コメントもトラックバックも受け付けていません。コメント無しにした状態でページを動的に出すと、既に投稿済みのコメントまで表示されなくなるため、静的に表示させています。このため、コメント入力のフィールドが出ていますが、POSTボタンは無効なので、ご注意ください。
All Maps
【業務連絡】当面コメントを承認制にします(06/05 15:08)
こんな疑似科学は嫌だ(06/04 23:42)
教科書レベルの記述(06/04 01:29)
シャープペンの芯についてのメモ(05/31 13:03)
人を切り離さないことによるメリットを知りたい(05/29 19:46)
理科実験(?)ネタ本(05/27 23:41)
パスを探してくれてない?(05/23 20:13)
赤福餅入手(05/23 17:12)
冷凍冷蔵庫欲しい……(05/19 01:27)
おうちをBフレッツにした件(05/17 21:34)
実は水伝はニセ科学以外の部分が多いのではないか(05/16 01:39)
暖をとる(笑)(05/15 01:20)
いくつかメモしておく(05/13 19:26)
Der Schwarm(05/12 12:58)
日本語の問題というよりは……(05/11 17:20)
ditto直接実行の方が良さそう(05/07 19:11)
【業務連絡】時々サーバを止めるかもしれません(04/30 03:14)
講義wiki更新とか(05/02 18:16)
昨日は論で書いたので……(05/01 23:55)
ゼミとかファイルとか(04/29 12:56)
kkojima (2008/06/05 10:41)
pooh (2008/05/29 20:51)
北風 (2008/05/29 21:37)
ひろのぶ (2008/05/29 22:02)
シンシン (2008/05/30 05:43)
zorori (2008/05/30 08:16)
akiko (2008/05/30 10:02)
apj (2008/05/30 10:15)
apj (2008/05/30 10:34)
apj (2008/05/30 10:42)
黒猫亭 (2008/05/30 16:08)
apj (2008/05/30 20:58)
憂鬱亭 (2008/05/30 21:00)
kaqu11 (2008/05/30 21:02)
たんぽぽ (2008/05/30 21:56)
pooh (2008/05/30 22:07)
apj (2008/05/30 23:31)
北風 (2008/05/30 23:53)
apj (2008/05/31 00:23)
zorori (2008/05/31 06:42)
Narr (2008/05/31 10:17)
MEDAMA (2008/06/01 23:04)
ぐら虫 (2008/06/02 10:24)
ぐら虫 (2008/06/03 17:18)
エディ (2008/06/04 06:37)
大' (2008/05/26 15:11)
apj (2008/05/26 17:00)
apj (2008/05/26 19:42)
大' (2008/05/26 20:25)
apj (2008/05/26 21:44)
disraff (2008/05/27 13:58)
apj (2008/05/27 23:49)
Niimi (2008/05/23 19:08)
apj (2008/05/23 21:19)
きこ (2008/05/23 21:50)
tamtam (2008/05/24 05:36)
apj (2008/05/24 13:12)
とむけん (2008/05/25 19:47)
(ぱ) (2008/05/19 03:56)
bugbird (2008/05/19 06:23)
apj (2008/05/19 11:25)
通りすがり (2008/05/19 20:25)
apj (2008/05/19 20:59)
エディ (2008/05/20 21:01)
mimon (2008/05/20 21:45)
mimon (2008/05/20 22:06)
いいじま (2008/05/22 10:04)
apj (2008/05/22 10:47)
mimon (2008/05/23 21:51)
瑞垣 (2008/04/25 16:24)
apj (2008/04/25 21:53)
mimon (2008/05/20 21:17)
apj (2008/05/20 23:48)
mimon (2008/05/21 01:13)
apj (2008/05/21 02:36)
Niimi (2008/05/11 19:21)
mishi (2008/05/11 19:35)
温泉カワセミ (2008/05/11 20:54)
あんじ (2008/05/12 03:00)
あんじ (2008/05/12 03:40)
中山 (2008/05/12 04:30)
山本弘 (2008/05/12 08:43)
