、対象が変わったところで手法は変化しない。これを理解しようとしない人は意外と多い。
論理的な考察は、ジャンルに依らないものでしょうに。

てか、むしろ「私は文系だ」は、論理的思考ができないいいわけに濫用されてますよね。


by com at 2008-01-59 07:49:59
Re:もっと簡単な話なのだが

連投失礼。

ふま先生を養っているあたり、もうね…。


by apj at 2008-01-54 07:50:54
Re:もっと簡単な話なのだが

 大槻(火の玉)教授がイタコの口寄せを例にしてますが、イタコも後継者不足で困ってるっぽいですよ。

 親しい人を失ってどうしても心が癒されないのをイタコに頼る気持ちを否定するつもりはありません。また、科学でどうこう言う問題でもありませんし、理系文系云々の問題でもない。ただ、相談者が、イタコの口よせは、主観に始まり主観に終わるものであるということさえ認識していてくれればいいかと。後は人生観の問題ですから。


by apj at 2008-01-44 08:03:44
Re:もっと簡単な話なのだが

 イタコについて補足です。
 ただ、テレビでセンセーショナルに取り上げると、安易に「死後の世界があった」「霊は実在する」といった方に流れて、霊感商法の被害者を増やす結果になりかねませんので、大々的にやることには反対です。スピリチュアル番組で取り上げるようなことはやめてほしい。
 あくまでも相談者本人が、個人の信仰の問題・心の納得の問題として、きちんと現地に行き、イタコの役割やら背景やらの説明を知った上で相談する、というのが望ましいかと。

 何て言うか、信仰の問題をテレビでセンセーショナルに取り上げるのは、非合理を世間に蔓延させるという効果をもたらすだけではなく、非常に不作法という印象を受けます。個人個人の内心の問題なのですから、もっと静謐であるべきものだと思うので。


by apj at 2008-01-01 08:17:01
Re:もっと簡単な話なのだが

杉山真大さん、
 大槻教授のblogを見たんですが、私には、
「理工系が収入や出世の点で不利益を被っているので、アファーマティブアクションのようなことをすべきである」
という本音に、後付けの理屈をむりやりつないだように見えるんですが……。


by (稲 at 2008-01-25 08:19:25
Re:もっと簡単な話なのだが

> ポストモダンが生み出した懐疑論者やニヒリストたちの前で、科学は文
> 化を越えた唯一絶対的な真理であると単純にいうのは、恥ずかしいと
> 思っているのかと思う。

なんというか、(i) 今のこの時代に、(ii) まともに社会学をやっている人で、(iii) 自分が「ポストモダンが生み出した懐疑論者やニヒリスト」であると人前で告白して、(iv) 恥ずかしげでもない、人がいるとは思えないのです。(iii)と(iv)は事実なので、(i)か(ii)が事実と相違しているのでしょう。


by apj at 2008-01-29 08:23:29
Re:もっと簡単な話なのだが

(稲さん、

>文理云々よりもむしろ、メタなところに引きこもって一日中夢見ているか、具体的な問題に即して真面目に考えた経験があるか、の差のような気がします。

 ものすごくベタな話をすると、批判するときに最初に考えることは、「これで提訴された場合に内容の正当性を立証して勝てるか?」です。他の人達がどうかはわかりませんが、私の場合はこれを考えます。
 裁判所で弁論でもって斬り合えるかどうかをいつも考えている身としては、メタな議論ははっきり言ってどうでもいい存在なのですが(メタな議論では請求を維持できないし口頭弁論にも使えない)、世間に別の誤解を広めかねないので、時々は言及しないといけないんですよねぇ。


by apj at 2008-01-47 08:26:47
Re:もっと簡単な話なのだが

(稲さん、
>(i) 今のこの時代に、(ii) まともに社会学をやっている人で、(iii) 自分が「ポストモダンが生み出した懐疑論者やニヒリスト」であると人前で告白して、(iv) 恥ずかしげでもない、人がいるとは思えない

 今、社会学ではこのあたりはどういう共通認識になっているのでしょうか。ご存じでしたらお教え下さい。標準的な社会学と、ポストモダン・懐疑論者・ニヒリストとの関係がわかるような本ってありますでしょうか?


