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Re:なぜ「ゲルマニウム(健康グッズ限定)」の効果がまったく期待できないか
柘植 (2006/12/28 14:36)
とりばち (2006/12/28 17:56)
みつを (2006/12/28 19:52)
apj (2006/12/28 20:30)
apj (2006/12/28 21:06)
とりばち (2006/12/28 21:15)
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zorori (2008/05/15 18:49)
apj (2008/05/15 20:45)
Kei (2008/05/07 21:23)
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読んだのは小学校の4年生か5年生位だったと思う。自分で買ってきたわけではなく、たまたま親が買って家にあったのを見つけて読んだらおもしろくてはまった。
まず何が印象的だったかというと、ベトナム戦争の記述で、急降下爆撃してくる飛行機に向かって正面からライフルの弾を打ち込んで撃墜する話とか、川に竹槍を埋めまくって船が通れないようにする人海戦術の話が文句なしにまず面白いと思った。ローテクでハイテクの隙を突く、というのはネタが戦争であっても面白い。
次に、(多分、連合赤軍事件や学生運動の顛末が背景にあったと思うが)組織を作ると右や左のイデオロギーとは無関係に硬直化する、つまり組織の存続そのものが自己目的化する、といった内容だった。これを避けるためには、均質化しないように異端の存在を意識的に許すようにしなければならない、という部分で、なぜかこれに心底共感してしまった上、正しいと信じてしまった。
そうすると、学校で道徳の授業があっても、教師にお説教されても、話をきくときの視点はこの組織論になるわけで「道徳だと言って異分子を減らそうとする教育をするのは、いずれは組織というか社会の破滅をもたらすわけで、そこまでわかって教育してるのか?」と子供心に思いながら授業をきくことになった。道徳の授業も教科書もちっとも心には響かなかったが、唯一森本哲郎が書いた組織論だけが残った。
多分、その当時の森本哲郎の著作を超える内容の、社会の見方とか切り口を示した上であるべき道徳を提示するのでないと、私には理解できないし受け入れることもできなかったと思う。
ということで、私個人的には、道徳(というか社会と人間の関わり)の基準は、小学生の段階では森本哲郎なんだけど、他の人達がどうかはよくわからない。まあ、こういうのは非常に個人的体験なので一般化はできないと思うけど。
posted at 2006/11/27 00:51:03
lastupdate at 2006/11/27 00:51:03
戦闘中にヤッタラン副長がプラモ作ってて、それをキャプテンが咎めないという話が好きでした。
確かそのあと、被弾の衝撃でプラモが壊れて、副長がキレて敵艦を撃沈するという流れだったと思います。
で、キャプテンが「それぞれが、それぞれの大事なもののために戦っている。何のために戦うかは自由だ。俺はその自由をまもるために戦う」みたいなことを話したような。
まず、教科ではないということ。学活(ホームルーム)や行事、クラブ活動と同列の「領域」という位置づけです。それなので、教科書はありません。教科書のように使われているのは「副読本」と呼ばれ、無償措置ではないので、学校で購入して回して使われたりもします。
教科書がないので、カリキュラムも各学校で用意することになります(教科は、教科書会社が対応したカリキュラム案を作成して提供したりして、それを参考に作成しています)。
次に、学習指導要領では、道徳は、「道徳の時間」だけでなく、学校のすべての教育活動で行うこととなっています。例えば、社会科で働く人の苦労などにも触れたり、理科で生命について考えたりすることも求められています。
「副読本」中心の学習だと、国語の読解のような授業になって、国語の力の低い子どもにはハードルが高くなります。
