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裁判所まで行くとはっきりすることがある

Posted on 1月 13th, 2009 in 未分類 by apj

 『安部英医師「薬害エイズ」事件の真実』武藤春光・弘中惇一郎編著(現代人文社)978-4-87798-386-4を購入。
 刑事事件で一審判決無罪となり、控訴審の途中で安部医師は亡くなった。この本は、当時のマスコミの大バッシング報道が、いかに事実とかけ離れていたかを示すものである。
 一審判決の全文が付録CD-ROMに収録されている。たくさんあるのでこれからゆっくり読むことにする。

 買ったばかりなので1章を拾い読みしてみた。マスコミがいかにウソをつくかという興味深いケースが多数出ている。情報の意図的な隠蔽、正反対の印象を与えるための操作を連発している。いくつか引用する。

 しかし、血液製剤によるエイズウイルス感染は世界中で同時に起こったのであり、しかも、日本はその時期においても他国と変わりなく、また感染者の数においてもむしろ少ない方でした。(中略)そして、血友病の臨床医が、この問題で刑事責任を問われた国など、日本以外に、一カ国もなかったのです。 仮に、メディアがこの事実を報道していれば、安部医師攻撃などできるはずもありませんでした。しかし、わが国のメディアは意図的にこのことを隠蔽しました。弁護人の一人がS新聞のO記者に、「なぜ、メディアはこのような海外の状況を報道しないのか?」と尋ねたことがありました。O記者はこう答えました。「先生のおっしゃるとおりで、そのことはわかっています。しかし、現在はそのようなことを書くわけにはいかないのです」と。

 検察官が、この手法を用いて、メディアがそれに踊らされたものとして、エイズ研究班における安部医師の「毒発言」があります。これは、研究班で、塩川医師が「血液製剤におけるエイズなんてほっとけば収まる問題ではないか」との超楽観論を述べたので、安部医師が「自分は、臨床医として、使っている薬が毒かもしれないという危機感を抱きながらやらざるを得ないのだ。そんな楽観論で片付けられては困る」とたしなめたものです。 これを、検察官は、法廷で、わざと塩川医師の発言を省略し、「安部医師は、非加熱製剤を毒かもしれないと知りつつ投与した」というふうに朗読したので、傍聴したメディアが翌日の朝刊で一斉に「毒と知りつつ投与」と報じたものです。

 エイズ研究班の第1回の会議をネタにNHKがやったこと。

NHKは、これについて、その研究班の会議から10年以上も経った時点で、郡司氏にインタビューして、「その席でそのことを報告したかどうかについて記憶がない」と言わせた上で、委員の一人の塩川医師にインタビューして「それが当時わかっていれば研究班の血尾論も皮っていただろう」と言わせただけで、番組を作成し報道してしまったのです。 ところが、後日、研究班の会議を録音したテープが出てきて、「それにより、郡司氏がロット回収のことを研究班第1回会議で報告していたことが明確に示されたのです。 本来であれば、NHKとしては、全く間違った内容の番組報道をしたことについて、全面的に反省し訂正すべきでしたが、それすらされませんでした。

 次は騙しのテクニック。うかつにメディアのインタビューに応じるとろくなことがないという見本。

 安部医師が、メディアバッシングに苦しみ、ホテルを転々としていた頃、NHKは、「活字メディアは好きなことを書く。うちは、安部さんの言葉をそのまま報じるから是非インタビューを受けてくれ」と甘い言葉をかけてきました。これにだまされた安部医師は、用意されたホテルの一室で、血液製剤エイズの問題についてのインタビューに応じて,時間をかけて説明しました。ところが、NHKは、とりあえず一部をニュースで使わせてもらいますとして、文脈を無視して切り出した1~2分の言葉をニュース番組に使用しただけで、ついに、安部医師の言葉を報じることはなかったのです。