もとエスペ (2008/05/12 09:19)
酔うぞ (2008/05/12 09:46)
VOT (2008/05/12 10:36)
apj (2008/05/12 11:48)
mo (2008/05/12 13:14)
山本弘 (2008/05/12 14:21)
apj (2008/05/12 14:37)
Enzo Romeo (2008/05/12 14:51)
杉山真大 (2008/05/12 15:29)
青木裕一 (2008/05/12 16:10)
みのりん (2008/05/12 17:55)
shunsoku (2008/05/12 19:52)
shunsoku (2008/05/12 20:00)
apj (2008/05/12 21:54)
中山 (2008/05/18 05:53)
Noe (2008/04/24 11:46)
apj (2008/04/24 12:12)
Noe (2008/04/24 12:35)
apj (2008/04/24 12:49)
apj (2008/04/27 01:09)
越後屋遼 (2008/04/27 15:33)
apj (2008/04/28 00:09)
PPP (2008/05/16 13:42)
apj (2008/05/16 15:06)
apj (2008/05/16 15:07)
PPP (2008/05/18 04:13)
美味しい好き (2008/05/14 09:23)
apj (2008/05/14 12:18)
Noe (2008/05/14 14:48)
通りすがり (2008/05/14 16:14)
通りすがり (2008/05/14 16:32)
zorori (2008/05/14 18:54)
apj (2008/05/14 18:55)
apj (2008/05/14 18:59)
鏡弘道 (上の通りすがり) (2008/05/14 19:25)
apj (2008/05/14 20:04)
kaey (2008/05/15 00:30)
apj (2008/05/15 21:09)
apj (2008/05/15 21:12)
たまに見てる人 (2008/05/16 09:17)
apj (2008/05/16 16:44)
Isshocking (2008/05/17 09:56)
がんのすけ (2008/05/16 02:28)
Re:なぜ「ゲルマニウム(健康グッズ限定)」の効果がまったく期待できないか
柘植 (2006/12/28 14:36)
とりばち (2006/12/28 17:56)
みつを (2006/12/28 19:52)
apj (2006/12/28 20:30)
apj (2006/12/28 21:06)
とりばち (2006/12/28 21:15)
やぎ (2006/12/30 08:39)
apj (2006/12/30 15:00)
柘植 (2007/01/05 08:31)
apj (2007/01/05 12:30)
柘植 (2007/01/09 11:42)
越の国 (2007/01/10 01:29)
越の国 (2007/02/13 04:28)
apj (2007/02/13 12:23)
みつを (2007/02/20 10:11)
寿康堂 (2008/04/15 18:19)
apj (2008/04/15 22:40)
加藤 (2008/05/15 16:12)
zorori (2008/05/15 18:49)
apj (2008/05/15 20:45)
Kei (2008/05/07 21:23)
default_main (0)
「ああいう非科学的な授業をなさるのはどうしてですか?」問題の先生、道徳としても水伝じゃ内容がダメだということに全く気付いていない様子orz。学校の先生が率先してこういう話にハマられると大変に困る。特に初等教育がこれだと……。
「あ、いやちょっとまずいかなと思って他の先生と相談したんですが、いいか なということで」
相談してこれかーーーい!
「道徳の授業で嘘教えてはいけませんよね」
「いえ、一応『これは科学的には正しいかどうかわからないことです』と前置 きしました」
「私は隣のクラスの父兄だから、最初から聞いてたわけじゃないけど、途中から見る限り、あなたの見せ方は『どうだこの実験凄いでしょ』という感じで、どう見ても『正しいかどうかわからない』というふうには聞こえませんでした よ、それに問題は『正しいかどうかわからない』じゃない。『間違っている』んです」
「え、そうなんですか、知りませんでした」
「あなた、『ありがとう』って紙貼ったら結晶の形がよくなるなんて、そ んなアホな話信じたんですか?」
「いや私は言葉を大切にするという授業の中で『この話が本当だったらいいなぁ』という願望で・・・」
「つまりあなたの願望であって実験的事実じゃないでしょ。それを子供にホントみたいに語ってどーすんです」
「すいません、以後気をつけます」