そこで、簡単な教材が求められます。
ここに、水伝が入り込んだポイントがあります。
それをするのがよいと知っていても、実際できない方が多いですね。電車でシルバーシートに座っている若者も、シルバーシートの意味を「知っている」はずです。
結局は、態度化していくためには、自分の中で価値づけられ、個人の中の文化のように積み重ねられて形成されていくものでしょう。授業や副読本で教えられる「知識」としての道徳には、そんな限界があると思います。水伝で伝えられる「言葉の大切さ」も、所詮、そんな薄っぺらな知識です。
>道徳の授業も教科書もちっとも心には響かなかったが、唯一森本哲郎が書いた組織論だけが残った。
apjさんが出合った森本哲郎のような体験のほうが、道徳としては意味があったということでしょう。
比較的本は読むほうでしたが、もっぱら娯楽としてとか、知識蓄積のためという感じで読んでいました。
ただ、生来の天邪鬼なので、常識といわれるようなことでも一旦は疑って再考してみる癖があるので、小さい頃から人とはちょっと違った意見を持っていることが多かったですね。
そういう性格をしているために、常識硬直型の先生からはとにかく嫌われました。
今でも記憶に残っている悔しい思い出は、小学校のときの理科の授業で「太陽光で気温が上がる原理」についてのディスカッションですね。
私は「空気も完全に透明じゃないから空気自体も多少は暖められる」と答えたのですが、先生は「今の意見をみんなよ〜く覚えておいてね」とか言ってから、教科書を開かせました。
そこには「空気は透明なので太陽光は地面を暖め、地面の熱が空気を暖めて気温が上がる」と書いてありました。
まあこういった柔軟な発想ができない先生が多い限り、(私の子供の頃は半々といったところでしたが最近では増えてそうな気がします)教育改革なんて進まないと思います。
>電車でシルバーシートに座っている若者も、シルバーシートの意味を「知っている」はずです。
ちょっと本題とはずれた指摘で申し訳ないのですが、「シルバーシート」の存在とか、「老人は大切にすべき」という常識自体も疑ってかかるべきものだとは思いますよ。
電車やバスの中では携帯を使わないという常識も。
疑ってきちんと自分なりに考えた結果、「やっぱり老人は大切にしよう」「電車/バス内での携帯通話はやめよう」となるのならそれはそれで結構ですし、異なる結論が出たのなら周囲の人とも良く話してみることが肝要かと思います。
#もちろんこういったものは常識以前に「規則」にもなっていますので規則が規則であるうちは結論に拠らず守る必要はありますがね
>社会科で働く人の苦労などにも触れたり、理科で生命について考えたりすることも求められています。
これをきちんとやろうとすると、そうそうすぐには分からないから、各自で「考え続ける」しかないでしょうね。ただ、そういうしんどいことを止めて簡単にわかろうとすると、薄っぺらなものにしかならないのでは。
>空気は透明なので太陽光は地面を暖め、地面の熱が空気を暖めて気温が上がる
赤外分光を測る度に水蒸気と二酸化炭素の吸収がバックグラウンドにしゃしゃり出て私の測定の邪魔をするのは、はたまたユメかマボロシか……^^;)。
マナーやしつけの部分は、あるていど「型にはめる」訓練で身につきそうですし、学校でも何とかなるかも。それ以上、継続的に考えなければならないものについては、教材を設定しても習得させるのは難しそうに思います。
>それ以上、継続的に考えなければならないものについては、教材を設定しても習得させるのは難しそうに思います。
ここですよね。
困難な問題、とかいじめであればクラス全体のことを無視して法律上の責任としてのいじめた加害者を追求すれば何とかなる、といった結果だけ重視に見えますが今必要なのはプロセス重視であって、これは学校の中のそれもいじめ問題だけじゃないです。
学校について言えば、入試に絡んで選択式の回答や科目数の過度の削減、試験範囲の制限が強すぎるなど、が問題ですし、社会一般について言えば「勝ち組・負け組」という二分的価値観だけで社会を語るような風潮に遠因かあるのです。
どう見ても、教育基本法は「教育的な観点から社会は」といった所に踏み込むのがスジじゃないかな?
