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apj (2008/05/16 16:44)
Isshocking (2008/05/17 09:56)
がんのすけ (2008/05/16 02:28)
Re:なぜ「ゲルマニウム(健康グッズ限定)」の効果がまったく期待できないか
柘植 (2006/12/28 14:36)
とりばち (2006/12/28 17:56)
みつを (2006/12/28 19:52)
apj (2006/12/28 20:30)
apj (2006/12/28 21:06)
とりばち (2006/12/28 21:15)
やぎ (2006/12/30 08:39)
apj (2006/12/30 15:00)
柘植 (2007/01/05 08:31)
apj (2007/01/05 12:30)
柘植 (2007/01/09 11:42)
越の国 (2007/01/10 01:29)
越の国 (2007/02/13 04:28)
apj (2007/02/13 12:23)
みつを (2007/02/20 10:11)
寿康堂 (2008/04/15 18:19)
apj (2008/04/15 22:40)
加藤 (2008/05/15 16:12)
zorori (2008/05/15 18:49)
apj (2008/05/15 20:45)
Kei (2008/05/07 21:23)
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香川大の川勝先生のところががんばっているのがわかったので、次はぜひ、いろいろ検討した演示実験や指導例を、理科苦手教員が教室で使えるマニュアルにまで落とし込んで公開してほしい。本を出すとはおっしゃってたが、それでは足りない。とにかくネットの情報伝達力を舐めないでほしい。でないと、教材の選択の自由を増やした途端にTOSSのインチキ燃費向上グッズ実践例の類に入り込まれて、被害が発生しそうな予感が……。
【追記】
別エントリで指導要領解説が問題じゃないかということを書いたが、解説通りの授業が行われているという話がパネルディスカッションで出た。しかも研究授業とのことだから、やった先生にとっては「自信作」なのだろう。話をきいて、あまりにも指導要領解説通りに展開しているのであきれ果てた。
「ものが燃える」ということについての授業だそうだが、まず、生徒に実験の案を出させたり予想を立てさせたりする。(知識もない)生徒がめいめい勝手に考えるから、一クラス四十数通りのアイデアがばらばらに出てくる。全部は実験できないから、それを、「みんなで討論」して5,6通りに絞って実験した。知識もない状態で討論して絞った実験だから、当然ことごとく失敗し、自然現象への理解が深まるどころではない。生徒への評価は、昔の科学者が一生懸命に考えたのと同じ事を君たちは自分でやってアイデアも出せたかんだからよくやった、ってな感じで終了。
会場でのコメントは、「この方法を選ぶと、理科苦手意識を持った教員が、理科の知識がなくても理科を気軽に指導できる状態を作っていることになる」というものだった。教員側が以前のの指導要領通りにやろうとして「苦手だけどやらなくちゃ」という意識をもつことになれば、研修等の機会にトレーニングしようという意識が自発的に出てくることが期待できるが、苦手のままでも指導できちゃう、じゃあ教員側の向上のきっかけも捨て去っている。
「問題に対して予想や仮説、構想をもち、それらのもとに観察、実験などの方法を工夫し、実際にそれを行うことである。」も「児童が自己の責任において問題を解決していく活動や場を保障」も満たされてるが、「児童は自らの予想や仮説、構想を観察、実験などによって検討し、得られた結果が予想や仮説、構想の通りにならなかった場合、最初の予想などを改め、再び次の問題解決の活動を行うことになる。」は「両者が一致しない場合には、児童は自分が立てた予想や仮説、構想、あるいは考案した観察、実験の方法などを振り返り、それらを見直し、再検討することになる。」についてはどうやらその先生の手に余る状態のようで……。
これって、「車輪の再発明にさえ失敗した」以上の意味があるのか?