そんなあっさり謝るぐらいなら最初からするなよこんな授業(T.T)
「以後って、、、、そういえば他の先生にも相談したって話ですが、他の 先生がまた同じような授業されるってことですか」
「はいたぶん」
やっぱりやるのかよ(;_;)
「・・・・・・・・じゃあ後日また、この話をしに伺います」
しかし、相談してもチェック機構が全く働いていないというのは、一体どうなっているのだろう。そんなに道徳について何も考えてない人ばっかりだったのだろうか。
posted at 2007/06/18 19:47:23
lastupdate at 2007/06/18 19:53:57
問題の先生、話しててものれんに腕押しな感じで参りました。
それでは「はぁ?」という顔されるだけだと思いますよ。>threadpoolさん
下手すると今時の若いもん言葉で「何それまじ関係ねえし」とか言われるかも。
ちなみにこの先生には「こうなったらいいなぁ、という願望と事実を間違えていると、『空が飛びたいなぁ』という願望と事実を混同して麻原の空中浮遊に騙されたオウム真理教教徒と同じことになりますよ」と言ってやったけど、やっぱり「はぁ」でした。
自分の経験上、教育関係の雑誌や本に載っている題材なら、(特に実践例集みたいに他の教師が行って効果があるなど説かれていたら)それをそのまま信じてしまう人は、若い人にはたくさんいるのではないでしょうか。思い通りに行かないときにそれを助けてくれますから。
幸いにして、私の職場で水伝を行っている人はいませんが、オーソドックスに血液型性格診断は当然の事実であるかのように話がされていますし(保護者でも自分の息子がB型だからこうなんだ的な話をしてきます)、先日は、懐かしの動物占いが統計学に裏付けられている科学的なものだと私に一生懸命話をしてくる同僚がいて、どうしようかと思いました。
ゲーム脳も、水伝も、どっぷりはまっている人は、「ああ、はいはい」とあしらわれてしまうので、話を聞いてくれそうな人にしか話ができません。
これって、教師が基本的に学校優等生のなれの果て(失礼!)だということに見えます。本や参考書の言うことを素直に信じ、教師や先輩の言うことを素直に信じるというのが、学校での優等生の振るまいですし。でもって、真面目に勉強した結果、教育学部に合格し教員免許を取得し採用試験にも合格する、と。
どうなんでしょう……。
私が小学生のころ(40年近く前)、担任の先生は、血液型と性格の関係には、「科学的根拠はない。」と、言い切ってましたから、小学校の先生全部が「あちら側」の人ではありません。
ただ、理系的センスが貧弱な人が多いように思えます。
私の女房に言わせると、「だって、(大学入試で)地方大学の教育学部にしか受からなかった人でしょう。」と、一笑に付します。
#お前だって、私学じゃないか!
apjさんの「優等生」説には、少し違和感を感じますね。
「体育会系のにーちゃん先生」
ですね。それだけに子供をノセるのはうまそう。でもニセ科学にノセるのもうまいんじゃ困るんだよ(;_;)。
よくよく思考がまとまらないので、考えの中の簡単なひとつを取り出してみると、それはこういう疑問です。
先生って、うそを教えてもいいの?
いろもの物理学者さんの日記から飛んできました。
で、遠い昔(おそらく20年くらい)とある一般向け科学雑誌に
「細菌の培養に人間の心理が作用するかも。」とか載っていたのを
思い出しました。
具体的には、複数名で『祈る』と減れと祈れば減るし
逆に増えろと祈れば増えるって物だったはずです・・・
当時から「ンなバカな。」とか感じてたんですが
形を変えて生き残ってるんですねぇ・・・(^^;
うそも方便 といって逃げそうな気がします。
良い言葉を教えるのに、ちょっとの嘘、それもすぐには嘘とは
わからないうそをつくくらいかまわない、と考えそうです。
このうそが蔓延することによる悪影響なんか、私のしったこっちゃないと思うのでは。
教員の資格のあり方を見直して、潜在的には大量に存在する高学歴理科系人材(つまり、ポスドクをつないでいる方々)を活用できるといいと思うのですが、素人の思い付きですかねえ。
>教員の資格のあり方を見直して、潜在的には大量に存在する高学歴理科系人材(つまり、ポスドクをつないでいる方々)を活用できるといいと思うのですが、素人の思い付きですかねえ。
理科の得意な人を教壇に立たせて、果たして今時の生徒が理科の興味関心を引き付けられたり、そこまで贅沢言わなくても理科の知識や思考を学べるもんなんですかね?
以前に数学教育のことで色々話題になってた際に、矢野健太郎氏の「日本の数学教育は科学技術(理系)のための数学教育に熱心で、行動科学(文系)のための数学教育が疎かになっている」って書いてたのを引いて、教える側の問題を指摘したことがあるんですよね。
同じことが理科にも言えるんじゃないですか?ましてや理科の興味関心満々で"お利巧さん"ばかりの「高学歴理科系人材」じゃ、理科に興味関心の無い生徒にとっては独善的で身勝手なことばかり言われてる気がしちゃうのでは?
