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apj (2008/04/15 22:40)
加藤 (2008/05/15 16:12)
zorori (2008/05/15 18:49)
apj (2008/05/15 20:45)
Kei (2008/05/07 21:23)
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元々の元村さんの問題提起は「低品質な博士量産している」ってことなので、「じゃあ、全てを国際標準に合わせましょうや。」という意味で、「博士=芸人」と書いたわけです。この部分で既に私の理解と違っている。私は「余剰博士」とあるのを見て、現在起きている博士の極端な就職難を指摘していると読んだ。つまり、普通に仕事ができる人まで、報われないグループに簡単に入ってしまう制度になってしまっているということである。
こんな状態がなぜ生じたかというと、ポスドク増やせという政府(と多分産業界)の意向が後押しして、大学も乗っかって、博士過程の定員を増やしまくったからである。博士進学が自己責任だといっても、上から「重点化」の掛け声がかかれば、そりゃ「これまでの徒弟制度的なものとは違うものになった」と思う人が出てきたって仕方がない。学校教育法だって、「高度の専門性が求められる職業を担うための深い学識及び卓越した能力を培い」となっている。うかつに進学した院生の読みが甘かった面があるとしても、それを言うならお役所からしてが人材の受給バランスを完全に読み間違えているのだから、院生やポスドクばかりを責められない。
その結果、博士の数が急に増えて、就職難になった。特に日本では、新卒の方が就職しやすいから、うっかりポスドクをやると中途採用の対象になるため、職探しが難しくなる。
元村さんの指摘は、就職難による「報われないイメージ」→「博士課程が最初から優秀な人材に敬遠される」→「博士の品質低下」というものである。従って、
田舎大学で、入学試験を温くしないと院生が集まらないのは仕方ないとしても、院生の育て方まで温くして、国際的に通用するわけないやん。というのは失当である。記事のロジックとは全く結びつかない。
また、この記述は事実に反する。入学試験をユルユルにして博士課程の院生を集めてエライことになったのを私が目撃したのは、東大の院在学中のことだった。社会人入学する人を対象に博士課程の入試の科目負担を減らしたら、外部の大学の修士からストレートで上がってくる人達に利用されまくった。
こちらは修士課程の話だが、田舎大学の部類にはいる(かもしれない)私の所属している大学の学科では「入学試験をきちんとやろうとすると、ネームバリューで勝っている旧帝大の試験ユルユル作戦に学生が取られてしまう」ことが話題になっていたりする。比較する専攻にもよるが、学科試験の負担はウチの方が高かったりするわけで。
さて、博士が芸人やアスリートと同じだろうというのは、一般論としては私も賛成する。ただ、これを、今問題になっている「余剰博士」(=就職難で今現在困っている博士持ちの人々、元村さんが取り上げた人達)に適用することには反対する。余剰は、人材の受給の見通しを間違えた政策によって作り出されたものだからである。芸人やアスリート養成とは逆のやり方で人を育てますと煽っておいて、いざ学位をとってみたら「芸人やアスリートと同じ扱いだから」というのはやっぱり違うだろう。世界標準でない養成政策をとってしまった以上は、世界標準にはない何らかのセーフティーネットを用意するのが適切なはずである。芸人でもアスリートでもない、一般の労働者の雇用問題と同じに捉えて解決策を用意しないとまずいという意味である。これを「甘やかす」とは言わないと思うぞ。
そんな、あんたらのご都合現実なんか知らんがな。で、このボケまくったコメントは一体何なのか?私がいつ、学生が来ないとか院生が足りないとか書いたんだ?どういう妄想を抱いてるんだか(【追記】学位を取得した元院生が食えないのが問題だって話をしているときに、院生が足りなくて食っていけないって、一体どういう発想をすればこんな話が出てくるんだ?)
院生足りなくて食っていけないのなら、中国でも朝鮮でも、ベトナムでも、インドでもいいから、自分でスカウトしてくればどうですか?
それが嫌なら、修士で企業の研究所入れて、またすぐ博士課程に内地留学させてくれるような企業に学生を送り込む努力をすればどうですか?
学生は自分からやってくるものと思ってませんか?