大体、先人が手間暇かけて試行錯誤して得てきた知識を、全く同じプロセスで試行錯誤して検証していたのでは、何も積み上げることなどできないだろう。そういう無駄をしないために知識を体系的に整理し、先人の経験を生かしてさらに先に進んで知識を蓄積してきたから今の科学があるわけで……。何かを根本的に間違えているとしか思えない。
科教協あたりにいる先生なら、うまく実験を絞り込んだり生徒を誘導したりしてきっちり指導できるのだろうけど、そうじゃない先生がやろうとすると大コケするだけだということを実証してしまっているような。一部の得意な人だけが活用できるマニュアルを作ってしまったんじゃないか>指導要領解説。
posted at 2007/03/21 18:06:06
lastupdate at 2007/03/22 18:50:10
なんとなく、この理科教育をの話に漠然と「根本的違和感」を感じていたのですが、少しずつ形になってきましたので、書いてみます。
基本となる「人間観」の部分で「人間の発想力」というものの置き方にまず、違和感があります。私は、人間というのは「なんでも思いつく事ができる」非常に大きな発想力を持つものと考えています。それまで、木の上で葉っぱや果実、あるいは虫などを食っていた猿が地上に降り立ったときに、「これは食えるかもしれない」「これは美味しいかもしれない」「あの動物は捕まえて食えるかもしれない」と発想しなかったら、人類など誕生しなかったのでは無いかと空想したりします。
次に「文化としての合理性」についての違和感です。人間を非常に多様な大きな発想力を持つ生き物と考えるとき、合理性とは「発想を生み出すもの」ではなく「発想を整理し、不要な発想を切り捨てる働き」と考えることができると思える訳です。そして、その根元は、まさに過去の経験の蓄積であり、そして人同士のコミニケーションにあると思います。「あいつはあの草の根を食ったあと死んだ」の複数回の経験から「あの草は毒だ」と理解する力であり、それを仲間に伝える力により、「あの草は食えるのではないか」という発想の「切り捨て」が文化として蓄積される様に思うわけです。そのように考えると、教育とはその主要な部分において、自然に発生する沢山の思いつきを「切り捨てる」方法を教える事になるのではないかと思うわけです。
このようなことを考えたのは、将棋で竜王がコンピューターソフトに勝ったという事なども影響しています。「この手に相手がこうしたら、こうしよう」という、何手も先を読む事に関して「場合の検証」の数においては、計算機は人間をしのぎます。にも関わらず人間が勝つことができるのは、「この手の先は、たぶん良くはならない(「味が悪い」などと言いますが)」と先を「切り捨て」て、味の良い場合に手の先読みを特化できることにあるように思うわけです。
将棋などでも「定石」というのがあります(もともとは囲碁の方から出た言葉ですけどね)。それは経験の蓄積に過ぎないわけですが、定石は、或る意味で「不要な先読み」を切り捨てる役割を果たす訳です。そして定石を最初に学ぶときには、何とも面白くないものです。一面で「権威による押し付け」と感じる「面白く無さ」があります。何か、そういう部分が変に取り上げられ過ぎている気がする訳です。
ですので、40人の生徒数と1時間の授業では、「ちゃんとした(平凡な)ことを思いつく」のさえ困難であろうと思います。
1000人ぐらいの人数だとか40時間くらいの時間だとかを与えれば、それなりの授業になる可能性はあるかもしれません。
教科書一つ取っても会社のOJTなどは比較にならないほどの高密度で書かれています。
なにしろ通常の授業時間は年間に35週で計算していますから、一日6時間授業×週5日×35週=1050時間。
実際には各種の行事や試験などで授業時間は26週程度となり、実質780時間程度です。
小学校・中学校共に理科については約1割の時間が割かれていて、80時間程度と言えます。
つまり、8時間労働で考えると2週間分ですね。
高校では履修偽装で問題になった世界史・日本史はうBは4単位140時間、Aは2単位70時間です。
70時間と言っても50分単位ですから実質は58時間=7.3日分。
早い話が一週間で世界史を全部終わらせてしまう。
この密度のすごさには驚くばかりですが、どうしも「通り一遍」になる傾向は避けられないようです。
ロボサッカー授業は総合学習ということで内容は勝手にやっていますから、量よりも質で生徒とはじっくりと付き合いますから、個々の生徒にとっては面白いのでしょうが、やはり幅の広がりには欠けるかもしれない。
つまりはバランスの問題でしょう。
量は量りやすいけど質はなかなか評価しがたいから apj さんの危惧するようなことになりがちなのでしょう。
質の問題をどうするか?なのでしょうかね?