水伝を使う事に問題をさほど感じない先生はトンでもない、というのは合意するとして、なんでそこから話が進まないのか?が問題でしょうね。
例えば水伝を「世の中にはこんなとんでもない話があって」と紹介するのなら、小学校の授業として成立しても良いかもしれない。
で、このところすごく気になっているのですが「日本はデジタル的思考方法に偏りすぎていないか?」であります。
問題の先生は、いろもの物理学者氏にやっつけられても、他の教材に話が行かないのは「怪しいでは禁止ではない」というデジタル思考なのではないか?と思うのです。
つまり「怪しいから避ける」という生活の知恵レベルでダメだとなります。
これが別に先生だけの話ではなくて、わたしが扱っている事故などについてもどうもそういう指向があるように感じます。
一年前になりますが、ふじみ野市でプール吸い込み事故が起きたら、市はプールをさっさと廃止してしまった。同じく、港区のマンションでのエレベータ死亡事故では、住宅管理公団(だったかな?)が解散しまった。
福島県白河高校のPTAは訴訟のリスクがあると総会を開いて解散。
コレって、何かヘンですよ。
原因究明には解散とかしないでいただきたいわけです。
世の中にどうもこういう風潮があるから、調節機能が働かないのだと思う。
逆言えば「ちょっぐらいヘンでも悪いと認めるまではそのままでよい」ところがあるから、抜本的な改善にならない。
これは、JR福知山線脱線事故の原因究明などに表れていますね。
というわけで、わたしの予想としてはこの先生「悪いと決まっていないから、私の判断で使う」と言い出すのではないか?と思います。
あるいは「国が使ってはいけないと決めてくれ」とかね。
「怪しい」が抜け落ちつつある国なのかもしれない。
多分、昔は色々な経験を子供の内にしていて、そのいくつかに理科教育で回答が与えられる、といったところがあったのだと思います。
それが、最近では子どもたちの経験の範囲は非常に狭くなった。
そして、ゲームなどバーチャルな経験は圧倒的に増えたから、どうも高校生になっても、理科・工作といったものを楽しんだことがないらしい
これでは「面白いことを勉強しろ」と言っても通用しないわけで、学校教育の枠組みを離れたところで、面白い実験を触らせるといったことが有効なように思います。
管理人様がどこかで書いていらしたかと思いますが、「科学的に証明されていない」ことには実は2つあって、「これまで証明されてきた科学的な知見や観測事実から考えれば100%ウソと考えられる」ことと、「これまでの観測技術では観測できないので本当に『わからない』」ことがあると思います。
この2つの区別をつける力、特に前者を見破る力というのが「消費者としての科学力」かなあと思うのですが、そういう力を付けさせる教育になっていないし、そういう力を付けさせるための教員を養成できていないワケです。
「水伝」を信じることが出来るレベルの「情報力」ではこの先高度な科学技術を活用して生活していく中で「損をする」場面が非常に多くなるというか、「生活力」が低下するだろうということを認識できない教育者が少なからずいるということなんでしょうね。
せめて「総合的な学習」で外部の博士を活用して「理科の力で生活力を高める教育」をやってくれればいいのですが。
当事者先生にとってのプライオリティは、生徒に興味を持ってもらう道徳の授業をすること、なわけです。道徳が、他教科と比べて扱いづらいやっかいな面を持っているのは簡単に想像できます。
そこに、生徒の注目を集めて、道徳内容を伝達するにちょうど良い素材があった、というのが、広まった理由でしょう。
それに対し、科学的に間違っている、嘘ですよ、といっても、「嘘も方便」という言葉が返ってくるでしょうね。だって、プライオリティは、科学としての内容ではないのですから。
他の先生から、それはちょっとどうかな、という意見があっても、それが止まらなかったのなら、それは本当にDQNな先生か、もしくは、それほど道徳授業の素材に困窮している減少の裏返しではないでしょうかね。私にはそのように見えます。他にもっと良い教材があれば、それを使うように勧めればいいのですから。
あと思いますに、道徳の授業が一番必要なのは、実は学校の先生だった、ということが、この件で明らかになったわけですよね。大笑。
現在の豊かな生活を作りだし、支えている科学と、その思考プロセス、そして明らかになってきた事実に対して、誠実さが欠けている、という証明ですからね。
エドマンド・ウェイ・ティール曰く。
「気分さえよければ真実かどうかなど気にしないというのは、金さえ手に入れば汚い金でもかまわないというのと同じくらい倫理的にたちが悪い」
学校の先生に、まず、道徳の授業を受けてもらったほうがよさそうですね。
科学よりむしろ道徳の問題ではないかと考えます。
ニセ科学に興味のあるみなさんは
すべて科学力の問題にしてしまいますが
水伝の場合は科学だからというより
いい話というのがまず基本だと思うからです。
昔水伝についてしらべていたときなど
この本の内容はウソって見抜いてる人でさえ
でもいい話でよい本だと評価してる人をみかけましたよ。