。 私は以前から、博士課程の定員は絞れと主張している。また、定員を増やすのであれば、例えば「企業が中途採用で博士をたくさん採用→アカデミックの人材まで足りなくなる→定員増」といったニーズに基づいて行うべきだとも主張している。
ついでに言うと、私も就職難に遭ったクチで惨状はよく知っているから、大学の利害に反することを承知の上で、後輩やら学生やらには博士進学を薦めていない。「しくじって人生棒に振る覚悟があるなら進学すればいい、そうでないなら修士卒でフレッシュマンで就職すべき」と言い続けている。どうしても博士課程、という人には、「その先まともな人生を送りたいなら、博士2年の後半から3年前半にかけて修了見込みの段階でフレッシュマンで就職すべき」とアドバイスしている。まあ、これが当てはまらないような、実力があって幸運な人も中には居るだろうが、そういう人には多分滅多に遭遇しないだろうから、このアドバイスが大抵の場合は適切だろうと考えている。何人かに言ったが、聞き入れてもらえたことは一度もない。
なお、修士については、理工系では就職の時にプラス評価されることの方が多いし行き先の幅も広がるので、経済的余裕があれば進学してみては、と薦めている。
欧米の大学院で学位とられた方には当たり前なのですが、出来ない子には「お前は向かないから辞めろ。」ってのが標準なんです。「どうしても博士に行きます」という学生が居たとして、「絶対こいつ向いてない」と教員が判断したとする。それをどこまで伝えられると思っているのだろう。大学院にも教員にも「どうしても進学したい」院生を止める手段なんか無い。標準を貫こうとしたら、ハラスメントで訴えられかねない。まあ、一言二言は言ったとしても、それで聞き入れてもらえなければ、院生として受け入れるしかないだろう(試験に通れば、という前提だが、恣意的に落とすことはできないし、研究でやっていけることと試験の点数が必ずしも相関しないのは既に昔の国研で経験済み)。「甘いから」言わないんじゃない。所属組織の利害に明白に反する上に、自分が訴訟のリスクを背負ってまで忠告するようなお人好しってかアホが居ないというだけの話だ。
「大人なんだから、自分のケツは自分で拭け。」ってのを何故貫いてはいけないのかねえ?甘いなあ。
また、上から「芸人やアスリートじゃない博士養成をするから実行せよ」と言われたら、個人的に不本意であっても従うしかない。それが営業方針なら、その通り動くのが務めである。人数を増やせばいいとどこぞの「エライ人」が思っている間は、下っ端にはどうしようもない。
なお、「報われないイメージ→優秀な人が逃げる」が成り立ったとして、次を支える人材が不足して困るのは大学だけではないか。もともと博士を採用する気がない経団連関連企業には影響が無い(というかこれまで採用してきた修士卒に優秀な人の割合が増えるなら喜ぶべきこと)はずだから、悲観する立場じゃない。既に博士を大量採用している一部メーカーについては、重点化以前から採用していたし、修士卒に優秀なのが多いとわかればそれに応じて採用と人材育成計画を変えてくるだろう。大学は……、どう考えても少子化の影響で構造不況業種であり、今後は縮小に向かうしかないだろうから、よほど大量に人材が逃げまくらない限り、そうそう困るところまでは行かない気もするが……。
【追記】どこのサイトだったか「博士進学は自殺行為、進学を薦めるのは自殺幇助」って書いてた人が居たけど、制度の歪みが集中してしまっている今の状況を見る限り私はこちらに同意するしかない。社会の側の採用や人事の現状が変わらないのに博士課程進学を薦めるのは、悪徳商法か詐欺の類ではないかと。芸人やアスリートを目指したとしても、ここまでは言われないだろうと思うと、ちょっと情けないんだけども。
posted at 2007/05/19 00:46:55
lastupdate at 2007/10/27 20:37:17
話の流れと若干違うのですが、学究の世界がよくわからないので教えてください。
修士=大学院を卒業すれば取得できる、という理解でいいのでしょうか?
1)大学院は試験に通れば入ることができ
2)大学院卒業は課程をこなしていればいい=修士となる
という理解で間違いないでしょうか?
博士は査読を通った論文が必要である、という理解にいますので、
それなりに質の程度が確保されているかと思うのですが、
修士が大学院卒でいいのであれば、
まともな論文1本書けていない、というのがあり得るのですよね?
