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就職難で「博士離れ」か 博士課程の定員、初めて減少国際競争力のために個人に向かって「犠牲になれ」と国が言う(あるいはそういう制度を作る)のは間違っている。科学技術のどれかの分野が好きで好きで、結果として生活を犠牲にする個人が出てきてしまう、ということはあるかもしれないし、あってもしかたがないが……。
2007年05月26日10時25分
国立大学の博士課程の入学定員が今年度、初めて減った。政府は「科学技術創造立国」を掲げて博士の数を増やしてきたが、就職難から学生の「博士離れ」が始まり、一部の大学が定員の削減に踏み切ったためだ。関係者からは「現状を放置すれば優秀な人材が集まらなくなり、日本の国際競争力が低下しかねない」と心配する声も出ている。
文部科学省によると、国立大大学院博士課程の07年度の定員は1万4282人で前年度より118人の減。定員を減らしたのは秋田大(26人)、九州大(20人)、神戸大と千葉大(各18人)など。減少は56年以来だが、このときは戦後の学制改革の影響だったため、実質的には初めてという。
政府は91年度から大学院生の倍増計画を進めてきた。国立大博士課程の定員は91年度の7589人から右肩上がりで増え続け、ほぼ倍増。一方で、博士の受け皿となる大学や公的研究機関の研究職の数は増えず、06年3月に博士課程を修了した人の就職率(企業なども含む)は6割程度にとどまった。
学生の「博士離れ」は既に始まっており、大学院博士課程への入学者数は03年度をピークに減少に転じている。とくに理工系では、優秀な人材が修士課程までで企業などに就職する傾向が強まっているという。
文科省で科学技術・学術政策局長を務めた有本建男・科学技術振興機構社会技術研究開発センター長は「このままでは優秀な人材が博士課程に入ってこなくなり、国際競争力も下がってしまう。博士の就職難対策に政府と大学、企業がともに本気で取り組む必要がある」と話している。
もともと、大学院進学、特に博士課程進学は、個人にとっては経済的に見合わない行為ではなかったか。
同じ大学の同じ学科を出た人で給料を比べた場合、学部で卒業すると即給料がもらえて、会社でキャリアを積むと、多少は上がっていく。博士前期課程(修士)まで進むと、同級生が2年間給料をもらっている間の収入は無い。修了して会社に入った後の収入が、学部で就職した人と比較して、一定期間後に遅れを取り戻せれば、個人にとって「学歴で損はしなかった」ことになる。修士卒の給料を高めに設定している会社は多いので、修士までなら、個人にとって「遅れた分を取り戻せる」のではないか。それでも「取り戻せる」だけで、どれだけ「利益を得る」ことが出来るかは疑問である。ただ、会社によっては修士の場合は選択肢が広がったり、まるきり予想できない部門にまわされる確率が減ったりするから、その意味では個人にとってメリットがあるだろう。
これが博士になると、さらに3年社会に出るのが遅れる上に、出た後の就職先の選択肢が少なくなる。同級生がさらに3年給料をもらってキャリアを積んでいる時、収入は(限られた人を除いて)ない。大学院5年間で自分に投資した金額、つまり授業料等と、就職していたらその間得られたであろう収入を、修了してから取り戻せるかということが問題になる。この場合の指標としては、生涯賃金の額が最も適切だと思うが、これが「博士卒が十分高い」状態になっていなければ、普通の人なら「進学は損」と思うのが当たり前である。もともと小数の学問オタク、学問マニアが存在し、「損をしたって生活が不安定になったってやりたいことをやる」という生き方を選んでいた。そういう人がこれまでは大学に残ったりしていたのだけど、世間から見れば例外だろう。
制度として「博士を増やす」ことにしたということは、マニアックな個人の行動に頼るのは止めてシステマティックに人材養成をすることにしたということだろう。そうすると、博士課程に進むかどうかの判断基準の方だって世間並みになるのが必然で、収入面でメリットが無ければ普通の人には全くアピールしないのは当たり前である。
