多分正しい体験談
「私は○○を使って、永年悩んでいた病気××が治った。私は実際に体験した。
だから○○は××に効く、但し私に限って(他のヤツの事は知らん)」
前半で真実を語っていても、そこからは「私に限った」結論以上のものはは導けない。それを、「自分に効くから他の人にも効く」と、根拠もないのに風呂敷を広げるからウソになる。
この範囲でなら、間違ったものを信じて損をしても、本人のみに留まる。まあ、人には愚行をする権利だってあるわけだし。
ここからは旧ブログのコメントです。
by zorori at 2009-04-04 08:00:04
Re:多分正しい体験談
こんばんは、
「私は○○を使っていた時期にたまたま、永年悩んでいた病気××が治った。私は実際に体験した。」
というのが正確かもしれませんね。
by apj at 2009-04-01 11:19:01
確かに……
「体験した」からは「体験した」以上のことは何も出てこないですし。
by 酔うぞ at 2009-04-13 18:03:13
うまく説明できれば苦労はない
高校や中学で話してみると、インスタントといいますか「正解(誤答)をはっきりさせる」方向しか考えないのが良く分かります。
要するに、理解=暗記なんですわ。
論理性なんてのは無いわけです。
だから、体験談 → 一般論に反論が出来ない。
というよりも「反論なんて必要ない」と思っているフシがある。
これでは将来は不安なのではないか?と思うのだけど、それを考える余裕もないらしい。
by 高橋 芳広 at 2009-04-37 17:18:37
相関と因果関係等
みなんさんこんにちは
zororiさん:
>私は○○を使っていた時期にたまたま、永年悩んでいた病気××が治った。
体験だけでなく、こちらも大事だと思います。病気が直った時期に、使っていたものが病気に効いたと、する考え方も誤りの一つではないででしょうか。
一般的に2つの事象間の相関があるというだけで、因果関係があるという触れ込みが少なからずあります(それを科学的と称している輩)。
例えば、XとYと二つの観測量に正の相関があるので、Yの数値上げるために、頑張ってXを上げる工夫をしましょう。などという業務改善策が横行しています。
酔うぞさん:
>これでは将来は不安なのではないか?と思うのだけど、それを考える余裕もないらしい。
元々人間の脳は、結論がでないと不安になるようです。そのため、なんらかの結論を出してくれる人に飛びつく。
なので、判らないものは、判らないまま置いておく、判断保留を教えるのも理科(科学)教育の重要な点だと考えています。
ですので、これは教育側(親も含めて)の問題だと思います。
by apj at 2009-04-22 10:48:22
Re:多分正しい体験談
高橋 芳広さん、
わからなさに対する耐性をつけろ、というのは、10年近く前から主張していることだったりします。
>例えば、XとYと二つの観測量に正の相関があるので、Yの数値上げるために、頑張ってXを上げる工夫をしましょう。などという業務改善策が横行しています。
それならまだマシな方ではないかと。
教育現場だと、XとYの2つは観測していないが相関があるに違いないと(誰か偉い人が)思ったために、Yを良くするためにXを変えましょう、となります。