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お役所が大学院増やせっていったのは
地方の木っ端役人が
「留学」と称して学歴ロンダリング用に自分たちを受け入れろってこと いいとこに天下りしやすくなるからな
とくに文系博士のアホはほとんど役人くずれだ
そんな状況に対して
「はげめ 自身を鍛えよ
んじゃなきゃ食えなくて当たり前だ」
と一番大事なことを 芸人やアスリートに比して
おっしゃったかたがいただけだ
非常にわかりやすく 共感する
>修士=大学院を卒業すれば取得できる、という理解でいいのでしょうか?
そうです。但し、卒業には修士論文の審査やら試験やらに合格する事が条件で、卒業研究の審査よりは厳しいです。修士論文の審査に通らないと卒業ができません。滅多にないことですが、東大の院に博士進学が決まっていたのに、母校で修士論文の審査に通らず、卒業できなかったために進学もチャラになったケースがあります。
>1)大学院は試験に通れば入ることができ
そうです。
>2)大学院卒業は課程をこなしていればいい=修士となる
「課程」の中には修士論文の審査なども含まれますから、決められたカリキュラムを履修するだけ、というのとは違います。
>博士は査読を通った論文が必要である、という理解にいますので、
実はこれも違います。
私が課程の方を終えた東大の医学系研究科では、「課程博士は審査前に論文を出すな」と言われました。「一度公表されたものはThesisではない」というのがその理由です。学位論文の審査が終わってからせっせと投稿しろ、というお達しでした。本審査一発勝負で、指導教員が定年になろうがおかまいなしに、本気で不合格を出してましたね。それから、指導教員は審査には一切ノータッチでした。つまり、論文の査読の審査より自分たちの審査・判断能力の方が高い、というコンセンサスがあるということのようです。
一方、工学系研究科では、指導教員が主査となって学位論文の審査をするので、ある意味お手盛りが可能でした。その代わり、査読のある論文誌に3報あることが審査を開始するための条件となっていました。こちらは、予備審査で徹底的にチェックし、本審査までの間に言われたところを直して、本審査ではほとんど予定通りパス、という審査方式をとっていました。
>修士が大学院卒でいいのであれば、
>まともな論文1本書けていない、というのがあり得るのですよね?
あり得ます。
ただ、修士論文をまとめる作業はそれなりに大きいので、日本語であれば書けるという状態です。
本音を言うなら、修士に論文は書かせたくないです。修士の後輩と一緒にやった仕事で、後輩が論文を書きたいと言うから任せたら、就職した後作業が滞って、何年も経つのに一向に作業が進まなかったり……。
とおりすがりさん、
寝言は寝て言ってくれませんかね。
>「留学」と称して学歴ロンダリング用に自分たちを受け入れろ
というのが事実なら、そこから出てくる人達は、芸人でもアスリートでもあり得ないでしょ。
>「はげめ 自身を鍛えよ んじゃなきゃ食えなくて当たり前だ」と一番大事なことを 芸人やアスリートに比しておっしゃったかたがいただけだ
だから後半に書いたことと矛盾してますよ。芸人でもアスリートでもない人達を作っておいて「お前ら芸人やアスリートだから」と言ったわけだから、見当違いも甚だしい。
>非常にわかりやすく 共感する
理解力の無さをさらけ出していますね。
>ただ、これは日本の就労構造の中にアメリカ流の方式を持ちこんだのだから、と理解すると「就労構造を変えろ」とするのか「アメリカ流が使える国にいけ」とするのかを比較すると、後者の方が現実的ではあるでしょうね。
博士の養成の部分だけを世界標準に合わせる方向にしてみたけど、肝心の企業が、人事や採用を世界標準に合わせる気が全く無かったというのでは、そりゃ最初から無茶なプランでしょう。
ただ、日本の企業に期待できないとなると、海外で専門職とし就職する、という道をもう少し一般的なものにすることが、救済策になるかもしれませんね。
本当なら専門職の流動化をしてキャリアを積める形にしないといけなかったのに、専門でも何でもない職を派遣で流動化してコストダウンに使われちゃってるのが現実ですし。
先日行った高校で「国語の教師です」と名乗ってくれた先生が居たから、私が「ソフトウェア業界に必要なのは国語」と生徒達に話したと報告したら「そうなんです、何をやるのにも国語が・・・」とおっしゃるわけですが、実際の授業では「なんでも国語」とはやっていないだろうことは容易に想像できるところです。
apj さんも以前取り上げていたように、受験のための授業だとして「こっちをやるからあっちはやらない」的なところが生徒の言葉の端々にあって、それは多分あっちこっちに「縦割り思考」としてあらわているのだろうと思っています。
専門家というのは社会で生きる幅を狭くしているのは事実ですから、複数の専門分野をやるという意味で高校生には「余裕があれば(大学で)ダブルスクールに行け」なんて言っています。
そうしたら来た質問が「二つの学校に行くことは許されるのですか?」でした。
当の高校生にとって将来像が見えないから「とりあえず」という選択を繰り返しているのでしょう。
その延長線上には「とりあえず博士課程」というのも多いのではないか?