教育のそれも学校だけに目標を絞ったら、良くなることはないように思うな。
>各自で「考え続ける」しかないでしょうね。ただ、そういうしんどいことを止めて簡単にわかろうとすると、薄っぺらなものにしかならないのでは。
まさにその通りです。そういうった「考え続ける」ことの積み重ねで自分の中に価値づけられていくのが、本来でしょう。だから多様な教材が必要になるでしょう。
B-51さん
>私は特に人生観の基礎になったような本とかはまったく記憶にないです。
私は、本だけでなく、いろいろあっていいかなと思います。私は、は、アポロの月面着陸と大阪万博で、「科学ってすごい。これからは科学がバラ色の未来を作るんだ」と思いました。原子炉を体内に入れた小型ロボットが「科学の子」として街中で暴れている時代でした。それが小学校高学年になると、社会科で、公害を習うときに、「科学はダメだ。自然が一番」みたいに教えられたのが、大きく影響されたように思います。教師の考えもあったでしょうが、教えられた内容より、「価値というのは、変わるんだ」ということに気付きました。
>常識自体も疑ってかかるべきものだとは思いますよ。
これには、激しく同意します。私は、ニセ科学に対応するのに、科学リテラシー以前に、クリティカルなものの見方を身につけるほうが重要だと考えています。
あえて、クリティカルと書いたのは、以前、某教育学者さんが、クリティカルという考え方を教育現場に持ち込むときに、「批判的に」と訳すと、ネガティブな見方のように思われてしまうというようなことを話されました。よく考えれば理解できるんですが、語感で、あまりよいイメージと思われないということです。
日本語では、批判するというのは、相手を悪く言うイメージがありますね。もっとよい意味で「批判的なものの見方」が子どもに身につくとよいと思っております。
>規則であるうちは結論に拠らず守る必要はありますがね。
そうですね。アメリカには、劇場にライオンを連れてきてはいけない、という法律のある州があるそうです。法律にしないと、連れて来ちゃう人がいるそうです。他民族、多文化の国では、常識に頼るより、法律ということでしょうか。
(当時の)理科の教科書によるとマボロシらしいです^^;
私の場合はこれで素直に信じる性質ではなかったので良かった?ですが、教師からこういった指摘をされたら素直に信じ込んでしまう人も多いでしょうね。
まあ、小学校の先生は一人でいろいろな教科を教えるので大変だとは思いますが、これくらいのことに頭が回るくらいの科学的基礎知識と生徒の意見を頭から否定しないだけの分別は持ってもらいたいところです。
>アメリカには、劇場にライオンを連れてきてはいけない、という法律のある州があるそうです
確かにアメリカはそういう風潮が強いみたいですね。
でも、こういった点はアメリカの良い点でもあると思います。
固定観念にとらわれず、いろいろな考え方が存在し、それを言い合える社会ですからね。
間違った方向に進みやすいところはありますが、逆に軌道修正が利きやすい社会でもあると思います。
日本のような社会だと、一度決まった軌道は間違っていると分かってもおいそれとは変わりませんからね。
いるのは(道徳の時間に読んだのか国語の時間に読
んだのか忘れましたが)
「(おいらの名前は)清廉潔白の『廉』ってんだ」
というフレーズです。
(原作の表現はどうも微妙に違うようですけど)
「廉」という名前の少年との会話で、男が良心を取り
戻すというストーリーでした。
3・40年経っても覚えています。出典の方は忘れて
しまっていましたが、検索してみると「清廉潔白の廉」
でみごとヒットしました。
(「水伝」は真実でないことを真実だとして利用しよう
とすることに何か曲がったものを感じてしまうのですが、
フィクションでありながら、良心とは何かをきちんと
示してくれる(フィクションだと読み手も知っている)
物語の方が道徳教育には向いているのではないで
しょうかねえ。
この著者の短編はいろいろ使えますよ。
>これくらいのことに頭が回るくらいの科学的基礎知識と生徒の意見を頭から否定しないだけの分別は持ってもらいたいところです。
小学校で生活科が導入された頃(小学校低学年の理科と社会が廃止され、代わりにできた教科)の話です。もともと生活科は、総合的学習の低学年版を意識していましたので、体験を重視します。その体験の必要を説くのに、生活科以前の教師の例として、使われた話だったように記憶しております。
子どもたちと教師が、桜の花を観察に行きました。先生は「桜の花びらは5枚だぞ」と説明します。ところがある子どもは、「先生、この花は6枚あります。」それを聞いた先生は、「あっ、それは、その花が間違っているんだ。」
すいません。あまり面白くないですね。でも、冗談にならないほど、こういう教師たちがいたのです(今もかな)。
子どもの発見をもとに、いろいろな話へ広げていけたかもしれません。もしかしたら、大発見かもしれません(蝶の羽が左右違うのなんか、すごい高価らしいですね)。「教師は、教科書を教えるもの」と、考えている教師が、こうなります。そのアンチテーゼとして、生活科や総合が考えられたという面もあるのです。
