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Re:なぜ「ゲルマニウム(健康グッズ限定)」の効果がまったく期待できないか
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とりばち (2006/12/28 21:15)
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加藤 (2008/05/15 16:12)
zorori (2008/05/15 18:49)
apj (2008/05/15 20:45)
Kei (2008/05/07 21:23)
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これには、何と答えていいかわからなかった。それで、化学反応は、平衡論・速度論・反応論といった視点から理解がすすんでいて、平衡論は大体わかっているが速度論になると速度定数の測定はできてもある特定の値になる理由の説明は困難で、反応論になるともっとわかっていないことが多い、といったことを書いて説明した。
ただ、こういう質問が出てくるとういことは、科学に対する、別の意味でのイメージの混乱があるように見える。
ある自然現象があったときに、
・それを観測事実として確定させる作業(勘違いやミスではなく、確かに誰でも追試できるだけの条件出しがをする)
・その現象を説明する作業
→既存の理論(というよりもむしろ法則、枠組み)を適用して説明する
ということができると、科学としての取り扱いではまあまあ理解ができたかな、ということになる。ただし、理論は、もっといいものが出てくればそちらが使われることになるかもしれない。
理論がないと見つけた自然現象が使えないか、というとそんなことはない。観測事実として確定すれば、それを応用した技術は作れる。自然現象の発見が先で、理論がずっと後ということだってある。逆に、先に理論があって後から実験で確認、という逆のパターンもある。ところが、いずれの場合も「理論的に解明」というのとはちょっと違う気がしてしかたがない。実験が先にあって説明が後になった場合、最終的に理論で説明できたとしても、実験事実と説明の両方で理解を進めたわけだから「理論的に解明」ではないし、理論が先にあって実験待ちの場合は、「実験的に証明」は有り得ても「理論的に解明」とはならない。「理論的に解明」とはどんな状態をイメージすればいいのか?というところでちょっと困ってしまった。科学は理論の固まりであるというイメージが強いのだろうか。
posted at 2006/12/26 03:50:30
lastupdate at 2006/12/26 03:50:30
理論的に解明とは、大半の学者が賛意を示す説明がついている、と言うことを指していると思われます。
一般的には学会発表と、学術雑誌に掲載(発表)の違いがわからないようですから、後者が二人以上の査読を経ていることで客観性を確保している、という事情もわかっていないでしょう。
そこを解説すると多少は認識が変わるようです。
ただ、問題と思われるのは、「大半の学者が賛意を示す」ことを一体どうやってやるのか想像できていないということです。
「本を書くこと」だったりすると、「水からの伝言」でも権威付けがあるととられかねないので、考察部分で賛意を示す論文が出るとか、引用してさらに進んだ考察をした論文が出ることが必要、と言った説明が必要だろうと思います。
>ただ、問題と思われるのは、「大半の学者が賛意を示す」ことを一体どうやってやるのか想像できていないということです。
学会というのは別に認証機関じゃなくて、それぞれが新規なことを鵜の目鷹の目で探している集団だと言うことですね。だから、口頭発表でも紙上発表でも、真に価値のある発表があると、その半年後の発表には、「誰々の報告を自分は発展させた」とか「誰々の報告を自分はこの分野に応用して成果を得た」という発表が出てくる訳です。そうすると、発展させたり応用して成功したりする人たちは、その元の報告を自分で確かめた訳ですから他の人たちも「確かなのだろう」となっていくわけです。
理論の世界と私の様な技術の世界では多少の違いはあるとは思いますけどね。例えば田中耕一さんは、レーザーによるソフトイオン化なんて技術を報告する訳です。そうすると、その技術が「自分の研究に応用出来る」と思った生体高分子の研究をしている研究者が「やってみる」わけです。別に田中さんの仕事を「確かめる」とかいう意識じゃなくて、「自分の役にたてよう」という意識でね。でもってうまく行くと「田中のやりかたを応用してこれだけの成果が出た」と報告する訳です。そんな研究が増えていって、成果が「学問や社会に役に立っているな」と思われると、ノーベル賞の選考委員が「言い出したの誰だ」と探してノーベル賞という事になったりするわけです。
私みたいに、マイナーな分析法の研究開発していても、そんな分析法はないかと探している会社の人から問い合わせを受けたりするわけで、そうそういい加減な報告もできないのですよ、「やってみたけどうまくいかない」と叱られたくないからね。