個人個人にとっては一種のリスクコントロールなのだろうけど、全体像を教えていないのだから情報無しで戦争に駆り出されているようなもので、そりゃ負けるでしょう。といったところですね。
これからの時代は、国際的に仕事を求めるのも当然となるのだろうと思います。
随分昔、どこかで、「どうして学歴社会のか?たとえばスポーツなどができることの価値が学力に比べて重視されないのはどうしてか?」ということが話題になったことがあります。その時に言ったことは、今の社会の仕事のほとんどが、広い意味での「情報処理能力」に依存するものになってしまっているから、ということでした。
社会での居場所に応じて、必要とされる情報処理能力が異なるから、うんと勉強できる人(ここでは、情報処理について適正のある人、という意味です)は高度な情報処理能力が必要な職に就くし、それなりに情報処理能力がある人は、それなりの職に就くことになるだろう、ということです。学力試験の点数で測ろうとしているものは、おそらく「情報処理能力」で、例外もあるかもしれないけどそんなに大きく外れることもない。
一方、野球が上手かったり走るのが速かったりするけどオリンピック選手になったりプロになったりするほどでもない人達がどうすればいいか、と考えると、体育の先生といった需要はあるかもしれないけど、「それなりに情報処理能力がある人」に比べると、行き先はかなり狭くなります。
博士号は取ったけどその分野で「トップアスリート」にはなれなかった人達であっても、標準以上の「情報処理能力」を持っている人達と考えてよいと思います。この人達の行き場所が無くて困る、というのは、どこかで食い違いが生じているとしか思えないんです。情報処理能力の程度に応じて社会での位置が決まることが多い、ということを前提にずっとやってきたんだけど、ある所を過ぎるとそれが認められない、という話ですから。
企業に向かって「高度な専門性を持った人を養成することが必要と思うか?」とアンケートをとったら、大抵の場合は「必要だ」と答えるでしょうね。それを鵜呑みにして人材養成計画を立てても空振りに終わりそうです。何だか、こういうきれい事が出てくる調査結果に基づいて重点化をやったんじゃないかという気がして仕方がないんですよ。私の思い過ごしかもしれませんけど。本当に訊くべきことは「高度な専門性を持った人を御社はいくらの給料で何人雇いますか(あるいは既に雇っていますか)」であったのに。
コメントが前後してしまいました。
>高校生には「余裕があれば(大学で)ダブルスクールに行け」なんて言っています。
同じことを、私は自分のところの学生や院生に言ってます。ダブルスクールとまではいかなくても、例えば、公務員試験を狙ったりするなら予備校に通え、その方が確実だ、とか。何か資格を取るのに予備校に行くなら、言ってくれればそのようなスケジュールを考えますよ、とも。
>将来像が見えないから「とりあえず」という選択を繰り返しているのでしょう。
前後して書いた私のコメントにつながると思います。
「とりあえず(広い意味での)情報処理能力があれば何とかなりそう」「情報処理能力の尺度は学力試験で測られる」というのが、小学校以来続いているから、そう思い込んでも仕方がないです。
ところが、博士課程を出ると、普通に会社訪問しても「あなたは何(専門)ができますか」と問われるようになるわけでして、博士の前後で評価される「情報処理能力」の質が変わるんですね。専門家としての採用になると、会社がすぐ必要としている知識に合うものを持っているかどうかで決まり、いくら優秀でも会社がやろうとしている業務展開の内容とミスマッチがあればダメです。
#私も、会社の面接を受けて知りました。
>その延長線上には「とりあえず博士課程」というのも多いのではないか?