あと前から気になってるんですがニセ科学の問題を
科学無知だからひっかかるということを言う人は多いですが
世の中の問題が科学の問題だけなら科学の勉強をすればよいですみますが。そもそも日常のあふれる情報は知識で
ウソを見抜けるものばかりではないです。
科学がわかっていても他のことで無知なら同じことです。
オウム事件の時など理系の人間は
理系の話題以外は無知だからオウムなどに入るとの
指摘もあった気がします。
(それが的を射た意見かはわかりませんが。)
科学センスがない人はダメってことなら
そもそもニセ科学問題の取り組みなど
やるだけ無駄ってこにもなります。
水伝を信じる本人こそが、そう思って布教しておるのではないかと。
科学的整合性の有無で、ゼロか一かで判断してしまうデジタル思考合理主義よりも、感性・感情・心を重要視する(日本的)アナログ的思考こそが大切なんだと。いやそれ「アナログ思考」じゃなくて、「インスタント指向(思考)」なんですが。
自分の信じたいモノしか信じないというデジタルな思考を持つ本人が、自身はアナログ思考であるつもりなので、どう説得していいのやら。
思いっきり事実誤認されているような気がしますが…。
ニセ科学批判をしている科学者の主要な方は、水伝に関して、結構丁寧に道徳問題について語っています。にわか参加じゃない人なら理解していることだと思います。
逆に、私は「なぜ物理学者に道徳まで語ってもらわなければいけないのか?責任を押し付けすぎでは?」といった問題提起もしたことがあるくらいです。
そういった思いの人が多かったからかどうかはわかりませんが、去年(一昨年?)ぐらいからは人文学系の方からも色々と批判が公に出てくるようになりました。
テクノロジーの知識的な意味で「科学的に無知だから」という論調で話をする人もにわかの人ばかりで、前からニセ科学批判をしている方は、本当の意味での「科学的な“考え方”」が大事だということを言っています。知識ではなく、考え方です。
えっと、以前「こむ」と名乗っていたことは有りますが
その(カナ表記の)ハンドルには心当たり有りませんです。(^^;
それを考えたら、そんな授業はできないですよね。
私も、「授業の構成を考えるのが面倒で、誰かが考えてくれてて、いろんなところで推奨されているので、安易に教材にしている」のではないかと想像しつつも、
罵声を浴びせられたら、美しくなく(?)応えてもいいと暗に肯定していないか?
主観的に美しくないものを排除する結果にならないか?
というあたりが気になります。
「結晶の形がよい」というのがエントロピーを小さくすることに対応しているなら、水にお礼を言うだけで凍るんじゃないか(冷蔵庫いらんやん…)とも思うが…。
「水伝」の問題点はやはり「科学的に正しくない」ことであると思います。
もし「水伝」が「科学的に正し」ければ、批判するのは難しくいないですか?「物理学者に道徳を語らせる」といったような道徳教育的な観点からの批判も、「水伝」が「科学的に正し」ければあたらない批判になってしまうように思えます。
また、「科学的に正しい」というのは、単に科学的知識に依拠しているというよりは、「自然現象を正しく観測するための科学的手続きが正しくない」ということだと思います。短く言えば「科学の運用が正しくない」ということでしょうか。
自分の土俵に戻してしまって恐縮ですが、「消費者のための科学」というのは、「巷間出回っている科学っぽい情報が、科学として正しいかどうか」を、知識だけでなく、科学的なセンス(正しい科学の運用の仕方)から見破る力を養うものだと思っています。
「道徳の問題」にプライオリティをおくのはちょっと危険なような。「水伝」の内容自体の道徳教育的意義に関する批判は、科学的な批判あってのものではないでしょうか。繰り返しますが、「科学的に正し」ければ、道徳教育的な観点からの批判も崩されてしまう可能性があると思います。
科学的な知識のある人々がオウムにはまったというのは特に「科学的な知識の運用」の問題だと思うのですが。
そうすると、今度は、道徳の理解が弱いという問題になります。
道徳の根拠を自然科学に求めるのはどう考えても間違っていますので。
「自然科学的に正しい行動」が「道徳的に正しい行動」と偶然一致することはあるかもしれないけれど、道徳的に正しいかどうかはあくまでも道徳の枠組みで評価すべきことですから。
>「自然科学的に正しい行動」が「道徳的に正しい行動」と偶然一致することはあるかもしれないけれど、道徳的に正しいかどうかはあくまでも道徳の枠組みで評価すべきことですから。
ううむなるほど、この点についてはすっかりと抜け落ちておりましたね。仮に「偶然一致してしまった」場合について(「水伝」の場合は科学的に正しくないのでたまたま「一致して」ませんが)、私の考え方では解決になりませんでした。こりゃいけませんね。
いろいろ議論されている中こんなコメントを書くことは恥ずかしいのですが・・・。
apjさま
>これって、教師が基本的に学校優等生のなれの果て(失礼!)だ ということに見えます。本や参考書の言うことを素直に信じ、教師や 先輩の言うことを素直に信じるというのが、学校での優等生の振る まいですし。
