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他人を騙してはいけないという規範

Posted on 4月 24th, 2009 in 倉庫 by apj

 ニセ科学の定義の中に、人を騙してはいけない、という規範が含まれているということは既に書いた。
一方で、SFなどのフィクションも読者を騙すし、うまく騙したことが良く評価されることもある。また、善意でつく嘘というのもあったりする。このあたりを整理してみる。

 なぜ「人を騙してはいけない」を規範にするべきかというと、人は万能ではないので、必ず誰かの行為を信頼して暮らしていて、それで社会が回っているからである。
 八百屋や魚屋で買い物をする時は、商品の札と商品が一致していて、値段相応のものを売っていることを信用して買う。もし、八百屋や魚屋が騙し放題だということになったら、買う前に商品をいちいち消費者がチェックしないと安心して買えないということになる。野菜の新鮮さ程度だったら葉っぱの様子を見れば素人でもわかるが、怪しいルートで購入したものでこっそり使用禁止になった農薬が使われてて残留してます、なんてことになったら、見つけ出すには高価な分析装置とそのための知識が要る。魚の新鮮さは魚の目などを見ればわかるが、産地偽装をされていたら、仕入れ元までたどらないと説明通りの品かどうかがわからない。
 人は騙してもいい、騙される方が悪いのだということになったら、各個人で、いちいち真偽を確認しなければならなくなって、判断のためのコストが跳ね上がることになる。それを怠ると、不当に財布の中身を奪われることになる。こんなことにならないためには、「人を騙してはいけない」という規範にみんなが従った方が良いだろう。

 もちろん、人のすることだから、ついうっかり騙してしまった、ということは起こる。この場合でも、人を騙してはいけない、という規範が機能していれば、無料で野菜を取り替えるとか、次から間違った札を貼らないように気を付けるといった対応がなされるだろう。決して、「騙したっていいじゃないの、細かいこと言うなよ」とはならない。

 こう考えると、SFの擬似科学が人を騙すのと、ニセ科学が人を騙すのは、全く別だということがわかる。SFの擬似科学に騙された場合には、騙される人が了解済みだというだけではなく、騙された結果他人の行為に対する信頼が壊れて真偽の判断のためのコストが上がるということは起きない。アイドルだって、姿形その他で観客を騙して楽しませているが、このことによって、真偽の判断のためのコストの上昇は起きたりはしない。一方、ニセ科学は、他人の行為に対する信頼を壊す原因となる。

 「人を騙してはいけない」という規範の意味は、人を騙すことによって、他人の行為への信頼を前提にして回っている社会を壊すからまずいという意味である。逆に言うと、他人の行為への信頼を壊さない嘘に対してまで、杓子定規に「人を騙してはいけない」という規範を適用する必要はないだろう。たとえば、善意から出た個人間の嘘なんてのは、社会規範の問題というよりも文学で取り扱う主題である。

 じゃあ、なぜ「ニセ科学」という括りを設けたのかというと、他の騙しについては既に別の括りで名前がつけられ社会的対応がなされていたけど、科学を騙った嘘についてはたまたま残っていたからではないか。産地偽装、消費期限偽装、耐震強度偽装等々と呼ぶよりはやや広い括りで、しかしこれらと並記される位置に、「ニセ科学」があるのだろう。


ここからは旧ブログのコメントです。


by 高橋 芳広 at 2009-04-16 10:45:16
揚げ足とりですが(値段相応とは?)

騙すのはいけない。騙すと確認するための無駄なコストがかかかる。
と言う主張には、賛成です。

特に企業ではコンプライアンスなどと言って、性悪説に立ち箆棒なコストをかけています。これも、ほんの極一部に悪いことをする人がいるためです。

しかし、値段づけは別な話しだとと考えます。
定価がついていて、値切らないというのは日本を含めた極一部の文化ではないでしょうか?

最終的な物の価値は、買って使う人の評価により変わってくるものではないでしょうか。買う人の評価よりも安い値段なら買うし、高い値段なら買わない。

定価がついていて値切る余地も必要もない文化と、自分の価値基準によって値切る文化とはどちらが正しいというものではないと思います。(私は面倒なので、定価で買う文化のほうが楽でいいですが…)

そういう意味で、騙すの対比に「値段相応」というのが引っかかりました。相応かどうかは買う人の価値観で、売る側で決めるものではないと考えます。あくまでも、売る側は、買う人の価値観を推定して値づけしているに過ぎないのではないでしょうか。

例えば、同じものをX国産と正しく明記して、国内産地のもの半値で売る場合と、同じ値段で売る場合ではどちらかは相応の値段ではないと思います。しかし、高いと売れないだけであって、社会的にいけないとは言えないと考えます。

勿論、偽装や禁止農薬の嘘は論外ですが、単純に値段のつけかただけは騙すことにはならにのではないでしょうか。


by Niimi at 2009-04-50 15:01:50
価格表示

いわゆる二重価格であれば「値段の付け方で消費者を騙している」ってことになるんじゃないかな?