また、本当に企業に人材を送り込みたかったのなら、ポスドクを増やしたのがそもそもの間違いではないか。博士卒でも、受け皿が一番多いのは、フレッシュマンとして就職する場合である。ポスドクをやってからの就職になると中途採用扱いだから、会社の業務とマッチしないと優秀でも採用してもらえなくなる。ポスドクを増やしたために、企業への人材供給を狙って定員を増やしたのに、出てきた人がポスドクに止まることになって、さらに就職難を推し進める結果になったのではないか。
posted at 2007/05/26 15:28:22
lastupdate at 2007/10/27 20:36:38
時刻は比べていませんでした。酔うぞさんはblogの別エントリの方にコメントをつけてくださったので、それを受けて独立エントリとしたものです。
>大学院に進んでいる方の相当数って企業や官庁が金出して派遣しているケース
それならば、「企業や官庁が派遣しようとしたら定員が少なすぎて出来ないケースがしばしばあった→自由に派遣できる程度にに定員増やせ」ならわかるけど、既に必要な人は派遣できて特に不足が無かったとしたら、意味のない定員増ですよねぇ。
てか、海外への派遣が厳しくなった分国内へ、と言うのがホントのところなんじゃないですかね?須らく企業や官僚組織の利害に振り回された文教当局、てとこではないかと。
#そもそも戦後教育って企業と官僚組織がアレヤコレヤ言って現状に帰結してるんじゃないかと。「絶望工場」散々やっておいて、理系離れや製造業離れを嘆いてるのを見ていると呆れてモノが言えません。
あまりに同感なのでコメントさせて頂きました.
> このままでは優秀な人材が博士課程に入ってこなくなり、国際競争力も下がってしまう。博士の就職難対策に政府と大学、企業がともに本気で取り組む必要がある
実に「身勝手」かつ「主情的」かつ「論旨不明解」な主張ですよね.
(1) 「博士課程進学者は必ず優秀である」という前提に基づいた主張になっているが,この前提の根拠が不明.
(2)「国際競争力『も』下がってしまう」というが,なにゆえの「も」なのか意味不明.博士課程進学者が減ることにより,国際競争力が下がる可能性がある,ならまだ分かるが.
(3)そもそもなにをもって国際競争力と言っているのか分からない.「国際競争力が下がると国民がどのようなデメリットをこうむることになるのか」に関する認識が明示されていないし暗示もされていない.
(4)「本気で取り組む必要がある」というが,そもそも本気で取り組まないような取り組みは取り組みとは言えないと思う.また,「どのように取り組めば問題が解消するか」が示されていない.
結論:apjさんと同じ.国民の犠牲(デメリット)の上に成り立つ「高い国際競争力」など,国民の誰も望んではいないと思いますが.
まぁ,いまさら言っても始まらない話ではありますが.
(でも,毎回言いたくなってしまうw)
(1)−(4)のご指摘ごもっともです。また、毎回言いたくなる気持ちは私も同じです。
報道がいけないのか、本当に報道の通りのことしか発言しなかったのかが定かではないですが、「国際競争力」「取り組み」といった言葉をもてあそんでいるだけにしか見えませんよねぇ。
「国際競争力」とやらを高めるのに「優秀な学生が博士に来ること」が必須ならば、そもそも「就職難」という状況にはなってないと思います。博士に来た学生の全てが優秀とは限りませんが、例えば割合として博士持ちの人の半分から7割程度が「国際競争力」を維持する仕事の見返りに高収入を得ていたなら、就職難とは言われないでしょう。
そうなっていないということは、もともと優秀な人材の数が限られていたのに定員を水増ししたからレベルダウンしてどうにもならなくなったか、あるいは、優秀な人材が博士課程に来たけども肝心の社会の側が「国際競争力」の維持のために博士は不要と判断したか、あるいはその両方かってところでしょうね。
企業側は「優秀な経験者を中途採用して」と言いつつ「異文化排除の観点から生え抜き優先」ではこの時点で矛盾してます。