自分がその「学校優等生のなれの果て」ですので、あまり偉そうなことは言えませんが、こちらサイドの人間の思いはこうではないかと。
単元や1時間の授業の構想で、どれだけ子供に興味を持ってもらい積極的に学んでもらうか、いろいろな工夫が試されています。しかし、毎日の授業に追われ、一つ一つをしっかり練り上げることができない、自分の授業を(子供にとって)もっと面白くしたいと思っている教師は少なくないはずです。そんなときに、実践して効果があったという単元や授業の構想を取り入れたくなるのだと思います。
特に、学級崩壊や、それ寸前になってしまいどうしたらいいか悩んでいる人にとっては、自己流よりも誰かが成果を上げた方法を取り入れたくなるでしょう。私の職場でもそうなってしまったのでTOSSの指導案を使って授業をしている先生がいます。教科では子供の心をつかんで良い授業ができているようです。
そして、ここがもう一つ大きな問題だと思うのですが、残念ながら我々教師は一般の人と比べて「クリティカルに考える」琴ができているかというと、他の人とそれほど違いはない、ということです。大勢の人が「そうなんだ」と信じてしまうことは教師の側でもやはり「そうなんだ」と思う人がいる、ということになります。
幸いにして、私はapjさんのブログやサイト、そこからリンクされるいろいろなサイトを見て少しだけふれたおかげで小さいながらも親しい同僚に働きかけることができますが、そうでない人も多いと思うのです。(だからどうした、と思っている人もいるでしょうし)
ですから、結論として、「学校優等生のなれの果て」はまさにその通りだと思います。教員養成の段階で、クリティカルに物事を考える抗議や口座があればいいのにと思いますし、自分も学生の頃受けたかったと切に思います。
>でもって、真面目に勉強した結果、教育学部に合格し教員免許を 取得し採用試験にも合格する、と。
まじめに勉強する科目の中に、そのようなものが入っていると良いのに・・・。今は採用者が非常に少ないので、みんな本当に採用試験がんばっているのですが。
コレって、カルト宗教の決まり文句なんですよね。
「もっとも科学的な宗教」なんて表現をしたのは、オウム真理教や幸福の科学だったかな?
一見してわけが分からない現象について解釈するときに「科学的」と付けちゃうことは多くて、それを学校でやるなということに尽きると思います。
>この本の内容はウソって見抜いてる人でさえ
>でもいい話でよい本だと評価してる人をみかけましたよ。
・水伝をウソと見抜けない
→科学の素養が皆無である(見抜くのに難易度の高い科学知識は不要)
・水伝はウソと思っているが、いい話だと判断した
→文系のドッカの素養が根本的に抜け落ちているか、言葉にも人間にも実は無関心である。
・水伝はウソと思っていて、いい話だとも思ってないが、方便として使えるので使う
→本人の倫理観そのものに問題がある。
どれもダメな気がします。
「バカ」「アリガトウ」の代わりに先生の名前を書いてどの先生の名前できれいな結晶になるかを見るのです。
「夏休みの自由研究でこんな研究をするけれどその結果は信用していいのか」と言うのを教師に確認したら何と言うのか見てみたいです。
これ、先生の名前でなく生徒の名前でやったらイジメになってしまいます。
イジメのネタになるような事を道徳で教えるんじゃないぞ。
つくば警察署長が12年も前に収集された怪しいデータ
» link here «
を持ってきて話をする...毎年使い回しているようだけど,
しょうがねえなあと思いながら,おとなしく聞いている研究者
も忍耐深いと前野さん...
» link here «
(mixi のアカウントが要ります)
アカデミックなサイトで,みっともないことを繰り返している
茨城県警でした.w
これは人間社会の永遠のテーマそのものでしょう。
別に道徳でなくても、教える・教わる場合に「あれもあればこれもある」といった内容よりも「この場合は○でこっちの場合は×」といった方が簡単なのは当然です。
が、世の中には理不尽なことが多いわけで、りふじんなことに直面させるのも一つのやり方だろうと考えて、高校生に無理をやらせてます。
段々、丈夫になるものですよ。
小学校の国語で「田中正造」をやったときに感想を求められて
「人のことをとやかく言う前に自分のことを・・・」と答えて
先生を絶句させましたっけ。
(だって道徳の授業でそう言ってたじゃんw)
ご指摘のページ » link here « は茨城県警には無関係で、「アカデミックなサイト」ではないようです。そのページからリンクされている、茨城県警のページ » link here « からは、血液型に関する統計は削除されているようです。
ご参考:» link here «〜kikuchi/weblog/index.php?UID=1158225244#comment_form
mixi の方は見られないのですが、貴コメントは茨城県警批判に取れます。批判すべきは、ABO FAN 氏なのではありませんか?
