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同様のガイドラインが、経済産業省によっても出されている。「「特定商取引に関する法律第6条の2等の運用指針−不実勧誘・誇大広告等の規制に関する指針−」の公表について」
(pdfファイル)
pdf版を読めばわかるが、具体的な内容は景表法の指針とほぼ同じである。
「合理的な根拠」が満たすべき要件は、
1 提出資料が客観的に実証された内容のものであること「客観的に実証されたもの」とは
2 勧誘に際して告げられた、又は広告において表示された性能、効果、利益等と提出資料によって実証された内容が適切に対応していること
1 試験・調査によって得られた結果となっている。さらに、
2 専門家、専門家団体若しくは専門機関の見解又は学術文献
(1)試験・調査によって得られた結果専門家の意見については、
1 試験・調査によって得られた結果を勧誘に際して告げられた内容又は広告において表示された内容の裏付けとなる根拠として提出する場合、当該試験・調査の方法は、勧誘に際して告げられた、又は広告において表示された商品の性能、役務の効果、取引により得られる利益等に関連する学術界又は産業界において一般的に認められた方法又は関連分野の専門家多数が認める方法によって実施する必要がある。
<例>
・日用雑貨品の抗菌効果試験について、JIS(日本工業規格)に規定する試験方法によって実施したもの。
・自動車の燃費効率試験の実施方法について、10・15モード法によって実施したもの。
・繊維製品の防炎性能試験について、消防法に基づき指定を受けた検査機関によって実施したもの。
2 学術界又は産業界において一般的に認められた方法又は関連分野の専門家多数が認める方法が存在しない場合には、当該試験・調査は、社会通念上及び経験則上妥当と認められる方法で実施する必要がある。
社会通念上及び経験則上妥当と認められる方法が具体的にどのようなものかについては、勧誘に際して告げられた内容又は広告において表示された内容、商品・役務の特性、関連分野の専門家が妥当と判断するか否か等を総合的に勘案して判断する。
3 試験・調査を行った機関が商品の性能、役務の効果、取引により得られる利益等に関する勧誘・広告を行った販売業者等とは関係のない第三者(例えば、国公立の試験研究機関等の公的機関、中立的な立場で調査・研究を行う民間機関等)である場合には、一般的に、その試験・調査は、客観的なものであると考えられるが、上記1又は2の方法で実施されている限り、当該販売業者等(その関係機関を含む。)が行った試験・調査であっても、当該勧誘に際して告げられた内容又は広告において表示された内容の裏付けとなる根拠として提出することは可能である。
4 なお、一部の商品の性能、役務の効果、取引により得られる利益等に関する勧誘・広告には、消費者等の体験談やモニターの意見等を勧誘に際して告げられた内容又は広告において表示された内容の裏付けとなる根拠にしているとみられるものもあるが、これら消費者等の体験談やモニターの意見等の実例を収集した調査結果を勧誘に際して告げられた内容又は広告において表示された内容の裏付けとなる根拠として提出する場合には、無作為抽出法で相当数のサンプルを選定し、作為が生じないように考慮して行うなど、統計的に客観性が十分に確保されている必要がある。
(2)専門家、専門家団体若しくは専門機関の見解又は学術文献幻影随想さんのところで、少し前に「科学というモノサシ」というエントリーが上がった。
1 当該商品・役務又は勧誘に際して告げられた、若しくは広告において表示された性能、効果、利益等に関連する分野を専門として実務、研究、調査等を行う専門家、専門家団体若しくは専門機関(以下「専門家等」という。)による見解又は学術文献を勧誘に際して告げられた内容又は広告において表示された内容の裏付けとなる根拠として提出する場合、その見解又は学術文献は、次のいずれかであれば、客観的に実証されたものと認められる。
i. 専門家等が、専門的知見に基づいて当該商品・役務の勧誘において告げられた、又は広告において表示された性能、効果、利益等について客観的に評価した見解又は学術文献であって、当該専門分野において一般的に認められているもの