こういう建前と本音の部分は無くならないものだから、なんでここまであからさまになってきたのか?が問題になりそうです。
「優秀な経験者を中途採用」はこれまでだって無かったわけではない。中途採用で活躍している人だっている。しかし、それは数がそんなに多くなかったということなのでしょう。企業だって多分「中途採用は絶対しない」とまでは思ってないでしょうから、数が少ないうちはうまく回っていたのでは。
それが、人材流動化のタテマエのもとに派遣(奴隷)低賃金労働者を増やしまくったために中途採用をどんどんする気が無いことがあからさまにバレたってことじゃないですか。コーディネーターは必要だとしても、派遣企業無しで流動化ができていれば、多分バレなかっただろうと。
私にもまだよくわからないんですが、大学院重点化と、派遣解禁の流れが大体同期してるんですよねぇ。
>大学院重点化と、派遣解禁の流れが大体同期してるんですよねぇ。
「大学院重点化」=一握りのスーパーエリートを重点的に養成
「派遣解禁の流れ」=圧倒的多数の"それ以外"は低賃金で我慢せよ
てことではないかと(爆
「国際競争力」なんて言葉が出ているので、少しピンボケのことでも書いてみますね。
貿易に関する経済学、例えば比較優位論とかを囓ってみると、そういう理論の根底に一つの考え方があることに気が付きます。それは「貿易の目的は輸入である」という大原則です。つまり「輸入したいものがあるから貿易が起こる」のであって、輸出とは「輸入したい物を輸入する代金を稼ぐための行為にすぎない」という事です。
そして、国際競争力とは、「輸入したい物の代金を稼ぐ能力」と言うことであり、必ずしも、生産性の優位を意味しない訳です。例えば中国はハイテク製品を輸入したい訳です。そのために農産物や衣料品などを輸出します。その輸出は、相手を日本に限って見ると大変に順調です。つまり非常に国際競争力に優れている訳ですね。
なぜ中国の日本に対する輸出が順調かというと、日本がなんら「何を輸入するための代金を稼ぐのか」という考え無しに、「とにかく売りたい」とハイテク製品を売る事によって、為替レートが大きく変動し、中国が日本に売れる物は日本との競争では価格で必ず勝てるからです。
つまり、日本が「何を買う代金を稼ぐか」という考え方に立ち戻る事無く、「とにかく売りたい」と売る限り、日本の国際競争力は低下する様に見える訳ですね。
お国はしばしばこの論法で物事を進めますね.
例:「(1)法律家が,アメリカと比べて少ない.→ (2)もっと多くしなければ.→ (3)これまでのように試験一辺倒でなく法科大学院できちんと教育して法律家養成」
この論法はまともでない.
(2)の発想は,「需要があるのに供給が追いついていない」という現状認識のもとに成立するが,果たして需要はアメリカ並みにあるのだろうか?
博士の場合も同じ事が言えます.
実際のところ需要過多でないのに,お国の人たちには需要過多に見えてしまっている(或いは「私には需要過多にしかみえない」かの如く振る舞うことで,あらぬ利益をこうむれるのでそう装う)ところに問題があります.
まぁ今の世の中,たいていの分野で,供給者は「需要過多であればどれほど嬉しいことか」と切望しているので,この切望が「あらぬもの(まぼろし)を見せている」のだと言うこともできるでしょう.
しかし,それは,現状認識として違っている.少なくとも,組織の経営者がそういう「まぼろしに基づいた行動」を取っていたのではまずい.しかし,なぜかお国は「まぼろしに基づいた行動」を取っている.なんでだろう….組織がデカすぎて国民との距離が遠すぎるからかなぁ….
> 国際競争力とは、「輸入したい物の代金を稼ぐ能力」
比較優位とかムズカシイ話は分かんないのですが,ここでいう「国際競争力」とはなんか違う気がします.
お国がこの言葉で言いたいことはきっと,「日本の科学技術が生み出す成果なしには,他の国の人が生きられなくなるとき,日本は国際競争力があるという」というような言い方で定義される「国際競争力」だと思うのですね.
要するに他国への依存度.
科学技術的に他国が自国に依存してくれていればいるほど,日本は科学技術的に国際競争力がある,ということになるでしょう.
