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裁判ネタ2題

Posted on 10月 3rd, 2008 in 未分類 by apj

 「ブログ論壇の誕生」佐々木俊尚著(文春新書)で、お茶の水大が訴えられた神戸の裁判の件が取り上げられた。記載があるのは本の13章の『光市「1.5人」発言 ーブログの言論責任は誰にあるのか』。私が独立当事者参加を行ったことが書かれている。その上で、

 それでもなお大学や企業に対し、「サーバの管理者として」の責任を求めるというのは、実のところ「おまえじゃ話にならない、上司を出せ」と恫喝するのと同種の行為に他ならない。本当は「サーバの管理者として」の責任を求めているのではなく、「おまえの属している共同体に連帯責任を取らせろ」というきわめて日本的な所属思考が働いているだけなのだ。
 そしてそうした所属思考が根強く残る背景には、中間共同体が国内にくまなく張り巡らされ、個人としてお互いに自立した関係をこれまで一度も築けなかった日本の風土が色濃く東映されている。
 そのような日本にはこれまで、当事者同士の議論で決着をつけるような土壌が存在していなかった。だから『煩悩是道場』が言うように、公園での迷惑行為を本人に指摘すると「逆ギレされるかもしれないし」「怪我をしたりするかもしれない」と思ってしまうのである。
 だがいまや企業やムラ社会などの中間共同体は戦後社会の崩壊とともに喪われ、ひとりの日本人は個人として直接、社会に対面しなければならない状況に直面しつつある。そのような状況の中で、いまだに人々は「上司が責任をとれ」「大学が責任をとれ」「あいつを懲らしめてください」「おまえじゃ話にならん」とお上に頼り、偉いヒトに言いつけ続けている。
 このような行動は、何も生み出さない。

 私の問題意識もほとんどこの引用部分と同じである。だから、山形大学に来た削除要求に対し、コンテンツを発信した者として、削除義務が存在しないことを確認する訴えを提起し、認容判決をもらった。つまり、共同体に連帯責任をとらせようとしたところで、当事者本人が裁判所に出向いていってきちんと責任を負うことが可能なのだから、そのような恫喝はそもそも無意味だということを、実践で示すことを試みたのである。
 組織に、所属する人間個人の発言について連帯責任を追わせるやり方をとっても、良い結果にはならない。発言者に責任を負わせるのが、最もシンプルで、かつ、言論の内容をまともに保つことができるやり方である。もし、組織が個人の発言について責任を負うことになると、組織が事なかれ主義的な対応をした場合、発信するべき情報も発信されなくなるかもしれない。逆に、組織が個人の発言の法的紛争を進んで行うようになったら、組織が責任を負ってくれるから自分は安心、と、紛争を誘発する発言を無責任に行う人だって出てくるだろう。どちらも健全とはいえない。

 ところで、その神戸の裁判等の打ち合わせを絵里タンの事務所でやっていたのだが……。
 参考になる判例を調べたものを見せてもらったのだが、ネットから持ってきたもので、URLをみると判例秘書のサイトからだった。その後こんな会話が……。
私「判例秘書契約してるんですか」
絵里タン「事務所で契約してる。契約して使ってみませんか?」
私「値段いくら?」
絵里タン「毎月払うんだけど契約が複雑でよくわからない」
私「弁護士がわからない契約って、判例秘書の会社の法務は一体どんだけ優秀なんだよwww」
絵里タン「基本料金は月1万円くらいだったか……リンクしてある判例タイムズとかの本をオンラインでダウンロードできるサービスもあって、そういうのをつけると値段が高くなる」
私「判例タイムズかぁ……大学にあるしなぁ。判例秘書で検索して、リファレンスが出たらメモしておいて、本は大学で見るという使い方も有りかも」
絵里タン「大学なら判例の検索システムがあるんじゃないの?」
私「あるけど、その端末のところ(別棟の人文学部の判例検索室)まで行かないと駄目だし」
絵里タン「判例秘書って、他の人に勧めると、勧めた人と勧められた人の双方にメリットがある……って何だかマルチの勧誘みたい」
私「法律勉強してる間は判例引けると便利かも……うーん……」
 便利そうなんだけど、値段との相談だよなぁ。裁判所サイトからも判決は得られるし。それで足りないのがどこかとか、ちゃんと調べてからでないと決められない。
 それはともかくとして、クライアントに判例秘書の契約を勧める弁護士というのも、なかなか趣味をわかっているというか何というか。


