当サイトが、お茶大からの公開停止措置の通達を受けて阪大に移転したことは、トップページに書いた通りである。また、大学が公開停止を決める原因となったのは、株式会社プロホームアドバンスからのクレームが原因である。
と、ここまで書いただけだと、当サイトの掲示板、他サイトでの記述やメーリングリストなどに流れているように、「企業からの圧力あるいは脅し」「お茶大が企業の圧力に負けた」というイメージを持たれる可能性がある。しかし、私が認識している現実は、実は全く異なっている。
まず、今回の大学に対するクレームは、発端からしてが勘違いで始まっていた。プロホームアドバンスからのウェブページ改訂依頼やクラスターの話について、私も冨永教授も普通に応対していたのだが、たまたま過去に作られた古いミラーサイトにコメントが残っていて、そのURLにakutokuという言葉が含まれていたため、私がプロホームアドバンスとの交渉に応じるつもりがないと思って、プロホームアドバンスが大学にクレームを送った。当初は、大学がそのakutokuサイトを作ったのではないかとさえ思っていたらしい。ここで一言、私に直接「一体これはどういうことか」と抗議してくれていれば、誤解は即座に解けたはずである。
クレームが大学に届いてからの大学の対応が、どうにも理解できないものだった。クレームの内容自体は別に脅しでもなんでもなく、話し合って誤解がとければ解決する問題だろうという内容だったのだが・・・。
そもそもたかが1研究室のウェブページのことを、全学の執行部である評議会に最初に出す必要があったのか?一体何を考えてわざわざおおごとにしたのか?というのが謎である。どこの大学だって、法人化のさわぎでてんやわんやのはずで、他にもっと重要な会議のネタなど山ほどあると思うのだが。
評議会に話が出たために、広報委員会が開かれた。2001年12月下旬のことだ。そういう手続きの流れが決まってるんだろうけど、そこで結論を出さないのだったら、なぜ、ホームページ運営委員会に問題を丸投げし、「報告しなさい。以上」とやらなかったのか?
お茶大の内部のサーバーにコンテンツを置いている限り、全学の執行部の会議の結論には、冨永教授も私も従わざるを得ない。だから、結論を書面でください、とお願いすると同時に、プロホームアドバンスには、会議の結果を待たずに勝手に動くことなどできないから待ってほしいという連絡をしたのだ。
ところが、このあと、会議の結論をくださいと冨永教授を通して何度言っても書類が来なかった。今頃(2002年4月下旬)になって、広報委員会は、4ヶ月前の会議の結論は「冨永教授が責任を持って処理する」だったと主張している。それなら、なぜ、冨永教授がホームページ運営委員長に、会議の結論をプロホームアドバンスに書面で送って下さいと再三お願いをしたのに、何の手紙も送らなかったのか?冨永教授は当時広報委員ではなかったから、会議の結論を知りうる立場ではなかったが、まぎれもなく当事者である。冨永教授が会議の結論をくださいという要請をしていたということは、冨永教授が会議の結論とその後の処置を知らなかったということを意味する。
さらに、冨永教授は「プロホームアドバンスに会議の結論を書面で通知しないと、何度でも同じクレームが送られてくるだろう」ということも、ホームページ運営委員長に伝えていたはずだ。しかしこれも実行された様子はなかった。「会社に通知を送らないと納得してもらえませんよ」と、冨永教授が言うまで、広報委員は会社に通知が必要だということを認識していなかったらしい。
最初に大学がクレームを受け取ったときに、プロホームアドバンスには「冨永教授が窓口」と伝えたらしい。これで、大学としては「連絡済み」と思っていたのだが、委員会に呼び出された冨永教授は、調査の結果が知らされると思って待っていた・・・。
この結果、大学の執行部を無視することなどできないから、プロホームアドバンスへの対応をすることが全くできず、4ヶ月間放置しておくことになってしまった。
この間に、プロホームアドバンスから、再度の問いあわせが来たらしい。
年度が変わって連休前の広報委員会で、「この問題の責任者は冨永教授である」という結論の後で、atom11サーバーからの一切の情報公開停止が実行された。
通達を見た限りでは、プロホームアドバンスとのやりとりを「係争」と認定し、それが解決するか、広報委員会認めるまでという条件で、停止しなければならない。これでは、プロホームアドバンスとのやりとりが平行線をたどった場合は永久に公開できないし、仮に解決したとしても、当方のページの内容だとまた別の企業からクレームが来る可能性があるから、広報委員会が再開の許可を出さないことだってできる。つまり、公開再開のための条件がはっきりしていなので、実質いつになったら公開できるのか不明だし、どういう手続きで再開できるのかも不明いうことだ。さらに、一切停止だから、「これこれの事情により当分停止」というお知らせすら出せない。コンテンツを別の場所に移動させて状況説明する以外に方法が無くなってしまった。それで、自発的に移転先を見つけてコンテンツを移動させて、atom11サーバーにアクセスしても自動的にリダイレクト処理で、お茶大外のサーバーに行くことがはっきりわかるようにした。