 まあ、労力空振りなだけだから、騙されたと言ってもまだ許せる範囲かもしれない。しかし、次は酷い。

 この顛末を知ったTBSは、「NHKのように録画ではそのような利用をされてしまう。うちは、生番組で安部さんの言い分をそのまま報じるから是非出演してほしい」とささやいてきました。「ニュース23」はTBSの看板番組であり、キャスターの筑紫哲也氏は最も良心的なジャーナリストと考えられていました。そこで、安部医師は、弁護士とも相談の上、これに応じることとしました。確かに、(かなり意地の悪い質問があっても)安部医師が反したことはそのままオンエアされました。ところが、安部医師とのやりとりの前後に、従来から安部医師攻撃の先頭にたってきたメンバーの安部医師非難の話が録画として盛り込まれ、TBS的に言えば、「バランスをとった」ものになり、安部医師の話の印象が大幅に薄められる形となっていました。このことはもちろん安部医師には伏せられていました。それだけではありませんでした。翌日、TBSは、翌日の同じ番組で、そのメンバーをゲストとして出演させ、前の晩の安部医師の言葉を録画したものを材料として、安部医師の言葉をこっぴどく反論非難するものをオンエアしたのです。今度は、前後に安部医師側の反論は用意されていませんでしたから、TBS的バランスもとられていませんでした。このようなやりかたが非礼であり、異例で異常なことは言うまでもありません。安部医師側の抗議に対して、TBSの担当者は平謝りに謝りましたが、そこまでしても、TBSは安部医師バッシング報道をする以外に念頭になかったのです。

 ちょうど、「共通教育の講義で、報道は何かを調べるためのとっかかりとしては使えるが、情報が歪められる場合も多々あるので、そのまま信じるのはあぶない」という話をしてきたところだった。 これと似たような形で展開しつつあるのが、福岡のいじめ教師の事件。こちらは、裁判してみたらマスコミのバッシングとは相当違う展開になりそうだという事実が全く違っていたという(修正:本の方は口頭弁論が始まったちょっと後で終わっているので)話が「でっちあげ 福岡「殺人教師」事件の真相」という本に書かれている。判決が出る前(本の方はそもそも口頭弁論2回目くらいまでの話)だったので、その後を追い切れていない(追補版を出してくれることを希望する)。自殺強要や暴力で児童を長期入院に追い込んだ教師→事件そのものが児童両親によるでっちあげ、というものすごい展開である(というのは本の内容で、これがどういう弁論を経て事実認定されるかは訴訟記録を見るまで不明である)。感情を煽る情報の出し方をして被害者面すればマスコミは踊るけど、そんな程度じゃ裁判所は欺せないという、まあそういうことらしい。
【追記】判決についての報道があったが(コメント欄でひろのぶさんが指摘)、その報道では判決は市に対してしか出ていない。バッシングされた教師は裁判ではどういう扱いになったのかが不明である。そもそも訴えられなかったのか、まだ続いているのか、単に報道されてないだけなのか。
 報道の方を元にするなら、いじめと認定される行為はあったが「殺人教師」呼ばわりされるもとになった「自殺強要」は認められていないことになる。
【さらに追記】国賠法の適用があれば、個人の責任は表に出てこなくなるから、そっちで争ったのかもしれない。だとすると、公務員個人が当事者として攻撃防御をする機会はそもそも無いわけで、当事者になれない公務員個人に対して名指しでバッシング報道するのは、反撃できないことを承知の上で行うリンチと変わらないのではないか。そういうマスコミの行動に対しては「卑怯」という評価しかできない。

 この手のマスコミによるバッシングを狙って、提訴と同時にプレスリリースまで出したのに見事に空振りしたのが、「環境ホルモン濫訴事件」だったのではないかと。こちらは、私が、被告となってしまった中西準子氏の応援団をネット上でやっていたので、訴訟情報をそのまま今も公開し続けている(結果は原告の請求棄却、つまり被告の中西氏の勝訴で終わった)。
 その中西氏は、雑感でいちはやくこの本を取り上げていた(雑感459)