「公正取引委員会:二重価格表示」
http://www.jftc.go.jp/keihyo/nijukakaku.html


by apj at 2009-04-58 05:23:58
持っている情報量が違うから……

高橋 芳広さん、

 値段相応、の表現の部分は、もう一工夫した方がよさそうですね。

 私は、消費者が値段相応と判断するためには、正しくかつ十分な情報を消費者が知っていることが前提だと考えていました。実際には、消費者は必ずしも十分な情報を知っているわけではありません。すると、「正しくかつ十分な情報を知っている消費者であれば商品の値段としてはまあ相場だろう」と判断するであろう値段をつけて売っているだろう、ということを前提にして不十分な知識のままで購入するわけで……。こういう意味で値段相応と書きました。主観的に消費者が満足するかどうかという意味ではなくて、ある程度の客観性を伴った値段、といった意味合いです。
 このへんのことがはっきり伝わるようにもっと書いた方がいいかもしれません。


by 高橋 芳広 at 2009-04-10 06:31:10
揚げ足とりですが(一般論ととってしまうと)

apjさん

 回答ありがとうございます。
 仰りたいことはほぼ理解・同意できているつもりですが、値段(価値)の評価の仕方にはこだわりがあり、突っ込みをいれおります。

 一般論から言うと、客観的な値段はないと考えています。
 だたし、特別な条件では(日本の社会では普通によくある条件ですが)、意味をもつとものと思います。

 例えば、他店でも同じものが売られているとか、競業他社が類似製品を販売しているなどの比較対象があるものは、その値段が妥当なものかどうかは判断しやすいでしょう。で、この比較しようとした時に、商品の属性を騙すなというのが論旨だと理解しました。
 これについては、全面的に賛成です。

 それ以外のもの、例えば全く今までに概念すらなかったものについての値段をどうするかといった場合には、客観的な値段はないと考えます。
 記事から「原価+α(利益)=相応な値段」というイメージを持たれている様に思えたので書き込みました。(私の勝手な思い込みかも知れません。)


by apj at 2009-04-00 08:28:00
条件絞った方が良さそうですね

高橋 芳広さん、

>競業他社が類似製品を販売しているなどの比較対象があるものは、その値段が妥当なものかどうかは判断しやすいでしょう。で、この比較しようとした時に、商品の属性を騙すなというのが論旨だと理解しました。

 この趣旨は勿論含んでいるのですが……。

 原価+α、のαが妥当な範囲か、ということも考慮する必要はありますよね。業界ぐるみでカルテルをやってて、αが非常識に高い状態が維持されるような場合、やっぱり騙しているというしかないでしょう。

> それ以外のもの、例えば全く今までに概念すらなかったものについての値段をどうするかといった場合には、客観的な値段はないと考えます。

 これはどうにもなりませんよね。


by 高橋 芳広 at 2009-04-44 10:01:44
RE:条件絞った方が良さそうですね

apjさん

>原価+α、のαが妥当な範囲か、ということも考慮する必要はありますよね。業界ぐるみでカルテルをやってて、αが非常識に高い状態が維持されるような場合、やっぱり騙しているというしかないでしょう。

生産者側は原価とは関係なく買い手側が十分な価値を実感できるものを提供することにより、できるだけ原価+αの価格にならないような工夫をしています。

例えば、市場でセリが行われるものは、原価+αの世界ではありません。そのため、希少価値がある時期に出荷できれば、結果としてのαは大きなものが得られますし、逆に大量・豊作で赤字ということもありえます。

また、美術品の製作者なども原価+αではないでしょう。
さらに、家電品・半導体などでは作りすぎて値下げ競争が起こり、αは0に近くなったり、マイナスになったりします。

つまり、『「妥当な値段=原価+妥当な利益」が成り立つのは、限られた条件ときのみ。』というのが、私の主張です。


by apj at 2009-04-22 10:36:22
議論が混乱しているのでは

高橋 芳広さん、

>生産者側は原価とは関係なく買い手側が十分な価値を実感できるものを提供することにより、できるだけ原価+αの価格にならないような工夫をしています。

 これを無条件に前提にできるのなら、世の中にはカルテルも悪徳商法も存在しないはずですね。

>つまり、『「妥当な値段=原価+妥当な利益」が成り立つのは、限られた条件ときのみ。』というのが、私の主張です。

 別にこれ以外にも妥当な値段の決め方はあるし(希少価値で値段が上がるとか)、そういうのも含めて「客観的」と書きました。業者が勝手なぼったくり価格をつけた場合に、どれだけぼったくってるかを決める基準のようなものです。基準から大きく逸脱する場合は、騙されている場合に分類することになるというのが私の主張です。

 値段は社会的背景やらその時の状況やらで決まるのでしょうけど、それでも相場というものがあるはずで、大きく外れると「騙している」と言える状態になるだろうと考えています。

 騙されてぼったくられた、ということを主張できるのが、そんなに限られた条件の時だけじゃないですよね。で、ぼったくられたと言うには実際の価格がある基準に比べて不当に高い、と言わなければならないわけですし。