指導要領とかは良質の脳みそをお持ちの優等生だった方々が作っていて、科学技術に理解が薄い人(先生)がそれをどうとるかということにまで想像が働いておらんのだと思うのですよ。
「現場の教師の裁量でやれる部分を増やしてくれ」というのは、魅力的だけども危険なんですよねぇ。旧理科教育MLで、左巻さんとこれで議論したことがあって、私は規制をかけるべきだという立場で意見を述べたのですが、今回小倉さんの発表をきいて、やっぱり今のままでは難しいなと思いました。
確かに、左巻きさんや小倉さんのような人達ばっかりなら「教師の裁量でやれる部分を増やせ」ですごくいい授業になるのは、これは間違いがない。ところが、マニュアルとしての基準をゆるめてしまうと、無視できない数存在する理科苦手教員にとってはどうしようもなくなるでしょうね。まともな方の実践が、身近な木の実を集めて理科と工作融合授業にする(by小倉さん)や、水槽や飼育箱を置いて教科書より踏み込んでいろいろ観察できる環境を整えるといったものになる一方で、科学とニセ科学の区別が付かずにインチキ燃費向上グッズを取り入れたりする実践例が出てきてしまったり、そもそも科学以前に止まり混乱だけで終わったりする。
ということは、教師の裁量を増やす時には同時に苦手な人対策、つまり十分な種類と量のまともな教材による実践例を、理科苦手でも実行できるようなマニュアルに落とし込んだものを提供しないと、規制をゆるめたとたんにぐだぐだになりかねない。良質の理科授業とインチキ科学ネタが混在するようでは、どこの小学校でも大体同じこをと勉強できる、ということすら担保できなくなってしまう。
科教協も香川大グループも、物量で実践例を普及させるという部分でTOSSに負けている気がする。本を出しているとか、手弁当で研究会というのをやっているけど、全体を考えた場合(つまり理科苦手だったりそんなに興味のない人にまで情報が到達するということ)、最後は物量と情報伝達のスピードが決め手になるんじゃないかなぁ(水からの伝言はまさにそれで広まったし、広まると止めさせる手間の方がずっと大きい)。普及という点でもう少し危機感を持ってもらえないものだろうか……。
>発想の「切り捨て」が文化として蓄積される
nomadさん
>「人間は大したことは思いつけない」
多分、「人間はいろんな事を発想できるが(客観的に見て)その大部分は大したことではなかったり間違っていたりする」が本当のところではないかと。
だから、たまに出てきた「いい発想」を大事に伝えると同時に、「よくない発想」は切り捨てるしかない。つまり良いところだけ残して伝えるということになる。良くない発想まで伝えるのは壮大な無駄になる。
戦略を持たずに作った体験型の授業は、昔の人がさんざん失敗して切り捨ててきた「良くない発想」に基づいた内容になってしまってやっぱり同じ失敗を繰り返すとか、単に同じ失敗を繰り返すだけになってしまうってことですかね。
であるなら、体験型で本当に教えなければならないことは「昔の人はどうやってどうでもいい発想を切り捨ててきたか」という部分じゃないかと。
まず「目の前の現象をもとにした推論とその検証のトレーニングをやらせたい」という意図には問題はないと思います。ここまでの文面で拝察するかぎり、わたしには次の二つが問題であるように感じられます。
第一は推論を行うにはかならず一定量の「予備知識」「参照枠」が必要なのですが、実験に際してその知識量をどのように仮定し、その量に合わせた「正しい知識への誘導」を設計するかという議論がおそらく欠けているであろうということ。
第二には推論のプロセスはどのようなものか、どのような背景知を前提としなくてはならないかという「論理」の基礎知識が教師の側に欠けていること。
まあ、最近は定石集を片手にパチリパチリと意志を置いて囲碁の勉強をする人も少なくなりましたけどね。
TVゲームのRPGで、何かアイテムを持たないと先に進めないときに、攻略本を見ると「門の所の通行人に話しかけでアイテムの噂を聞く」「ダンジョンの地下3階の端っこで鍵を拾う」「地上に戻って武器屋に鍵を見せて、ダンジョンの宝物庫の話を聞く」「ダンジョンの地下2階の宝物庫に鍵で入って、アイテムを取る」とか、まあ、「ゲームの進め方」が書いてあるわけですね。
同じようなゲームを楽しむための本でも「定石集」というのは、全く意味が違うわけでして、「隅の白石に桂馬で黒石がせめてきたら、対称的な桂馬の位置に白石置いて受けるのが良い」みたいな事と、その後の展開の一例が簡単に書いてあるだけなんですね。そのために「定石」だけ覚えたって直ぐに碁が強くなったりはしないわけで、桂馬にかかられて桂馬に受けた後の展開を色々と自分でやってみて、「確かにこう受けると後の展開で有利だな」と納得してはじめて「身に付く」訳です。
なんていうか、この「定石集を勉強する」というのは、なんとも「面白くない」ものなんですね。勉強したからといって、実践で使ってみても、後の展開でつまずいたりすることも多くてね。TVゲームの攻略本が読みさえすれば、トントンとゲームが進行するのとは大きく違うわけです。
理科教育において、きちんと科学的な考え方ができるようにするというのは、ゲームの攻略本ではないけど、だからといって、闇雲に「ぶつかれ」でもない、こういう「定石集」で囲碁を勉強するのに似ている面があるように思うわけです。
理科は、門外漢ですが、一言。
この事例は、教師の力量の問題かと思います。
小学校6年生の例ですね。力のある教師だと、それまでの学習から、子どもがどんな予想を立てるか、だいたい分かりますが、この教師は、それができていないのでしょう。だから、40通りもの予想が出てくる。
特に、この単元は、もとになる既習事項がありません。どんな経験があって、どんな知識が足りないか、それが分かっていれば、必要な知識を与えたり、導入で工夫したりして、もっと収束できるところもあったと思います。
子どもが自分で発見したり、考えたりしたと思いますが、実は、教師の手のひらの上にいた、というようになるとよいのですが、あんまり小さい手のひらで、みんな飛び出してしまったように思います。
からたいして離陸していない点でアウトですね。