ii. 専門家等が、当該商品・役務とは関わりなく、勧誘に際して告げられた、又は広告において表示された性能、効果、利益等について客観的に評価した見解又は学術文献であって、当該専門分野において一般的に認められているもの
2 特定の専門家等による特異な見解である場合、又は画期的な性能、効果、利益等、新しい分野であって専門家等が存在しない場合等当該商品・役務又は勧誘に際して告げられた、若しくは広告において表示された性能、効果、利益等に関連する専門分野において一般的には認められていない場合には、その専門家等の見解又は学術文献は客観的に実証されたものとは認められない。
この場合、販売業者等は前記(1)の試験・調査によって、勧誘に際して告げられた、又は広告において表示された性能、効果、利益等を客観的に実証する必要がある。
3 生薬の効果など、試験・調査によっては勧誘に際して告げられた、又は広告において表示された性能、効果等を客観的に実証することは困難であるが、古来からの言い伝え等、長期に亘る多数の人々の経験則によって性能、効果等の存在が一般的に認められているものがあるが、このような経験則を勧誘に際して告げられた内容又は広告において表示された内容の裏付けとなる根拠として提出する場合においても、専門家等の見解又は学術文献によってその存在が確認されている必要がある。
そして疑似科学批判は、彼らにとって、
・よく分からんモノサシを問答無用で押しつけられた揚句
・そのモノサシによって自分の信じたものを否定され、
・さらには自分のモノサシ(価値判断基準)まで否定された
に等しい暴挙なのである。
だからこそ彼らは、疑似科学批判者が「科学という絶対的モノサシ」を押し付けてくると感じるのである。
「疑似科学批判批判」とは、「消費者」で有り続けるのならば、科学というモノサシを拒絶するという選択肢は有りだろう。それは個人の自由である。
突如「科学のモノサシ」を押しつけられ、自らのモノサシが否定されたと感じた彼らの、
「比較対象間違ってませんか!?あなたの物差しはそれですか!?」
「絶望した!科学のモノサシに絶望した!」
という彼らなりの異議申し立てであり、悲鳴なのである。
しかし、「事業者」になった場合は、「科学のモノサシ」を受け入れないという態度を取り続ければ、景表法4条2項にひっかかるし、さらに特定商取引法で規制される販売形態をとっていた場合は同時に特定商取引法6条の2にひっかかることになる。
特定商取引法では連鎖販売取引(いわゆるMLM、マルチ商法)も規制されており、マルチのメンバーは事業者として扱われる。ところが、メンバー勧誘の時に「事業者である」ことが必ずしもきちんと説明されるとは限らない。「友人知人に勧めてあげて」「使いながら知り合いにも使ってもらいましょう」などと、事業者であることを意図的に隠すことで、参加のハードルを下げる形で勧誘が行われることがある。これで商品宣伝にニセ科学が含まれていたら、法規制にひっかかかる可能性が跳ね上がる。
ニセ科学のうちの一部である「製品宣伝に登場するニセ科学」について、「科学のモノサシ」を拒絶した場合の実際の効果が、消費者と事業者では大きく異なるということは、共通認識として持っておいた方がよい。
posted at 2008/02/10 22:33:16
lastupdate at 2008/02/10 23:35:19
>「検査なんかするものではないが常識だ」
そのへんもう少しkwsk。
点検・試験項目は"通常"常識の積み重ねによってできているものと思います。
単純化した例を挙げるとすると
1.ping試験を行う
2.A拠点、B拠点にpingする
3.試験結果を報告する
という試験を指定したときA拠点にはpingが通らなかった、B拠点には半分しか通らなかったとなれば、常識的には不合格なんですが、「試験指示では報告を求めており、結果を報告したので合格」
…というような状況を想定されているのでしょうか。
そうすると、試験の内容を監査する制度が必要な気がします。
現在はそういう制度はないのでしょうか。