RBの残党さん
新見南吉ですね。
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この作品の中にも「ばか」という言葉が何回も出てきますが、江本氏のところにある水は、この言葉でどう結晶をつくるのでしょうか。気になります。
そういえば、「愛国心教育」について、ヒトラーがこんな事を書いていましたねぇ──「ドイツ国という考え方に喜びが少ないのは、各邦の側の主権の喪失に帰すべきものではなく、むしろドイツ民族が現今自己の国家によって経験しているあわれむべき代表の結果なのである。ドイツ国歌や憲法の制定記念祝典などをみんなやるにもかかわらず、(中略)ただ一人のドイツ人の愛さえも得ることができないのである。法令の条項や刑務所によって、自国の市民から共和国を保護しようとする心配のしすぎは、全機構自体のこのうえもなく破滅的な批判や軽べつをもたらすのである」──今書くなら、刑務所のところは通信簿とか内申書とかになるのでしょうか。
まさにその例え(実話なのかもですが)の通りだと思います。
最近の先生たちは(自分が生まれるより昔が同だったのかは知らないですが)受験のための勉強をしてきた世代がメインですからね。
おまけに先生になろうと思うような人には、いわゆる優等生が多いでしょうから、官僚主義に毒された硬直型詰め込み教育の影響をもろに受けてしまっている人が多いのではないでしょうか。
さらに、輪をかけて一般的な社会経験が薄いのですから、「教科書第一」で教えようとするのも無理はないですね。
>私は、本だけでなく、いろいろあっていいかなと思います。
あといまさらですが、これについて。
自分の性格と言うか考え方の基本がどこにあるのかと、悩んでいたのです。
あまり、はっきりとはしないのですが、小さい頃から工作とか好きでいろいろ作ったりしていましたし、親父が車の整備をするのを見ていたり(整備士とかではありませんが当時の車ですから多少の整備はちょくちょく自分でやる必要がありましたので)して、細かい単純な機構の組み合わせが複雑な機械を作り上げるようなことを実感していたってのが大きいのかもしれません。
そのために、さまざまなことを分解して極力単純化して考えるような癖が付いたのかもしれません。(本当に分解したおもちゃなんかも数知れず…)
なぜでしょうかね。教育現場で何かするとしたら、このあたりから変えないとだめかもしれませんね。批判は当然やっていいこと、という方向に持っていかないといけない。
ところが、「人の嫌がることをしてはいけない」などと薄っぺらなことを教えたために、批判もよくないと思っちゃう人多数になったりするわけで。主観以外に「仮に特定の誰かが不快感を感じたとしても、客観的にそれは全体にとってプラスになる」というモノサシがあるということも教えないとダメでしょうね。
他人のやってることを、悪いことも良きことも言わない。
これによって、自分についても言われない、というヲチ。
余談ですが、ノーベル賞について、日本の学者さんに「誰か推薦する人はいませんか?」と選考委員から問いがあっても、ほとんど回答はないそうです・・・。
私の師匠の見解なんですが、これについては「アイツにだけはノーベル賞取らせたくない」という足の引っ張り合い根性の方が主な原因ではないかと。
現実には、「自分以外の誰か」の受賞でも、最低2,3年に一度は受賞者が日本人から出れば、社会における基礎科学全体のステイタスを引き上げる効果なんかもあったりするわけで、受賞はしないけど頑張ってる普通の多くの研究者にとってもいいはずなんですけどね。
日本人の勘違いですね。個性の尊重=批判はダメという。
批判を認めるということは言い換えれば違いを認めるということにも繋がる訳で、それこそが個性を認めるということの本質になる訳なんですよね。それが日本の場合、違いを認めずに突出した人間の批判は許さない、ということになってしまう。ましてやその突出した人間が集団の利益に適っていたら神聖不可侵になってしまう。それが結果として組織の暴走になっていったか、枚挙に暇がありません。
そう言えば、日亜化学の中村教授もそうした視点から見ていると、また違った見方が出来るかも知れませんね。オーナー社長に気に入られた内は幾らでも自由に研究開発できたのが、現場からの叩き上げが社長になった途端に「分け前よこせ!」と裁判に。中村教授は「日本は文系の社会ですよ」と捨て台詞を残していましたが、自分には「理系」の企業だからこそ起こり得た事件の様に思えます。
そんな考え方をずっとしていたせいか、高校生の頃には(ひょっとしたら中学の頃かも)自分の常識と他人のそれは同一ではないと認識していましたね。
ひょっとしたら、こうした考え方を形成するに至った一つの要因は某41人の海賊のお話かも知れません・・・。一つの船に乗ってはいても、みんな考える事や信じる事がてんでばらばらで、キャプテンがそれについて何か語っていたような気もします。