あると思います。
>個人個人にとっては一種のリスクコントロールなのだろうけど、全体像を教えていないのだから情報無しで戦争に駆り出されているようなもので、そりゃ負けるでしょう。といったところですね。
大学教員がまたさらに全体像を教えないというか、そもそも全体像にうといというか……。重点化以前に学位をとって大学教員になった人は、自分たちが就職できたときの感覚で博士進学を薦めたりするけど、今と昔じゃ比べものにならない位に屍累々の道が待ってるわけで。
大体、ウチの師匠からしてが、私も含めて周りのポスドクを見て「この程度仕事ができれば普通はアカデミックに職があるはずだ」なんて言ってたけど片っ端から撃墜される事態になってました。「今と昔じゃ様変わりしてるんで、昔の感覚で就職について言われてもダメですって」と言ったんですけどね。
個人のリスクコントロールという意味では、転職を前提にしてでないと博士進学は危険過ぎます。
私も在学中に1回、本気で転職を考えて、わざわざ稚内までコンピュータのセミナーに出かけ、コの業界の人達と直接会って参入先を探していました(この時は、やらされたテーマに未来が無い、という理由だったので、テーマ変更ができたので研究継続でした)。
課程博士終わった翌年は、会社を回ってまして、ほとんど決まりかけていた時に「放医研でポストが空くの待つ気ない?」と悪魔の囁きが(笑)。思えばここで道を踏み外したというか何というか……。
2つめの博士号を取ってからしばらくして、もうそろそろアカデミックの方は止めて自分で食える道を探そうと思い、法律の勉強を始めてました。勤務先の大学に新設されるロースクールを受験しようと思って、適性試験対策をやりつうつ受験料も払い込んで、受験票が届くのと山形で採用が決まるのがほぼ同時でしたから。師匠には「時代が変わってて、先生の見込みや感覚は通用しないので、私、もう転職しますから」とか言ってたんですが^^;)。
ご丁寧にありがとうございます。だいたい把握できました。
医学や工学系のほうは、できるできないがわかりやすいような気がするのですが、人文系だと基本は同じでも、きっともう少し違うのでしょうね。
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それとも日本の大学院はレベル低いと思っているんですかね?それで「高度な専門性を持った人を養成することが必要」って口にして、それを字句どおり信じた文科省が「余剰博士」を生み出したとしたら喜劇ですらありますね。
>自分とこで税金使って大学院通わせるなら博士号や修士号持ってる方を、それこそ猟官制宜しく政治家の権限でスタッフに入れさせれば済むんじゃないですかね?
税金を使うのは、所属官庁に義理立てさせるためでしょう。
官庁組織ほど「内部の論理」が強烈なところはありません。政治家権限でスタッフに、なんていうのはとみに嫌われます。官庁内部の文化を理解している人間でないと組織内部で信用されないし、実際、入り込んでもろくに機能しない。だから現行制度でよい、という訳ではありませんが、うまく機能させる方法がまだ確立していない状態なのだと思います。
文化を共有することが優先で、その中にプロフェッショナルが居てもそれは文化を共有しているから認められるのであって、プロフェッショナルだから認められているわけではない。
組織で出世するのはゼネラリストであってプロフェッショナルではない。
そもそも、プロ集団が評価されている歴史なんてのは伊賀甲賀の忍術使い集団かな?
宮大工なんてのは、組織が無くて宮大工コミュニティが一時的に集団を作るという活動形態だったから、神社仏閣から城まで誰が造ったのか分からない。
日本でのプロの活躍の歴史はどちらかというと悲劇が多いように感じますね。
企業内教育が充実しているから大学はヘンな色を付けないでくれ、と言っていたのが十数年ぐらい前のことでしたかね、これは今でも基本的には変わっていないと思います。
結局は、日本では個別の問題解決よりも全体的な空気感レベルの膣時維持とか継承が文化であるのかもしれません。
世界的にはこれでは通用しないと思うがね。
例えば、マクドナルドで客がビッグマックを食べる。それに対して「成人病患者が増えている。」という批判がマスコミ等でなされたとして、店員も客も何一つ恥じる必要はないと思います。
>教官がサービスを提供し、学生がその対価を払う。
これが機能するには、対価を払う側が何に対して対価を払うかを把握している必要があります。ところが、サービスの意味や内容は、たとえシラバスを充実させたとしても、サービスを受ける側にとってのサービスの内容がサービスを受けた後でないと確定しないのではないでしょうか。知った後でないと情報の価値がわからない(というか情報というのは本来そういう性質を持つ)ということがあるのではないでしょうか。
>サービスと金額にお互いが満足していれば、経済活動としては成立しているのではないでしょうか。
と、簡単に言い切れるのでしょうか。
経済活動としては成立しているが実は(広い意味での)詐欺、って場合もありますよね。騙される側が満足している詐欺。情報が知らされないことによって、非常に不公平な状態で満足が作り出されている場合も、「成立している」と言っていいのかどうか、引っ掛かるのですけど……。
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このひとも同学年らしい.