 悪徳業者が決める勝手な値段との対比として客観的と書いたのですが。客観的以外に何か適切な言葉があれば置き換えますけど、ありますでしょうか。


by zorori at 2009-04-08 17:10:08
Re:他人を騙してはいけないという規範

>値段相応、の表現の部分は、もう一工夫した方がよさそうですね。

 「八百屋や魚屋で買い物をする時は、商品の札(性能、品質)に買い手が認める価値よりも価格の方が安ければ買う。そして商品の札が正しいことを信用している。」というのは分かりにくいでしょうか。

客観的なのは商品の札(性能、品質)であり、売買成立の価格は売り手と買い手の主観の折り合いで決まるということです。

余計な話ですが、公共料金や公共の予定価格は「適正原価+α」という硬直的な考え方によっているため、さまざまな問題を引き起こしています。そもそも、買い手は適正原価を知ることができるはずがないのですが、ものすごい労力を投入して積算して、さらにそれが適正かどうか会計検査院が細かくチェックします。そのように非常に精度の高い予定価格を作り上げても、札の価格は予定価格の半分になったり、2倍になったりするんですね。 


by 高橋 芳広 at 2009-04-22 21:11:22
Re:他人を騙してはいけないという規範

zozoriさん

議論を整理していただき有難うございます。

>客観的なのは商品の札(性能、品質)であり、売買成立の価格は売り手と買い手の主観の折り合いで決まるということです。

私の言いたかったのは、まさにこのことでした。

うまい表現ができなくて、混乱させたかもしれません。>apjさん。

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【余談ついでの余談】
 どうも日本には、儲ける事自体がいけないこと(儲ける事≒不正)というパラダイムがあるようでして、弊害が少なからずあるようです。(勿論、不正をして儲けるのはいけないことです。)


by apj at 2009-04-48 09:10:48
Re:他人を騙してはいけないという規範

高橋 芳広さん、

>売買成立の価格は売り手と買い手の主観の折り合い

 この点全く同意なのですが、買い手が不十分な情報や偏った情報を与えられていた場合には、そうでない場合に比べて、折り合いのつく金額が違ってくるだろう、というのが私の問題意識でした。買い手に対して、意図的に間違った情報などを与えた場合、結果として、双方の主観で折り合いは付くけれども、その金額は本来あるべきもの(この場合は、買い手が十分かつ正確な情報を持っている場合)とは異なるのでは、という意味でした。客観的と書いたことが誤解を招いたかもしれません。


by g at 2009-04-19 09:52:19
Re:他人を騙してはいけないという規範

 盗用、剽窃のほか、著者の香ばしすぎる発言の数々で話題沸騰中の東京ディズニーランドのエピソード本「最後のパレード」(中村克)のmixiでのレビューを見ていると、盗用、虚偽タイトル、虚偽の広告文句などが種々報道された後になっても「感動した」「泣けた」とか書き込まれているのをみると、「他人を騙してはいけない」という倫理規範は日本ではもはや無くなったのかと暗澹たる気持ちになります。


by 多分役立たず(HNです) at 2009-05-37 05:40:37
>「最後のパレード」

amazonの書評を覗いてきたんですが、こちらは、盗作報道以降、ほとんどが酷評ですね。
#それ以前にも若干酷評がありますが。

Amazon.co.jp: 最後のパレード: 中村克: 本
http://www.amazon.co.jp/%E6%9C%80%E5%BE%8C%E3%81%AE%E3%83%91%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%89-%E4%B8%AD%E6%9D%91%E5%85%8B/dp/4861139295

ネットで検索した感想では、現れた文章では、「(流した)涙を返せ」派と「感動したことは大切にしたい。しかし…(盗作で感動を汚された等)」派などがあるようですね。

私には、文章に違いはあれど、心中の違いはそれほど大きくないような気がします。

#どの点をより大きく見るか程度かと。

#他にも感想等はあるでしょうけど。

amazonで見かけた著者のサイトらしきもの

#現在は削除されていますので、魚拓です

(cache) 読売新聞、日本テレビを提訴します
http://s02.megalodon.jp/2009-0420-1850-32/gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13436734.html
(cache) 読売新聞を読む愚者に告ぐ
http://s04.megalodon.jp/2009-0424-1253-52/gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13437804.html
(cache) ダーティー読売は悪事を繰り返す
http://s04.megalodon.jp/2009-0424-1252-20/gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13438552.html
(cache) 心傷つけテポドンを発射・・読売新聞です!
http://s01.megalodon.jp/2009-0424-1253-15/gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13439238.html

本当にその本の著者のサイトなのでしょうか?ネットで盛り上がるのは良くわかります。

(cache) 毎日新聞の報道は見解の相違、オリエンタルランドも困惑しているでしょう。
http://s02.megalodon.jp/2009-0429-1117-04/gpscompany.blogdehp.ne.jp/article/13440710.html
を見ると、TDL側も、盗作を放置していたわけでは無さそうです。
#こちらは削除されていませんが、念のため。

http://www.amazon.co.jp/review/R1LPEL6N0F7SLO/ref=cm_cr_pr_cmt?ie=UTF8&ASIN=4861139295&nodeID=#wasThisHelpful
を見ると、この騒動に加担させられた側の嘆きと怒りが…

#それにしても、ネットは恐ろしいですね…