大学から教員個人が情報発信する時の責任は大学ではなく教員個人が負うべき
神戸の裁判の第1審判決の、独立当事者参加の意味について少し書いておく。
都合の悪い情報を出させないための「口封じ」として、あるいは、気に入らない情報を発信した人に対する感情的制裁として、発信者の所属組織にクレームをつけるというのは、常套手段である。
水商売ウォッチングを始めた時から、大学にクレームが来るであろうことは予想していたし、そのための対策も考えていた。
最初のクレームの時は、お茶の水大学のウェブ運用規則が十分整備されていなかったので、大学の方が混乱して、ウェブサイトを公開停止にしてしまったので、阪大の菊地先生のグループに居候していた。その後、ウェブ運用規則を整備することになった。そこで、冨永教授に「大学が直接編集責任を負う公式ページと、研究室単位で運営されるページの管理を分けないと、研究室からの情報発信ができなくなる」といった議論をし、規則の内容を現行法にすりあわせるという提案をした。このとき、私が冨永教授に伝え、冨永教授も大学に伝えたことは、研究室ページから発信する情報についての責任は、大学ではなくて冨永教授か、文章を書いた天羽が直接負うべきである、ということだった。大学が、プロバイダ責任制限法にのっとった規則を準備したので、手続通りに動けば、大学がかなり安全な状態になった。このあと、コンテンツをお茶の水大に戻して今に至る。
ただ、規則が決まった時、「大学はかなり安全にはなったが、それでも、嫌がらせの提訴までは防げないだろう」というコメントが出ていた。私もその通りだと思い、嫌がらせの提訴をされた場合にどうやって防衛するかが次の課題だと認識していた。これが、2002年の後半から2003年の前半にかけてのことである。
吉岡氏によって大学が提訴されたことを知ったとき、私が最初に考えたのは、私が原告となって債務不存在確認の訴えを吉岡氏に対して提起し、審理を併合してもらうように裁判所にお願いする、という案だった。この案を持って、絵里タンの所に行ったところ、「別訴の提起では元の訴訟を止められないから、民訴47条によって独立当事者参加をしてはどうか」というアドバイスをうけた。そこで、そのアイデアに従って、独立当事者参加をして、弁論することにした。
※裁判所に対して矛盾しない判決を出せという要請があるので、別訴提起&併合審理でも、独立当事者参加と似たような展開になるのでは?という疑問はまだ残っている。これは、私の民事訴訟法に対する理解が不足しているからだろう。
これまで(例の瀬尾准教授の騒動の時も含めて)、私は、情報発信の内容についての法的責任は大学ではなく教員個人が負うべき、と主張してきた。瀬尾准教授の方は学外blogで表現もトンデモだったが、本件訴訟の掲示板は大学内で弁護士が見てもどこが名誉毀損だと首をかしげていたりした。本件訴訟の原因となった書き込みのある掲示板は大学内のドメインにあるので、大学の責任の割合が高くなりそうではあるが、それでもまずは発信者が責任を負うべきだというのが私の考えである。今回の裁判所の判断は、「本件論評が原告に対する名誉段損行為であるとすれば,不法行為責任(損害賠償義務及び本件文書削除義務の双方が含まれる。)を負うのは原則的に情報発信者側の参加人らであり」というものなので、私の主張に近いものとなっている。
教員の情報発信の内容にそれなりに正当性がある場合であっても、事情を知らない大学が対応したのでは、十分な攻撃防御ができるとは思えない。不十分な訴訟活動が原因で大学が敗訴したら、情報発信は相当に阻害される。このことは、今回の判決の理由の中で、裁判所も触れていた。所属組織を脅して口封じをするようなやり方を容認してはならないのである。