ポスドクを数年やったあと,ちゃんとした職への就職として,
議員への立候補というのもあるという.何十倍かになる教員
公募よりは,立候補の倍率ははるかに低いから,就職できる
可能性は高いのだそう.
> 博士号は取ったけどその分野で「トップアスリート」にはなれなかった人達であっても、標準以上の「情報処理能力」を持っている人達と考えてよいと思います。この人達の行き場所が無くて困る、というのは、どこかで食い違いが生じているとしか思えないんです。
その昔、ISOの認証制度の話をしていて「人材のバリデーション(あるいはトレーサビリティ)」という話になったんですね。
例えば製薬会社で「品質チェックは?」「はいこの分析装置で、100カプセルにつき1カプセル抜き取りで検査しています」「分析装置は?」「はい、ISO認証を持っているヘッポコ社の製品です」「装置校正は?」「はい、何々社の二次標準物質により毎日確認して記録を残しています」「では、装置操作者は?」「高校卒業して2年前に入社したものが担当しています」「その、操作者の教育記録は?」「装置の使い方を教えただけですけど・・・」「う〜ん。認証出来ない」なんてね(そのころは冗談だったのですが、ISO17025の方では操作者の教育記録も重視されています:笑)
何を言いたいかというと、日本という国では一般に「専門家」の位置づけが低くて、特に品質保証の分析装置のようにブラックボックス化が進むと、あたかもコピー機を扱うかの様な感じで人材をあてはめて使って来た訳です。
人材のトレーサビリティという考え方は、結構深くて、別に社内教育でも良いのだけど、「誰が、どういう教材で、いつ、何時間」という記録とか、その「誰が」の部分もさらに「どういう能力の持ち主か」みたいになる訳ですね。大学にしても、「何々の単位を取っています」ではなくて、そのカリキュラムが「何を身につけさせたか」を明らかにしておく必要があるわけです。
少し関係の無いことを書いて見ましたが、要は日本という国は外からの影響がないと「変わることのできない国」なんですが、外の流れは確実に「トレースできる専門能力が明示出来る専門家」の存在を求めてきている訳です。そういう中で漠然と「ゼネラリスト」指向をしている日本の産業は衰退するだろうと思います。
ここでは、日本企業が専門家を低く見ているような例の発言が多いですが、そういう企業だけではありません。
多くの製造業では、特許に関する成功報酬を増額しています。私のいる会社では成功報酬は会社の利益から算出されて上限はありません。
ですから、文系社員と異なって開発に成功すれば金銭的に大きな報酬が得られます。ですから日本の会社は専門家を必要としていないという訳ではありません。企業にとって必要であれば、中途でも博士でも大学の助手や助教授でも受け入れています。
ここで問題となって博士について言うと、企業では博士号=能力があるではありません。博士を持っていても企業にあうかどうか、能力が十分かは別途審査します(助手や助教授でも同じです)。
今は研究をして論文を書くということは、企業では評価されません。研究が企業にプラスになることが必要です。
つまり、大学で博士課程の学生に行っている教育と企業が求めているものが違うのです。
特に、今はグローバルスタンダードが叫ばれて、企業が短期利益の獲得を強いられています。各企業が中央研究所を作った時代とは違います。
現状で実用的でない研究で論文を書き博士を取ったとしても、企業で採用するのは難しいのです。無論ノーベル賞でも取れるのであれば宣伝効果が絶大なので別でしょう。
国の科学立国の方針として、基礎研究は大学又は公的研究機関(国プロ)で行って、応用は企業に任すというのであれば、余剰博士は国プロで雇うべきだと思います。
ただ昔の話ですが、原子力関係の国プロでは、それで生活している研究者がいるため、開発が終了するような画期的な研究は好まれなかったという話もあります。
余剰博士にも、自分の能力や生き方を考えた戦略をとって欲しいですね。昔博士志望の学生に助手が諦めるように諭したら泣き出したことがあります。
ご意見ありがとうございます。