私は悪徳商法批判者として商取引にからむ訴訟事の記録をずいぶん読んでいる訳だけど、科学における「理論」と「事実確認」に類する話がこういう法律の具現化にもあると思うわけです。
普通の人は裁判とか言うと双方の弁護士が「法理論」を戦わせるみたいなイメージがあって、弁護士使わないで訴訟に臨んだ人の書類なんてのは、延々と判例を引き合いに出して「法理論」を展開されていたりする訳ね。でもって、私なんかが「ダメですよ、これでは、法の解釈としては既に最高裁の判例で確定している訳で、あなたが法理論でゴネたって下級審でかわるものじゃあありません」なんて冷たいことを書くもんだから「シュン」となったりとかね。でもって、「だからね、事実認定の部分で『実態として、何々契約では無い』で押しましょうね」なんて言うわけです。つまり、自分の契約が「何々契約」と言われるものなら、それはもう法解釈としてある保護の元におかれないという事は確定済みなんだから、
自分のなした契約は形式的には「何々契約」に見えるけど、その実態としては違うんだという話にもっていく訳ですね。
触媒反応とかでも、すでにずいぶん研究されている反応機構があって、それでは対して起こらないはずの反応が目の前で起こったなら、まず「起こった」という確認をするでしょ。でもって、「理論が間違っている」なんて私なんかは普通は考えない訳です。だってそれを否定すると過去の話もすべて辻褄が合う理論を構築しなきゃならないからね。それよりは、「どうも反応機構が、今まで言われているのとは違うメカニズムを通っているのかな」と考える訳です。でもって中間体とかを調べて「今までと違う」となったらメデタイ訳ですね。
そういう研究の進み方のイメージを理解して貰うことなく「理論的な完全説明」とかを論じても、イメージの段階で挫折してしまいそうですよね。
おっしゃるとおりだと思います。しかし、私の経験では、学会では円卓を囲んで偉い学者が議論を闘わせている、と思っている教諭もたくさんいます。シンポジウムや分科会・自由集会がイメージ的に近いでしょうか。
「しかし、お茶の水博士 それは・・・」
「イヤ天馬博士 それは違うでしょう・・・」
「けしからん!私は反対ですぞ・・・(猿田博士)」
(で、延々一日以上・・・)
と言う感じです。10分でチン、12分でチンチンなんてイメージとはかけ離れています。そもそも○○博士、なんて呼びかけませんよね。
そういう円卓会議風学会発表をイメージしている人は、学術雑誌も一人の論文が常に数十ページとか数百ページになっていると思っています。引用文献のページがあるなんてことも想定外。
そして、論文の完成形(究極体?)は書物である、となっているのです。少なくとも製本したドク論みたいなモノがあるはず、と思っています。わずか1コラム、図表数点の「Science」報文がノーベル賞の対象になるというイメージを持っていません。
それだけに、装丁のしっかりしたトンデモ本は恐ろしいです(笑)。A5版ソフトカバーくらいでスタートしても、販売成績が良くって豪華ハードカバー版が出たり、写真集になったりすると、権威付けがあったみたいなイメージを抱かせます。
情報理論とか計算量とかでも「難しい問題(hard)と仮定(assumption)」しているだけっているのは、そちらの分野と同じようにあります。普通の人のイメージは数学って「きっちり証明できるもの」だと思っているんです。そこで、たとえば「それは難しい問題だと証明されているんですか?」と聞かれると「いや、でもみんな難しい問題だと思っているけど、明日誰か簡単に解いちゃうかもね」っていうと、かなり相手は引きますねぇ。ふふふ。
よく世間で「数学ははっきりしているから好き」なんていう人がいますが、他の分野はよく知らないけど、コンピュータの周りの数学は、はっきりしていない手探りばっかりなんだけどね。足し算、掛け算(割り算、引き算)すら、まだまだ極まってそうにもいないわけだし。
むずかしいよね、そんな状況を違う分野の人に説明するのは。
自然現象を集めてきて眺めてみて全部を巧く説明する努力をして、というプロセスをどうやって理解してもらったらいいのか、というところでちょっと立ち止まってしまったんですよ。
1)理論で定量的な説明まで成功してないけど、現象の方は十分確認済みで使える
2)一応、現行の科学の法則やら基本方程式やらを適用して説明はしているが、途中までで、まだいくつか合わない部分がある。しかし、その合わない部分が、現行の科学で考えられていることを逸脱するようなものではない。
3)実験の確認も十分だし、今の科学の理論でも現象を説明できている。
1)、3)はわかりやすいんだけど、2)の説明が大変なんですよね。でも、合わない部分やわかってない部分があるということを言うと、往々にして、「今の科学では説明できない→今の科学を逸脱するような理論も可」と一足飛びに向こう岸に飛ばれてしまうこともあるから、難しいんですよ。