仮に、教員の情報発信に関わる法的紛争を大学が一手に引き受けるということになったら、現実問題としてリソースが足りず、結果として、大学からの教員による情報発信を制限せざるを得なくなる。逆に、教員の側が、大学が応訴してくれるから、と、安易に不法行為認定されるような情報発信をするようでも困る。結局、発信者本人が責任を負うことが、情報発信の自由を確保すると同時に、不法行為となるような情報発信をむやみに行うことに対する歯止めにもなる。
判決の理由に書かれた説明により、大学の責任については、プロバイダ責任制限法に基づき、「他人の権利が侵害されていることを知ることができたと認めるに足りる相当の理由」というハードルを越えない限り、免責されるということがよりはっきりした。つまり、発信者の不法行為責任が認められたとしても、それが直ちに大学にも責任が生じることを意味しないということである。
大学が免責されるかどうかは、「認めるに足りる相当の理由」をどう判断するかによって変わってくる。元の表現が、誰が見ても直ちに名誉毀損だろうという内容ならば「認めるに足りる相当の理由」ありと判断される可能性が高い。しかし、当事者が、証拠を提出し弁論したものに基づいて裁判所が免責理由等について判断する、ということになると、話が違ってくる。裁判所がそれなりの手間をかけて争点整理をしてからでないと結論が出ないようなものについて、大学に対し、プロバイダ責任制限法にのっとった書類のやりとりを見ただけで同じ結論を出すことを求めるのは無理がある。すると、発信者の不法行為は認められたがそれは審理を行い入り組んだ判断をした結果であるので、大学にとって「認めるに足りる相当の理由がある」とはいえなかった、となり、大学が免責される可能性がかなり出てくる。
今回の訴訟で、「発信する内容についての責任は発信者が負うつもりであったし、その責任とは、法的責任のことである」と弁論した。実際、法的責任を負うために訴訟参加し、攻撃防御を行った。学内規則を決めた時に、お茶の水大学内の関係者に対して主張した「発信者が責任を負う」という約束を、今回の訴訟参加によって、守ることができたと考えている。この点は、冨永教授にとっても同じだろう。
実は、昨年、吉岡氏から勤務先に来たクレームについて、私の方から、削除義務が存在しないことを確認する、という請求を立てて、私が原告となって提訴した。こちらは、吉岡氏がろくに弁論しなかったため、認容判決が出ることになった(つまり削除は必要無し)。勤務先に削除要求が来た段階で、発信者が直接法的手段をとって防衛するということを試してみたのだが、一応この方法も使えそうだという感触を得ている。
今回の判決で、所属組織が提訴された場合には、独立当事者参加を行い攻撃防御に参加することで情報発信の自由を確保することが可能であるとわかった。十分弁論すれば、不法行為ではないと判定されることもあるし、判定が難しかったので「認めるに足りる相当の理由」無しという形に持っていくことで組織を免責するということもできる場合がある。訴訟を厭わない姿勢が発信者に必要なので、それなりに過酷だし面倒でもあるが、表現の自由の確保がタダでできるわけはない。権利は戦って得るものだということなのだろう。
なお、当事者参加には補助参加というのもある。しかし、被参加人の訴訟行為と抵触する行為は効力を有しない(民訴45条)し、当事者が異議を申し立てる(民訴44条)ことができたりするため、参加人の立場は弱い。独立当事者参加であれば、異議申立ての手続はないし、被参加人とは関係無く独立に攻撃防御をすることができる。
所属組織と参加人の利害が必ずしも一致しない場合があること(たとえば、訴訟費用節約のため所属組織が早々に和解を考えていて、参加人は判決がほしいと考えている場合など)を考えると、独立当事者参加の方がより良い選択肢だろう。
もちろん、これらの方法で結果を出すには、もとの表現が防衛的に書かれている必要がある。誰が見ても名誉毀損だという内容を書いてしまったのでは、争うだけ無駄となる。真実性(争いになったときどこまで証拠を出して真実であることを裁判官に示せるか)と、表現内容の公益性については、常に意識しておくべきだろう。