 マスコミの捏造歪曲報道に対抗するには、やっぱり、自らが情報発信するしかないのだろう。それも、できるだけ客観的な一次資料を付けて。

 安部医師の起訴は1996年だった。この時期はまだネットが普及していなかったから、情報を伝えるにはマスコミ経由以外のルートが確立しておらず、捏造歪曲自由自在な状態だった。もし、10年後に事件が起きていたら、一次資料をネット上に出す人が出てきて、マスコミによる一方的なバッシングはできなかったかもしれない。
 福岡の教師の事件は、元々、教師の人柄が良かったのか、一次資料を出して相手が児童と親であっても容赦せず真実のために闘うという展開にはなっていない。情報開示の初動がうまくいけば、あそこまで一方的な展開にはならなかったのではないか。これは、一旦本気で揉めると後に響くといった、学校や教育委員会のムラ社会的な部分が効いているのかもしれない。
 環境ホルモンの時は、そもそもマスコミが踊らなかった上、ネットに一次資料(つまり裁判資料)を出す方が先だった。それでも口頭弁論3回目くらいからで、かなり出遅れた感はあったが……。

 環境ホルモンの時の中西氏の代理人が、本の著者の一人である弘中惇一郎弁護士である。環境ホルモンの時は、一次情報を出しつつ、中西氏による訴訟への言及のネット公開も継続しつつ、弁論が進んだ。訴訟の間は書くのをやめろ、とは、惇一郎弁護士は言わなかった。むしろ、書き続けるようにと助言していた。

 私の方は、神戸の当事者参加申出と東京の損害賠償請求訴訟で、弘中絵里弁護士に代理人を願いしたが、弘中惇一郎弁護士も入って下さっている。まあ、社会の隅っこの方の事件なのでマスコミには注目されず静かにやっているが、情報開示はひっそり継続中である(年度末が近付いて滞ってはいるけど)。

 マスコミによるバッシングが起こりうるような事件でも、悪役を振られた当事者が自ら情報発信しながら法的手続に臨む、というスタイルを、一つのパターンとして確立することを考えてはどうだろう。情報開示が風評を断つという効果は確かにあるだろうし、いいようにバッシングされるよりは、相当ましな結果になるんじゃないかと思うのだけど。


ここからは旧ブログのコメントです。


by ひろのぶ at 2009-01-06 20:21:06
Re:裁判所まで行くとはっきりすることがある

> 事件そのものが児童両親によるでっちあげ、というものすごい展開である。

何で本一冊ぐらいで信じちゃうかな。↑これこそ単純な二元論に陥っている典型じゃないですか。

—-(ここから)—-

福岡市教諭いじめ 市の賠償330万円に増額 福岡高裁も認定 児童PTSDは否定
2008年11月25日 14:18 カテゴリー:社会 九州・山口 > 福岡

 一審判決は、教諭が2003年5‐6月、男子の曾祖父が米国人だと聞き、男子に対して「アメリカ人」「髪が赤い」と発言したり、男子の耳を数回引っ張ったことなどを認定。「原告に対する体罰、いじめであり、許容されない違法な行為」として市の賠償責任を認めた。一方でPTSDの発症や自殺の強要などについては否定。

=2008/11/25付 西日本新聞夕刊=


by apj at 2009-01-36 21:13:36
おかしな話に変わりはないです

ひろのぶさん、

>何で本一冊ぐらいで信じちゃうかな。↑これこそ単純な二元論に陥っている典型じゃないですか。

 なんですぐ「信じた」ってレッテル貼りたがるかな。その方が二元論っぽいですよね。

 私が書いたのは本の内容そのものですけど。どういう本が書かれたかってことは言わないと意図が伝わらないので書きました。本の内容がバッシングとかけ離れた内容であることは事実です。ただし、最終結論は(判決の報道じゃなくて)訴訟記録を見るまでは保留なのは当たり前では。

 だからちゃんと、
>判決が出る前だったので、その後を追い切れていない(追補版を出してくれることを希望する)。

 って書いてます。報道とかけ離れた内容だったので、どういう形で争うことになるのか興味がありました。弁論が始まった後、教師が弁護士を探していてなかなか見つからないというのが最後の方に出てきていたので。
 裁判やっても報道通りにはいかないんじゃないかなとは思いましたが、こればっかりはやってみないと分かりませんし。

 ただ、この手の問題については、あくまでも訴訟記録の方が1次資料という立場です。判決が出ても、民事の争いは、弁論の仕方次第で相当違ってくることがあるので、判決の短い報道があったからといって、それでわかったつもりになるのはちょっとまずいかと。