>国の科学立国の方針として、基礎研究は大学又は公的研究機関(国プロ)で行って、応用は企業に任すというのであれば、余剰博士は国プロで雇うべきだと思います。
そう割り切ってくれれば話は早いと思うのですけど、ただ、国の方針が今ひとつはっきりしない部分があります。
「博士の生き方」さんのところで、審議会の答申をわかりやすくまとめたものがアップされています。
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これによると、博士課程は産業界のための人材を養成すべき、ということのようです。企業が短期利益の獲得を強いられるのはやむを得ないとしても、同じ状況に大学院まで巻き込もうとしているように見ます。
「就職難で「博士離れ」か 博士課程の定員、初めて減少」
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国立大学の博士課程の入学定員が今年度、初めて減った。
政府は「科学技術創造立国」を掲げて
博士の数を増やしてきたが、
就職難から学生の「博士離れ」が始まり、
一部の大学が定員の削減に踏み切ったためだ。
関係者からは「現状を放置すれば優秀な人材が
集まらなくなり、日本の国際競争力が低下しかねない」
と心配する声も出ている。
政府は91年度から大学院生の倍増計画を進めてきた。
国立大博士課程の定員は91年度の7589人から
右肩上がりで増え続け、ほぼ倍増。
一方で、博士の受け皿となる大学や公的研究機関の研究職
の数は増えず、06年3月に博士課程を修了した人の
就職率は6割程度にとどまった。
学生の「博士離れ」は既に始まっており、
大学院博士課程への入学者数は03年度をピークに
減少に転じている。
とくに理工系では、優秀な人材が修士課程までで
企業などに就職する傾向が強まっているという。
文科省で科学技術・学術政策局長を務めた
有本建男・科学技術振興機構社会技術研究開発センター長は
「このままでは優秀な人材が博士課程に入ってこなくなり、
国際競争力も下がってしまう。
博士の就職難対策に政府と大学、企業がともに
本気で取り組む必要がある」と話している。
メモしてほいた方がいい記事だと思うので、別のエントリーの方で記事を紹介することにします。
日本の特に大企業のサラリーマン人生の本流は、「なんでもやる配置転換」が前提になっていて、技術職で入ったのに経理・総務と回って子会社の社長、なんてのが成功した人というのが評価です。
こんなのはゼネラリストだから出来ることで、プロフェッショナルには出来ない。
これが、現在の工場の海外移転で専門家が流出ている大きな原因でもあります。
要するに、プロフェッショナルは会社にでは無くて仕事に忠実なわけですから、組合で言えば社内組合と職能組合の違いのようなもので、プロフェッショナルを重視するのであれば同業他社へ転職など労働の流動性を高めないと成立しないわけです。
ところが、日本では専門家の転職はそれ自体がかなり否定的に捉えられていてとても一般的にはなりそうもない。
そういうところに、博士では企業としては「どう扱うか分からない」のが実情でしょう。
その意味では、apj サンの指摘の通り「ビジョン無き博士量産」であったのでしょう。
ただ、これは日本の就労構造の中にアメリカ流の方式を持ちこんだのだから、と理解すると「就労構造を変えろ」とするのか「アメリカ流が使える国にいけ」とするのかを比較すると、後者の方が現実的ではあるでしょうね。
まぁ、そういうことを知らない学生さんがかわいそうではあるが、高校生向けとは言え「職業について説明してくれ」というリクエスト中に「サラリーマンについて」は全く無いのです。
「消防士」「弁護士」「保育士」と仕事=「サムライ」つまり手に技術がある職人のイメージであって、世の中の大半を占めているサラリーマンという仕事を説明する機会そのものがない。
結局のところ学生の段階では、社会や仕事さらには就労の構造といったものを全く学んでいない、ということなります。
ここらの問題が集中して「博士が余っている」になるのではないかな?