by 杉山真大 at 2008-01-27 10:11:27
Re:もっと簡単な話なのだが

>「理工系が収入や出世の点で不利益を被っているので、アファーマティブアクションのようなことをすべきである」

↑てか、これ事実なんですかね?よく「勝ち組」の経歴とかを見ていると「理系の文系就職」ってのが結構いるって訳で、「理工系の不利益」って第二次産業と第三次産業の差に収斂されてるんじゃないかと思うのですが。で、第二次産業にアファーマティブアクションのようなことやってみたとこで、世界の趨勢がソフト・サービス重視って中では却って不利益の方が大きい様に推察しますね。

大体、「理工系が収入や出世の点で不利益を被っている」って論拠で必ず引き合いに出されるのって、「文系=エリート官僚・理系=現場の技術者」なんですよね。これが「文系=現場で営業に従事している契約社員・理系=博士号持ちのエリート技官」だったら、逆の結果になっちゃう。何か作為的というか詐術の臭いを感じますな。


by apj at 2008-01-36 11:37:36
Re:もっと簡単な話なのだが

杉山真大さん、

>↑てか、これ事実なんですかね?

 事実かどうかは私にはすぐには判断しかねます。
ただ、大槻教授の主張がそのように見えたというだけのことであって……。


by (稲 at 2008-01-37 03:29:37
Re:もっと簡単な話なのだが

> 標準的な社会学と、ポストモダン・懐疑論者・ニヒリストとの関係がわかるような本

ううむ、そういう本があったら僕も知りたいです。

ちょっと蛇足ですが:

ポストモダニズムが生み出したニヒリズムっていうと、ふつうは、
『真理なんてものはどこにも無いよ。すべてはレトリックと権力の問題なんだ。あらゆる立ち位置は相対的でね、「事実」とか「客観性」とか偉そうなこと言ってる議論も、本音のところは特定の誰かの利害のためでしかないのさ。』((c) テリー・イーグルトン(改))
というような言い方を指すと思います。こういう言い方は、言ったもん勝ちみたいなところがあって、そういう言い方をしている本人だけが特権的位置を獲得できる、ある意味最強の俺様論理なわけです。(こういう俺様最強の言い方をするには、相当に頑張って恥ずかしさに耐えなければならないかと思います。)

んで、これはまた、本来的にメタレベルな言説なので、社会学であろうが文学であろうが、具体的な対象にあたる実際の研究の場では使い物にならないわけです。社会学であれば、「いろんな視点から眺めるのは意味あるよ」くらいに言ってる分には有益なんでしょうが、「ニヒリズム」までいっちゃうと結局は単にすべて現状肯定の結論しかでてこなくて、いくらやっても問題の解決につながらない、と。

で、結局、真面目に社会学の研究をしている人であれば云々、という感想がでてくるわけです。


by Kaey at 2008-01-30 01:27:30
Re:もっと簡単な話なのだが

mercaさんの「ニセ科学批判の意味空間」もう一回読んで気が付きました。これは論理的文章と意味の論文ではなく、随筆または感想なのだと。だから非論理的な論の展開やとっぴな言葉が出てくるのですね。感想を勝手に書くのは自由ですが、「論文」的に見せかけているところが罪作りのような気がします。


by Kaey at 2008-01-12 01:29:12
Re:もっと簡単な話なのだが

上の文章、
「 mercaさんの「ニセ科学批判の意味空間」もう一回読んで気が付きました。これは論理的文章という意味の論文ではなく…」
に訂正します。


by com at 2008-01-26 05:23:26
Re:もっと簡単な話なのだが

こんばんは。
つまらん…mercaさんとこアク禁になったのかな?程度問題を示さないで相対論を振りかざすからこそ、突っ込んだのだが。
ついでに、あれだけ仮想敵に対する「ニセ科学批判」批判をしているのだから、ぜひとも「だからこうするべきだ」ってところを聞きたかった。

大したことを突っ込んだつもりはなかったけど…そう言うスタンスなら仕方ないですねぇ。


by apj at 2008-01-54 11:28:54
Re:もっと簡単な話なのだが

comさん、
 むしろアレは論説文の体裁をとった創作ではないか、という結論に至りました。
 というわけで別エントリを書きましたが……。