でもこれ(=本国の国際競争力が国内のどの組織に依存しているか)って,別に大学の専売特許じゃないわけですし,博士課程進学者数/年との相関ですぐさま心配すべきことかと言われればそうでもない気が・・・
> 「大学院重点化」=一握りのスーパーエリートを重点的に養成
> 「派遣解禁の流れ」=圧倒的多数の"それ以外"は低賃金で我慢せよ
はぁ….なんでこうなっちゃうんだろうねぇ…(=8割の人が中流を形成する世の中を実現する,或いは実現してそれを維持し続けることが難しい理由は何か?)
>> 国際競争力とは、「輸入したい物の代金を稼ぐ能力」
>比較優位とかムズカシイ話は分かんないのですが,ここでいう「国際競争力」とはなんか違う気がします.
実のところ、突き詰めると違わないハズなんですよ(笑)。ところが、誰も突き詰めないから、「違って見える」訳です。そして、「国際競争力」という言葉が一人歩きしてしまうところがこの国の「不幸」なんです。
>お国がこの言葉で言いたいことはきっと,「日本の科学技術が生み出す成果なしには,他の国の人が生きられなくなるとき,日本は国際競争力があるという」というような言い方で定義される「国際競争力」だと思うのですね.
なんていうか、「他の国が日本の技術力に依存する」と「どういう良いことがあるのか」ということなんです。「気分が良い」という話もあるかも知れないけど、そんな気分で「国の方針」を認めるのが日本の国民なんでしょうかね。きちんと突き詰めるなら「輸出が順調になる」という事にしか結びつかないし、輸出で得られるのは「外貨」に過ぎないわけです。外貨というのは「何か欲しい物を輸入」して始めて「価値」に変わる訳ですから、当然「他国の自国への依存性を高める」と言うことの目的は、「他の国ものが容易に手に入る」というだけの事なんですね。
或る意味で日本というのは食料や衣料品の他国への依存率の高い国になっていますから、そういう分野では「臭い競争力が低い国」になつている訳です。そして、科学技術関連製品の「国際競争率」を高めると、そういう一般日常製品の競争率は低下するというのが比較優位論から導き出される結果なんです。
そうなると、下のリンク先で紹介されてるような「『外貨を稼げる産業』つまり製造業の衰退は日本にとって危機的」という主張にも眉に唾つける必要がありそうですね。
» link here «
てか『外貨を稼げる産業』が果たして製造業しか存在しないのか他に何か選択肢があるのかということも考えるべきだし、兎に角モノを作ることに価値があって、作った後のことはオマケなんだて考えでモノ言っている様に思えてならないんですよね。その辺り「モノ作り立国論」を主張している面々には抜け落ちている気がする。
「国の威信が上がる」←→「自国民が他国民よりも相対的に裕福な暮らしができる」ということなのではないでしょうか.
こんにち,「選択的に移民を受け入れる」なんて話がお茶の間に流れてますよね.これはどういうことかというと,「(自国の国益に貢献すると見込まれる)優秀な移民だけを受け入れる」ということですよね.これは「自国民が他国民よりも相対的に裕福な暮らしができる」ということを潜在的な目的とする措置だと思うのです.
> 食料や衣料品の他国への依存率の高い国になっていますから、そういう分野では「臭い競争力が低い国」
これは,「お前ら(日本国民)なんか,所詮,俺らが輸出してやらなければ,一般日常製品に困るもんね」という言い方で,本国の競争力の低さが露呈するのですが,別の面では,「ほうほう,たしかにそうかもしれないが,お前ら(相手国民)も,輸出して外貨を稼がなくちゃいろいろ困ることが出てくるんじゃないの?」ということがありますので,力関係は均衡っぽくなりますね(もちろん量的な話抜きの場合ですが).
> 「貿易の目的は輸入である」という大原則です。つまり「輸入したいものがあるから貿易が起こる」のであって、輸出とは「輸入したい物を輸入する代金を稼ぐための行為にすぎない」という事です。
これは,分かります.お金は所詮「手段」であって「目的」ではないわけですから.
> 科学技術関連製品の「国際競争率」を高めると、そういう一般日常製品の競争率は低下する
要は,お国はいま「科学技術分野における本国の国際競争力を高めなければならない」という前提に基づいて行動しているけれども,それは,比較優位論が敷く仮定に基づく限り「他分野(一般日常製品)における本国の国際競争力が低下する」結果をもたらすことが懸念されるわけであるが,お国はその懸念に関して無頓着であり,そこが問題だ,ということですね.