ここからは旧ブログのコメントです。


by sika at 2008-10-32 09:22:32
大学で活用可能な資料は宝の山

「趣味」ですか・・・。面白すぎです。

閑話休題、大学には勉強しようと思えば無尽蔵とも言える資産というか仕組み(システム?)があるのですね。自分が学生のときは、その有難さを活かし切れていなかったですね。今更ながら、残念です。


by apj at 2008-10-18 10:05:18
あちこちで趣味バレしてるというか

sikaさん、
 先日も、別の弁護士さんのところで相談していたら、
「今後も山形地裁で訴訟するんだろうし、あんまり変な訴えを起こしていたら、次の訴えがまともでも裁判官の心証がわるくなる畏れがある。また、よく訴える人リストは後任に引き継がれるし……」と言われたりして。既に今後も訴訟することが当然のように前提になってるorz。

 確かに大学のリソースは蓄積がすごいですよね。文系理系を問わず、勉強したいと思えば何でもかなりやれる。在学中は趣味でいろいろ読みあさったのですが、でも、さすがに文系の方には手を伸ばしていませんでした。今になって法律に手出ししつつあるし、人間、暮らしていると何の勉強が必要になるか予想つかないなぁ、と思ってます。


by takahata at 2008-10-51 19:26:51
議論が成り立たないひと

> そのような日本にはこれまで、当事者同士の議論で決着をつけるような土壌が存在していなかった。

そうなんでしょうね。
往々にして「直接言ってくれよ」って思うこと、少なくないです。
なぜか周りの人から「こんな意見があるよ」って、初耳のことありますし。

ただ、議論が成り立たない人が居るので、本人に言ってみたものの埒が明かんから組織にっていう経路もあるのかな、と。
問うてもまともな反論が無くて、しょうがないから話のわかる別の人にっていう経験は何度かあります。
まあ、議論が成り立たないからというときと、自分の主張が通らないから組織防衛本能も期待しつつ上司からというときと、主観では前者だと思い込んでいたりするのかもしれません。
そうか、自分がそう思われていたのか[:涙ぽろり:]

そういえば先般、仕事の関係で母校の法学科の教授室にお邪魔してきました。
いやあ、相変わらずせまっくるしいです[:ふらふら:]
現役の頃、ゼミの教授にいい資料があるといわれ教授室に借りにいったものの、山崩し作業の末、「見つけたら連絡する」って言われたことを思い出しました。
図書館は中々よい整理が出来ていると思うんですが、あの環境は先生方にも気の毒ですね。


by apj at 2008-10-57 20:57:57
回りくどいのは逆のケースが多い気が

takahataさん、

>ただ、議論が成り立たない人が居るので、本人に言ってみたものの埒が明かんから組織にっていう経路もあるのかな、と。
>問うてもまともな反論が無くて、しょうがないから話のわかる別の人にっていう経験は何度かあります。

 逆に、
・ある人に言うことをきかせたい
・しかし、その根拠は自分の主観的な価値観でしかなく、せっとくできるだけの説明ができない
ときに、人を介して圧力を掛けるということが往々にして行われているかと。
 要するに、バカのやる伝言ゲームと化すわけですが……。


by takahata at 2008-10-51 22:30:51
Re:裁判ネタ2題

>・ある人に言うことをきかせたい
>・しかし、その根拠は自分の主観的な価値観でしかなく、せっとくできるだけの説明ができない
ときに、人を介して圧力を掛けるということが往々にして行われているかと。

そうですね。
直接理解を得られなくても、その相手方が属する組織や人間関係において影響力を持っていそうな人物に働きかけるっていうのは、理屈以外の「聞かざるを得ない」力関係への期待ですよね。
相手方を説得するより、圧力でも何でもいいから言うことを聞かせる琴が重要だし楽だし、という発想なのでしょうか。

実は逆パターンもあって(ちょっと違うかもしれませんが)、仕事で相談業務にあたっていると、相談者としては一定の結論を想定して相談してくることが多々あるのですが、こちらの説明がその結論と違っているということも少なくありません。
で、相談者の方が基礎知識が欠如してたりすると、こちらの説明に中々納得してもらえないことがあります(スタート時点で理解に誤りがあったり)。
そうすると、延々とやり取りした挙句、「ちょっとお待ち下さい」と言うセリフの後に、その上司の方が電話口に出てこられて一からやり直しっていうのもあるんですね。
恐らく、そのときの最初の相談者の心境としては、前回のわたしのコメントの「主観では前者だと思い込んでいたりする」状態なんだと思うんです。
「こいつ、わけわかんねーや」って。
で、上司を相手にさせれば期待する結論にいたるのではないか、と。
まあ、往々にしてその様な場合、代わった方は理解してくれることのほうが多いんですけどね。