本当は、合わない部分だけに注目して「逸脱新理論」を作っても、今度は既に確定した理論の広範囲な否定になってしまうからダメだというのが明らかなことがほとんどなんですけどね。
まいまいさん、
>学会では円卓を囲んで偉い学者が議論を闘わせている
これは、中央官庁が企画する審議会のイメージですね。教育再生会議なんかがまさにそういう感じでは。
質問して来られた方が、「理論的に解明」にどういうイメージを持っておられるのか、また、そのイメージに至ったのはどうしてかということを知りたいですね。まだやりとりが続いているので、次にメールが来たらうかがってみよう。
大学の先生に質問する市井の技術屋さんとしては経験式に屁理屈が付けば嬉しいと思っているのではと思いまする。
僕の仕事は分析屋でして、「依頼者と話をして何を測定するかを決めて、測定して、結果に理屈をつけて返す」っていうものです。
大体は会って話をするのですが、都合などの関係でメールのみでやり取りすることもあります。やりとりがメールのみだと、互いの持っている前提や知識の違いにより、誤解することがままあります。
技術的な話をするときは、会ってホワイトボードの前で書きながら話をしないと、自分の意図が理解されたかどうかいつも不安です。
今回の話は、「理論的に解明」のレベルが合ってなかっただけのような気がします。別の言い方をすると、そこを聞き返せば、「なんだ、そういうことか」で終わった気がするのですが。
> 本当は、合わない部分だけに注目して「逸脱新理論」を作っても、今度は既に確定した理論の広範囲な否定になってしまうからダメだというのが明らかなことがほとんどなんですけどね。
大事なのは、そこなんです。「真理は例外から明らかにされる」というのは、私の大学の先生の先生にあたる槌田龍太郎先生の言葉ですが、現在の理屈で説明出来ない例外的事象を見たときに、事象を実験の失敗とも疑うと同時に、理屈そのものも疑えという教えではあるわけです。しかし、その理屈が、やはり過去連綿と様々に確認された事象を「説明し得ている」訳ですから、理屈を疑って、何か新しい理屈をこねるなら、過去連綿と確認されている事象も全て説明が付くだけの新しい理屈をこねないとならないわけです。そのことがきちんと理解されるなら「トンデモ新理論」というのはかなり防げると考えています。
といいながら、今、実際の仕事では過去のどの状態図にも無い化合物が生成して分析を妨害しているなんて理屈をこねています(笑)。まあ、「高温の強還元雰囲気では」と限定を付けることで、過去の理屈に影響を及ぼさないようにしていますけどね。
水商売トークの常套手段で「理論的に解明されてない」→「トンデモ新理論」を否定できない→「トンデモ新理論の誕生」の連鎖反応だと思います。
このトークは詭弁のトリガーみたいなものだと理解して、アキレスはカメに追いつけないの延長線上にあると考えればいかがですか。
水商売だけでなく環境保護を標榜する人たちにもよくあるボキャです。
他にも書かれている方がいますが、
僕も「理論的に解明されていますか?」は単に
「理論が解明されていますか?
(現象を説明する理論がありますか?)」程度の意味であって
「理論によって解明されていますか?」という意味ではないと思います。
もし、「現象を説明する理論がありますか?」だったとして、そこにこだわってどうするのだろう?と思ってしまうわけですよ。理論というのは、自然現象の近似に過ぎないわけですし、たまたまある特定の現象そのものずばりがまだ説明されていなかったとしても、「説明し得る理論の枠組みがある」「枠組みを逸脱するような現象ではない」という場合がほとんどなので……。
人によっては、このことを「現象を説明する理論がある」ことと同一と考えると思いますがそれはおいておいて。
>そこにこだわってどうするのだろう?
理論があるということは理論を構築するだけの再現性が得られている、
再現性を得るための条件が十分吟味されている
(ので再現するのに条件の洗い出しから検討する必要性が少ない)
ので、現象が例外的なものでないことの担保として手っ取り早いということではないでしょうか?
もともと、自然科学の「理論」というのは「自然現象の起こる理由の説明」と考えるべきだろうと思います。そのためには、まず、自然現象というものをきちんと把握する必要があるわけです。
自然現象というと、なんとなく山の中や海の底で起こっているかのごとく思われる訳ですが、何のことはない、我々が使う自動車のエンジンの中で起こる「爆発的燃焼」なども自然現象であるわけです。私は「技術」というのを「人間が目的をもって特定の条件下で自然現象を起こさせること」と定義したりしています。
この「自然現象」という概念を失うとき、「理論」というのが「わけの分からないもの」になる危険性があると考えています。人間が触媒を人工的につくりあげ、それを使って反応を起こさせるとき、その反応を「人工現象」と考えてしまうわけですが、もともと宇宙に「何々という化合物は何々と何々の反応を触媒する」という自然の作用があり、それを人間が見つけ出し、自らに利しようと特定の条件下でその自然の作用を働かせているだけだという事から考えないと成らないわけですね。