 ともかく、判決が出たわけだから、どういう訴訟をしたかの方が気になりますね。訴訟記録を見てみたいです。
 「自殺の強要」があったことが前提で「殺人教師」呼ばわりされていたわけだけど、そっちは認められなかったって話ですよね。これも、どういう形で認められなかったのかまで見ないと何とも言えないんですが。

 民事訴訟は、下手な弁論をしたら自白したことになって、現実に起きたことがほとんど同じでも、請求が認められたり認められなかったりということが起きます。争い方の構成が悪くても結論が違ってきます。持っていき方でかなり変わるんですよ。記録を見てから「こう持っていけば請求が認められたんじゃないか」と思うことだってあるし、「やっぱり無理だろう」と思うこともあります。

 報道通り判決はが市に対して出たってことは、提訴の相手は市だけなんですかね。本の方では教師本人が弁護士を探している話(それも裁判所に呼び出されて裁判官から弁護士見つからないの?と訊かれているという話)になっていたので、提訴は教師に対しても行われたと理解するしかなかったのですが、この部分も要確認ですね。

 まあ、信じていると誤読されたのなら注意書きを追記しておきますけど。


by apj at 2009-01-08 23:58:08
別の引っかかり方をしてみます

 追加です。

 バッシングされてたのは教師個人であったのに、報道によれば判決は市だけに出ているらしいので、いろいろ疑ってみたくはなります。

 もし、市(というか教育委員会)が最初の対応に失敗して、訴訟のことまで考えずとりあえず丸く納めるためにいじめがあったことにして謝罪するなどして相手に証拠を与えてしまっていたら、裁判で覆すのは難しくなるかもしれません。この場合は覆せなかったらイジメの事実が認定されてしまいます。
 誰を被告にするかは原告が決めるので、この場合、教師本人のみ、市のみ、教師本人と市の両方を被告にする、というパターンが有り得ます。
 単純に、支払い能力が確実にあるから、という理由で市だけを被告にするというやり方もあります。感情的に納得できないから教師も入れる、というやり方もあります。が、いじめの事実を認める行為をして証拠を残したのが市の対応だけで、教師個人はいじめの行為自体を否定しているから、教師本人に出てこられると立証が危うくなるので教師を被告から外して、使える情報を出した市の方を相手にする、ってやり方だって、状況によっては有り得ると思います。

 いろんなケースが想定されるので、本だけからは言えないし、判決の報道だけからも結論は出ないんですよ。立証の根拠に何がどこまで使われたかまで見ないと言えない。判決文には裁判所の判断も示されるので、全部読むと少しは見えてきますが、整理された形になっているので、具体的に何をだして攻防戦をやったかは、訴訟記録までいかないとわからないんです。

 もし、市だけを被告にしたのであれば引っ掛かりますね。イジメのような場合だと、実行した人に対する処罰感情が強くなると思うので、教師本人も訴えたくなるのが普通だろうと思うので、じゃあ本人が出てくるとまずいことでもあるのかと。

 民事は刑事とは違うので、どこを突破するかまで含めて戦略だったり弁護士の腕の見せ所だったりします。下手に謝罪するとそれだけで後で不利になったりするので、なかなか難しいです。


by ひろのぶ at 2009-01-32 07:41:32
Re:裁判所まで行くとはっきりすることがある

> 提訴の相手は市だけなんですかね。
この教師は公務員の立場なので職務として賠償をかけようとすると国家賠償法の関係で個人の責任を追及できないという法律上の理由でしょう。たぶん。


by apj at 2009-01-58 09:44:58
そういや、公立の小中高は法人化してなかった……

ひろのぶさん、

 確かに、国賠法でいくなら市だけが対象になりそうですね。

 いずれにしても訴訟記録を何とか読みたいものです。マスコミのバッシングと「でっちあげ」の記述はまるで正反対、訴訟の結果は耳をひっぱったのと外国人発言は認めたが、殺人教師の元になった自殺強要は認めず、という状況だと、認められ方まで見ないとわけがわかりません。