これでいくかも。 » link here «
これはありえませんね。やたらと道徳教育に拘る政治家が沢山いらっしゃるでしょう?現首相も道徳にはご執心のようですし、近年の教育○○会議の類でも、道徳教育の充実という答申は常に出ているように思います。
仮に日本の全学会が道徳教育のはとりあえずやめろと一丸となって主張したとしても、全く効果はないでしょう。
知育はなんとかできるのかも知れませんが、徳育ができる素養を培っていないのでしょう。もっとも「水伝」なんぞが広まるところを見ると、知育のほうもかなり怪しいですけれど…。
道徳教育にこだわる政治家が居るのはいいんですが、現場で教えられるのがことごとくトンデモ教材になってしまい、政治家の意図通りの結果になんかなりゃしないという自覚はあるんだろうか(まあ、国民としてはその方が安全なのだが、別の被害発生も困るしなぁ)。
>そもそも道徳を教えられる教師がそうそういない
という現実に目をつぶって、政治家の皆さんが道徳を教えろと言っても、そりゃあ無理でしょうよ。無理矢理教えたとしても、道徳以外の何か、でしかないでしょう。
追加させていただきますが
科学者のみなさんが道徳的にもダメだといってるのは
しってますが一般には科学という部分に
重点がいきがちと思うのでそこを指摘してます。
専門家ばかり問題を理解していてもしょうがないので。
また理屈も大事ですが日ごろから道徳を大事に
生きてる人がどれだけいるでしょう?
本当に重要なのはこの部分だと思うので
これは誰にでも関係する話だと思います。
どうみても道徳心などなさそうな政治家が
いくら立派な理屈を語ったところで
話を聞く気になれますないでしょう?
昔いろいろみてまわったときに気が付いたのは
水伝はとんでもない本だと
とりあげてるサイトにはかならず
ウソでもいい話なんだからいいじゃないかと
レスがつくわけです。
でこういったレスをつけられると
それにうまく反論できないでいる人も多いんです。
ようするにわからないのは別に特定の人の問題ではなく
みなわかってないでのすね。
水伝は開き直っていっそのこと道徳の授業で
採用してこの本はなぜダメなのか?をテーマで
道徳の授業をやるといいと思います。笑。
水伝を使う教師の動機はどうなのでしょう?
・教育熱心なあまり?
それとも逆に
・手抜きしたかった?
熱心な先生が多いならまだ救いがあります。
少し間があいていますが,書いておいたほうがいいと思うことがあるので書きます.
(1) 「小学校の先生は一般的に理科が弱い」件について
おおむね,そうだろうと思います.最近の号の『科学』(岩波書店)に,小学校教員養成課程の学生の多くが,電流と電圧の違いを理解できていない,というようなことが書いてありました.
理科の不得意な先生が,理科の得意な先生或いは理系学生・院生・博士系(理系人材)の人からのチェックを受けられるような機構があれば,状況はかなり改善されるのではないかと思っています.
ただし,理系人材の活用に関しては,彼らには教育への関心の度合において大きな個人差がありますので,その点は留意しないといけないと思います.
(2) 水伝を道徳教育の教材として使用することの是非について
> ・水伝をウソと見抜けない
> →科学の素養が皆無である(見抜くのに難易度の高い科学知識は不要)
> ・水伝はウソと思っているが、いい話だと判断した
> →文系のドッカの素養が根本的に抜け落ちているか、言葉にも人間にも実は無関心である。
> ・水伝はウソと思っていて、いい話だとも思ってないが、方便として使えるので使う
> →本人の倫理観そのものに問題がある。
結論から言いますと,私には是非は,分かりません(>_<)
水伝が科学的に問題があるのは分かります.
もし,水伝が理科の教材として使用されており,また科学的な批判の対象としての使用でないのであれば,それは100%おかしいと言うことができるでしょう.
しかし,「水伝が道徳的に問題があるかどうか」はこれはなかなかに難しい問題です.
「水は,人智では計り知れないものを持っている」という考えは,科学的には否定できるかもしれませんが,それと同じだけの批判力を以てそれを道徳的に否定できるかというと,それはかなり怪しいです.