冨永教授が対処するって結論ならば、コンテンツはお茶大内に置いて公開しておく必要があると思うのだが・・・。停止措置では「係争」の原因そのものが消滅してしまうような。それに、出ていくしかないような措置で学外に追い出したら、そこから先、冨永教授の権限でどうやって対処するんだろう?これまでも、学外に移転させようかって話をしたこともあったが、それでも研究室に置いていたのは、自称「非公式・黙認」であってもそれなりに大学の制御できる範囲内でやる、というつもりがあったからなのだが・・・・。
公開停止は、お茶大内のfirewallで学外からのport80を切ることで実現された。このため、自発的に移転してリダイレクトしていたのが全部切れて、いろんな人が迷うことになった。自発的に出ていったのにそこまでやるかぁ、と思ったのだが、教授がいろいろ訊いてみたところ、嫌がらせでも何でもなかったらしい。
port80を閉じることを提案した人は、一時的に閉じてその間に内容が大学の基準に抵触するかどうかを判定したあと、その結論を出してたあと開けて、大学の基準に抵触しない分については冨永教授に一任、というつもりだったらしい。つまり、半日程度で閉じることを想定していたらしい。
ところが、通達の内容は、期限も復帰手順も不確定なものになっていた。その上、審査に入るから一時停止というお知らせすら出せないものだった。
アクセス数がそれなりにあって、いつも見てくれている人もいるから、止め方によっては騒ぎが拡大するということを考えていたとは思えない(水商売、って書いたから風俗と間違えてサーチエンジンから飛んでくる人が多いのかと思ったが、検索単語のトップはマイナスイオンとかアルカリイオン水で、水商売は多くないことがわかった。だから、勘違いで見に来る人は少ないと思われる)。
さらに、措置が原因でコンテンツが学外に移動した場合に、プロホームアドバンスがどう思うかも考えていなかったらしい。行き違いで4ヶ月も待たせた挙げ句がこれでは、責任逃れと思われてさらにもめそうに思うのだが。
こちらが自発的に学外に移転した場合にどうするかということも、考えていたようには見えない。冨永教授によれば、移転するとしたらプロバイダにある冨永教授個人のウェブサイトに行くだろうから、責任は冨永教授に一任できると予想していた節があるらしいのだが・・・。
しかし、もらった通達だけど、どう読んでも、4ヶ月も考えて作った通達には見えない。単なる行き違いと思惑の違いの集積の産物でしかないような。私は新サーバーの立ち上げで数日の研究時間を無駄にしたが、大学に向かって措置について非難してないのは、それをやると、先のことを考えない場当たり的な内容の別の通達が出たりして、さらに収拾がつかなくなりそうだからだ。さしあたり、内部の意志決定と情報伝達の方を先にまともにしてもらわないことには、いくら文句を言ってもどうにもならないと思う。
今回の公開停止について、お茶大はプロホームアドバンスに公式に何も連絡していないし、するつもりもないらしい。つまり、停止はあくまでも学内の処置だと思っているようだ。こちらは移転先で情報を公開したから、公開停止の通達を出したことはとっくに知れ渡っている。その結果、クレームを出した当事者に最後まで処置の内容が大学から知らされないというちぐはぐなことになっている。「内部の処置」で通ると思ってこういうことをするのは、これまでなら通用したかもしれないが、情報の伝達速度が違うインターネットがからむ場合は大きな勘違いじゃないかと思うのだが。
阪大の方は、こういうコンテンツを持つとどうなるか試してみたい、と思ってるらしいので、それではコンテンツを置かせていただくかわりに、そっくりそちらの観察対象になりましょう、ということになっている。変わったコンテンツを作ってどう見られるか実験する、なんてのは、別に大学でやってもいいだろう。もともと、研究と研究周辺の情報公開実験も兼ねて作ったページだから、そっくりネタにしてもらってもかまわない。ページに対する問いあわせその他の状況やアクセスログは、菊池・阿久津・時田先生方と共有している。問いあわせ状況などいろいろ報告したし、移転した場合に他のサイトによってどれだけの速度でそのことが伝搬するかということもわかって、こういうサイトを持つとどうなるかという点については、一緒に経験してもらっているところである。だから、大学の権威云々は全く的はずれで、先生方の観察材料になったというのが正確なところである。これから先は、「観察材料として適切に振る舞う」ということになる。