 ただ、そうするとやっぱりマスコミのバッシングは、本とは関係なく相当アンバランスだと思います。

 国賠法の関係で市が訴えられても、教員個人は訴訟の当事者になれないのだとすると、事実関係を争う機会すら無いわけですよね。にも関わらず公務員個人を特定してバッシングするというのは、マスコミのやりすぎに見えます。責任を追求できる相手を批判する、つまり、市の対応を非難するというのならわかりますが、責任を負わせてももらえない人を非難しまくるのはやっぱり変です。また、守秘義務を課されているためダンマリを決め込むしかないという場合だと、そういう相手をバッシングするのは、相手が手足を縛られているのをいいことにサンドバッグ代わりするというのとあまり変わらないような……。

 国立大学は法人化のおかげでこの部分をクリアーしました。仮に大学だけが訴えられて、放って置いたら大学が負けそう、という場合は、教員個人のの訴訟参加という手が使えます(補助参加とか独立当事者参加とか)。そのかわり、教員は保険に入ることになったし、裁判で負けた大学から求償される可能性もありますけど。
 存分に争える今の制度の方が私の趣味には会ってます^^;)。


by 酔うぞ at 2009-01-59 10:54:59
日々不安に

なっております。

パソコン通信以来、20年以上ネット上に書き込みをしていて、何度も間違えを指摘されていますが、ワットワーカとして一次情報を常に確認することは現実的ではないので、信用できそうな情報として報道をアテにするわけです。

しかし、最近は報道自体が段々と信用できなくなってきた、と感じています。

割と有名なのは、共同通信の配信記事が「速いけど間違えが多い」ですね。
たまに、全くの誤報として企業動向(合併計画など)を出します。

こう言うことを知ってくると、複数の報道を合わせて読むようになります。
今、わたしのブラウザーには報道関係でまとめてあるブックマークは200を越えています。

しかし、それでも「何かヘンだ」と感じることはあって、白河高校のPTAが学校事務員に給与を払っている、という情報は現地に取材に行ってきました。

これらの判断基準はどこにあるのか?と聞かれたとすると「勘です」としか言いようがないですね。

まあ、一般的に良く言われることですが、ヘンにセンセーショナルな報道はなんか事情があることが多いです。
最近は、テレビ局が出す情報が片っ端から、何か力が入り気で、信用は二の次で視聴率が最優先、というイエロージャーナリズムになってきているように感じます。

ところで、元の「裁判所まで行くとはっきりすることがある」については、条件付き同意、であります。

条件付きとは「自分が裁判所で傍聴して説明も受ければ分かる」という意味での「分かることがある」に同意なのですが、じゃあ「分かった自分が社会に報告できるのか?」となると、無理ですね。

よく知っている事件に付いてもキチンと説明するのはかなり難しい。
相対的には新聞記事などは「上手に伝えている」と思います。

情報の信用という観点では「色々な手法で一つの事件についての情報を集めるべきだ」でして、その点ではインターネットは期待が出来る、思っているのです。


by DH98 at 2009-01-01 23:12:01
ゾッとしました。

このエントリーは私にとって怖いものでした。ゾッとしました。
安部医師の事件について私は完全に新聞・テレビに誘導されていたことに気づかされたのです。
こう書くと、「ひろのぶ」さんから「ブログのエントリーぐらいで信じちゃうかな。」と突っ込まれそうですが。
マスコミからの情報の扱いはすでに「酔うぞ」さんがコメントされてますが、私は「酔うぞ」さんと類似の姿勢をとらないと「怖いことになるな」と考えてます。

今回のエントリーについてapjさんに感謝します。


by apj at 2009-01-18 17:05:18
むしろリンク集の公開を希望

酔うぞさん、
 そのリンク集、公開してほしいですね。

DH98さん、
 人間のやることですから、マスコミの報道だって100%正しいことを求めるのは無理でしょう。問題は、間違った後の対処ですよね。訂正を出すならいいんですが。でも、最初からわざとに一部の情報を隠したままにして誘導するのはダメでしょう。

>こう書くと、「ひろのぶ」さんから「ブログのエントリーぐらいで信じちゃうかな。」と突っ込まれそうですが。

 いやだって、判決の報道などという、そのまま受け取るとまずいことが多いものを持ってきて突っ込んだつもりになってるってのもどうかと思うわけで。