「水というポピュラーな対象のなかにこそ,森羅万象の中核をなす,人間が畏怖すべきものが宿っているものだ」という考えは,八百万の神に代表されるように,本国に息づく宗教観と極めて親和性の高いものです.
もし,「科学的に間違っている」ことが,すべて道徳の時間に教材で取り上げることが禁じられるのであれば,いかなる宗教的・道徳的な教育もできないことになります.
「神様は居る」という命題は,科学的には常に間違いですが,道徳的・宗教的には真たりえます.
重要なことは,「道徳的判断の結果と科学的判断の結果はそもそも異なるものだ」という認識を持っていることです.
焦点は,「この水伝が利用された道徳の授業を受けた小学生の多くが,そこで得た道徳的判断力を,科学的に判断するべき状況でそれをそっくりそのまま流用してしまうかどうか」というところにあると思います.
小学生は,善悪や美醜について,どのような価値観を持っているでしょうか.
私は,「善悪や美醜の判断基準が,世の中には確固として存在する」というまやかしを決して疑うことなく信じているのが小学生時代だと思うのです.
それが,中学生高校生になると崩壊するため,精神的な混乱に陥る.
で,それを乗り越えたところに,「善悪や美醜の判断は人間のみができるものだ」という感覚が芽生えてくると思うのですね.
もし,小学生に対して,水伝が規定するような「善悪や美醜の判断を水ができる」ことを前提とする価値観を注入することの一切が禁止されるのであれば,小学生の多くが目にするであろう数多くの「勧善懲悪型のフィクション」を見せることもまた同様に,すべて禁止されなければならないと思います.
「是か非か分からないものは取り敢えず使うな」という判断も有りでしょう.
水伝の授業を受けた小学生たちが,大人になるに従って「本当は水が美醜の判断ができるなんてことはないんだ」という価値観を徐々に醸成できていけるのであれば,それは素晴らしいことではないか,という判断もまた有りでしょう.
実際に水伝の内容を過信してしまった小学生が,それゆえに不利益を被り,または社会に被害を与えたという"事件"が実際に発生すれば,水伝を道徳の教材として使用することは一気になくなるでしょうが,そうでもない限り,現状のような様子はしばらく続いてしまうのではないかと思います.
>実際に水伝の内容を過信してしまった小学生が,それゆえに不利益を被り,または社会に被害を与えたという"事件"
と言うのは聞いていませんが、
水伝の授業中に「こんなのおかしい」というような発言をして、教師を含めたクラス中からつるし上げられ、以後「変人」のレッテルを貼られた子供は実際にいるようです。
引用が前後してしまいますが
>「水は,人智では計り知れないものを持っている」という考えは,科学的には否定できるかもしれませんが,それと同じだけの批判力を以てそれを道徳的に否定できるかというと,それはかなり怪しいです.
「水というポピュラーな対象のなかにこそ,森羅万象の中核をなす,人間が畏怖すべきものが宿っているものだ」という考えは,八百万の神に代表されるように,本国に息づく宗教観と極めて親和性の高いものです.
子供たちにこのような道徳観を示したいとして水伝を持ち出す必要があるのでしょうか?
私は実際に授業参観で水伝の道徳授業を目撃した親として、水伝を認めることは出来ませんでした。
上っ面のよい話が将来子供たちをカルト宗教やトンデモ製品どのカモに導くものにしかみえなかったからです。
「腐敗」が悪くて「発酵」が良い、なんて冷蔵庫の中の話で、大自然の中に応用出来る話ではないですし。
森羅万象、自然の中に人間が畏怖すべきものが宿っている・・・的な感覚は水伝のような薄っぺらなもに頼るのではなくもっと深いものから、子供たちに知って欲しいと思います。
ニセ科学に頼らなくても、例えば生命の発生、原子の仕組み、宇宙の進化なんて、科学にそってに深く考えると、私には神(畏怖すべきもの)が見えてくる気がしますが・・・・
方便として使うなら「養老の滝」のように子供たちにも方便とわかりやすい民話のほうが害がないと思います。
一見良さそうにみえる…という「一見」が曲者。
大概弊害のほうが大きかったりするので。
一歩ひいて確認してみる「癖」が大事だと思います。
「『○○人と書いた紙を貼った水はきれいな結晶ができた。△△人と書いた紙を貼った水は結晶ができなかった、よって・・・』とか言いだしたら、みごとなナチス流の"科学"ですよね?」
と言ってやればわかるんじゃないかなあ?それでも、わかってもらえないかなあ?