>これは,「お前ら(日本国民)なんか,所詮,俺らが輸出してやらなければ,一般日常製品に困るもんね」という言い方で,本国の競争力の低さが露呈するのですが,別の面では,「ほうほう,たしかにそうかもしれないが,お前ら(相手国民)も,輸出して外貨を稼がなくちゃいろいろ困ることが出てくるんじゃないの?」ということがありますので,力関係は均衡っぽくなりますね(もちろん量的な話抜きの場合ですが).
この「力の均衡」が「国籍の意識」などという夾雑物を排除して理論化すると「国際分業論」になります。現実には複雑で連続的ですが、とりあえず産業を労働集約型産業(農産物や日用衣料など)と知識集約型産業(ハイテク製品)に分けて考えると、A国が知識集約型産業の製品で貿易上の優位に立つとき、為替レートの変動はB国の労働集約型産業の製品をA国の生産性によらず「貿易上の優位」に立たせます。それが比較優位という事なんです。でもって、A国にはB国から「知識集約型産業に向いた人材」が流入し、B国にはA国から労働集約型産業に向いた人材が流入することで、A国とB国の間で「国際分業」が成立し、そして、それが最も効率的な生産になるという理論です。実際に日本の国民が、そのような将来像を描いて「それがよい」という意識で知識集約産業の「国際競争力を維持しなくては」と思っているなら、それは大変に良いことです。
例えば、heisanさんが知識集約型産業に向いた人材であるなら、A国で仕事を見つけて働く訳ですが、もしもheisanさんのお子さんが、「僕はどうもこんな知識集約型産業に向いて居ないみたいだから、B国に働きに行く」ということなんかも起こるのが国際分業論の世界です。そこになんら、軋轢がなく快く送り出せる未来像なら、国際分業こそ、世界的な生産力の向上につながりますから歓迎します。
>要は,お国はいま「科学技術分野における本国の国際競争力を高めなければならない」という前提に基づいて行動しているけれども,それは,比較優位論が敷く仮定に基づく限り「他分野(一般日常製品)における本国の国際競争力が低下する」結果をもたらすことが懸念されるわけであるが,お国はその懸念に関して無頓着であり,そこが問題だ,ということですね.
というか、国はというか、国民はきちんと「国際分業をおこそう、いざとなったら人の流動も必然だからおこそう」という意識で知識集約型産業の競争力を維持しようとしているかという事です。最終的に人の流動が起きないで国際分業が進むと、知識集約型産業の方で労働集約型産業人口の余剰が生じ、最悪は内乱が生じる事が予想出来るからです(理論的には労働集約型産業の国でも知識集約型産業人口の余剰は生じますが、それは比較的吸収がたやすいのです)。
ふむふむ.
国際分業論や比較優位論は,要は「分業すると効率が良い」ということを理論的に示したお話,という風に見えますが,正しいでしょうか.(それから,この理論は,国に限らず組織一般に言えることのような気が…)
> A国とB国の間で「国際分業」が成立し、そして、それが最も効率的な生産になるという理論です。実際に日本の国民が、そのような将来像を描いて「それがよい」という意識で知識集約産業の「国際競争力を維持しなくては」と思っているなら、それは大変に良いことです。
> というか、国はというか、国民はきちんと「国際分業をおこそう、いざとなったら人の流動も必然だからおこそう」という意識で知識集約型産業の競争力を維持しようとしているかという事です。最終的に人の流動が起きないで国際分業が進むと、知識集約型産業の方で労働集約型産業人口の余剰が生じ、最悪は内乱が生じる事が予想出来るからです(理論的には労働集約型産業の国でも知識集約型産業人口の余剰は生じますが、それは比較的吸収がたやすいのです)。
ここで言う「理想的な分業的国際社会」が実現するためには,(1)各国間の「国際社会におけるそれぞれの国の産業上の役割は何か」に関する認識が一致しており,(2)その認識が為政者だけでなく国民の間にも共有されていないといけませんよね.でもこれを整備する(この(1)・(2)の条件を揃える)ことは結構難しそう…
そもそも「国際競争」とは,「オレは知識集約型産業で行くから,アンタは労働集約型産業で行っとくれ」というような,平和的な世界像を呈さないと思うのですよね.そうではなく「アンタは知識集約型産業で行くのか.実はオレもなんだ.」というような非平和的な世界像だと思うんです.ここに,国際分業論・比較優位論の上で展開される「国際競争力」という言葉と,日常的な感覚で言うところの「国際競争力」という言葉の間に齟齬を感じてしまうんですよね…
それから,この話でいくとすると,仮に,十分に適切な各国の国民の意識の下,国際的に分業が成立したとき((1),(2)の条件が揃ったとき),「知識集約型産業の国は,労働集約型産業の国に比べると,余剰人口の吸収がたやすくない分,不利である」ということになる気がするのでしょうが,これはその通りなのでしょうか.
>そうなると、下のリンク先で紹介されてるような「『外貨を稼げる産業』つまり製造業の衰退は日本にとって危機的」という主張にも眉に唾つける必要がありそうですね。
なんていうかな、例えば子供の成長期には「どんぶり飯で5杯」なんて喰い方をしますし、またその時期には幾ら喰わせたって、きちんと健康に成長する訳です。でもね、成長が終わってからも「ドンブリ飯5杯」なんてやっていると、肥満から生活習慣病になっちゃいますよね。実は「外貨を稼がなくては成らない」というのは、その国が成長期なのか安定期なのかで意識を変えなきゃ成らないものなんです。
私の仕事場は大正時代に作られた国立陶磁器試験所の流れを汲む研究所でしてね。私が入った頃は、まだ日本の成長のための外貨稼ぎを陶磁器がしていた時代の先輩も居たわけです。
なんていうかな、「機械産業を興したい」と思ったって、まだ日本では「加工機械を作る加工機械」そのものが作れなくて、欧米から輸入しなくちゃ成らない時代なんですね。そうすると、「とにかく売れるものを売れ」で、陶磁器なんてのは作れるから、作ってうる訳ですよ。でもって陶磁器試験所は、「どういうのが売れるか」をひたすら調査して、その作り方も提供したりして、ひたすら外貨を稼いだわけですね。でもって、その外貨が回り回って、「加工機械を作る機械」の輸入に使われる訳です。加工機械を作れるようになると、その加工機械でつくる簡単な部品とかを輸出して外貨を稼いで、その外貨がまた次の「まだ国内で作れない物の代金」になっていくというのが、成長期なんですね。その時代には、「とにかく外貨を稼ぐのは良いことだ」となるのは当然なんですが、本当はどこかで「あれっ、この外貨で何を買うんだろう」となる時期があるわけです。私に言わせると今から30年ほど前ですね。田中角栄の日本列島改造論とかの時代です。その時期に、「日本の安定期のための外貨稼ぎのレベル」っていう話がでると良かったのだけど、そんな簡単に意識転換はできません。「買いたいものが分からなくても、とにかく外貨を稼ぐのはよい事」と売りまくった訳です。その結果「買いたいもの」がないから「黒字が溜まる」となって、「国民の皆さん、外国製品をもっと買いましょう」なんてやったのが中曽根さんだったのですね。でもってその時期にも「外貨を稼ぐのは良いこと、ただ貿易黒字はバッシングを受けるから、とにかく売るためには、買わなくてはならない」となって、国内の農家とか、繊維産業や陶磁器、つまり上で言うところ労働集約型の産業は、どんどんと苦しくなって消えていく形が起こるのね。でもって、それがやがて、ハイテクを支える単純部品製造なんかにも及んで、日本の主要輸出品の部品は台湾から輸入なんて形になっていく訳です、いわゆる部品産業の空洞化ですね。でもって、今でも、日本国民は「外貨を稼ぐのは良いこと、頑張って稼がなくちゃ」と成っていて、「国際競争力」なる言葉が1人で歩いている訳です。
まあ、ざっと、日本の最近の経済史のおさらいでした。
> でも、日本国民は「外貨を稼ぐのは良いこと、頑張って稼がなくちゃ」と成っていて、「国際競争力」なる言葉が1人で歩いている訳です。
端的には「手段の目的化」という言葉で表されるのでしょうけれど,これって怖いですね.なにせ,国からしてその罠に引っかかってるのですから.初期の頃に「取り敢えずいまは『外貨を稼ぐのは良いこと』と思って行動して間違いない」と判断して,その判断に基づいて行動した.ところがそうして行動しているうちに,「なぜあのとき『外貨を稼ぐのは良いこと』と判断したのか」を忘れて(ちょっとアレな言い方をすれば,「外貨を稼ぐのは良いかどうか」を返す関数の値が時間によらないかの如く思いこんでしまい(短期的には時間によらないと見なせるが,長期的には見なせない)),ついつい猪突猛進してしまう.こういう性質が,もともと人間には備わっているようですね.そしてその振る舞いは,個人であっても集団(組織)であっても変わらない,と.
>国際分業論や比較優位論は,要は「分業すると効率が良い」ということを理論的に示したお話,という風に見えますが,正しいでしょうか.(それから,この理論は,国に限らず組織一般に言えることのような気が…)
なんていうか、アダムスミスの「分業による生産性の上昇」というのは「放っておいてなるものでも無いから、誰かが音頭をとって分業を組織化する」という事を念頭に置いた上での「生産性の向上」であるのに対して、国際分業論というのは、「市場競争の中で、貿易が起こると、否応なしに分業が起こっていくよ」という、「成り行きを示した物」であるわけです。まあ、アダムスミスの考え方でも、どこかの工場が分業し始めたら、分業していない工場は競争に負けるという事で、全体に分業するようになるという点では「否応無し」の面が有るんですけどね。
気を付けて欲しいのは、この「否応無し」という事なんですね。貿易上の優位を推し進めると国際分業というのは「否応無し」に起こっていく事ではあるけど、そのスピードは「貿易上の優位の推し進め方」で変わってくるものだから、ゆっくりと「国際分業」に必要な色んな体制とか考え方を整備しながら推し進める事もできるし、そんなことに無頓着に「貿易上の優位はトコトン追求」と推し進めて、体制も考え方もできないうちに、「あれぇ、うちの国内には労働集約型産業は無くなってしまった。街にはこれまで、そういう所で働いていた人が失業者としてあふれている。困ったな」と成ることもできる。それは、まさに、今、自分たちが選択すべき事なんですよ、どっちになりたいかをね。
>「知識集約型産業の国は,労働集約型産業の国に比べると,余剰人口の吸収がたやすくない分,不利である」ということになる気がするのでしょうが,これはその通りなのでしょうか.
このあたり、難しいのですけどね。例えば、今、米国のIT産業で働く人の中に、高学歴のインドの人とか中国の人が沢山いる訳ですね。つまり、インドや中国ではなかなか能力を発揮出来ない「知識集約型産業労働人口」は既に米国とかヨーロッパに吸収されはじめているわけです。ところが、米国で1万人の工員さんを抱えている工場が倒産してレイオフが起きたときに、「米国に仕事が無いな、じゃあ中国やインドの工場にでも行って働くか」は起こっていない訳です。現実に中国なんてのは、まだ田舎の労働集約型労働人口すら労働集約型産業が吸収出来ていなくて、非常に大きな国内地域格差問題を抱えていますからね。
つまり、国際分業が起こるための下地はできていないのに、先進国がハイテク製品の「貿易上の優位」をドンドンと推し進める事で、「成り行き」として、国際分業の始まりに近いことが起こっているわけです。そして、日本もまた、そういう方向にドンドンと進んでいる訳ですが、そういうダイナミックな変動への準備は、皆さん当然お持ちなんでしょうか?という事なんですね。
なんていうか,人間というのは(特に男というのは),「明確な目標が決まっていたらあとはそれに向かって遮眼帯的にまっしぐら」みたいなところがありますから,「否応無し」に起こってくる国際的分業のスピードを人為的に遅らせるってのは,なかなか難しそうですね.あ,でも,個人がそれをするのは難しいけれども,国策レベルでならできるのかも.