※B拠点の通信状態が良くないのはあらかじめわかっていて、A拠点の撤去工事をし、A拠点が確実に撤去されたことが判断できるのであれば、先の試験内容で合格。
例えば、鉄の厚さとか、ボルトの太さ。といったものです。
こんなのは、一々規格を決めることが出来ない。
規格があるのは、ごく一部で飛行機などだと全部、エレベターだと材質と強度(厚さがないことに注意)、自動車の部品だと無し(常識)。
のところが壊れるわけです。
試験とか規格以前にダメなものダメ、という話なのですが、それを「規格がないからいいのだ」とやったりすることになっているのです。
試験項目にないから、になってしまうから試験以上に常識と持ってきておくべきだ、という意味です。
>そうなると「検査に合格」とかだけを基準に企業を批判するのでは限界があるとなってしまい、「常識に反する」だけでも十分非難に値するということを再確認するべきだと思っています。
酔うぞさまのおっしゃられることはよく分かるのですが。
お書きになられている「常識」=その分野に通じているものの「常識」であるので、「法的規制はクリアーしても世間は許さない」というのはどうかと。
医療問題や法律にしろ、門外漢から「常識」は分かりづらいものでもあるので、「常識」に通じているものが対応する必要がある、と思います。
職業倫理に含まれているような気もしないでもないので、その業界として何か対応していく・・・現実的にどうする、というのが難しいなあ。
そう難しいのですよ。
でねこういうことについて発言するようになってから「素人は引っ込んでろ」といった職人言葉の重さを実感するようになってきました。
どうもMOT系のビジネススクールのカリキュラムを眺めていると、既に科学的知識のある人間を前提にしている(=「科学的リテラシーは既にある」というのを前提にしている)ってのが殆どなんで、こうしたリテラシーが身についていないのが下手に製品開発論とかマーケティング理論とかを学んじゃうと、マイナスイオン製品を売り出す真似をやらかしちゃうかもなぁ・・・・・
>でねこういうことについて発言するようになってから「素人は引っ込んでろ」といった職人言葉の重さを実感するようになってきました。
そうですね。
「こちとら、素人には分からないところで(も)きっちり仕事してるんでえ」という仕事に対する誇りといったものが。
>杉山 さま
>こうしたリテラシーが身についていないのが下手に製品開発論とかマーケティング理論とかを学んじゃうと、マイナスイオン製品を売り出す真似をやらかしちゃうかもなぁ・・・・・
マーケティングや製品開発論はほんのちょこっとかじっただけなのでよく分かっていないことも多いですが。
基本的な「顧客満足=高い品質で顧客に満足してもらいたい」以前の問題ですので、マーケティングや製品開発論ともずれているというかそれ以前の問題で、イナスイオンはともかく、科学的リテラシー云々でもないですし。
「売るんだったらちゃんとしたもの作ろうよ」ということなので。
私は良く「法は両端」なんて話をします。社会には「やっては成らない事」と「やらなくては成らない事」という両端の間に「やらない方が良いこと」「どうでも良いこと」「やった方が良いこと」なんていう部分があるわけです。法というのはこの両端の「必ず守らなくては成らないこと」の部分を定めている訳でして、その間にある「やらない方が良いこと」とか「やった方が良いこと」というのは法ではなくて倫理・道徳により守られているわけです。例えば、「道に落ちていたサイフを自分の物にする」は占有離脱物横領として「やってならない事」と定められています。では、「落ちているサイフに気が付いたけど放っておく」は法に関しては特に何もありません。でも、サイフに気が付いたら拾って警察に届けるのは「やった方が良いこと」ではあるわけです。
或る意味で、今の日本ではこの両端の「法で定められた事」以外は意識されなくなっているのだろうと思います。最近良く出す話は「特急列車のレイプ事件」ですが、ならず者が列車の中でけしからぬ振る舞いに及んだときに周りの人の態度を規制する法律はありません。つまり止めに入らなくても法により罰せられる事はありません。多くの人か、だから、「なにもしない」わけです。
社会リテラシーというか倫理リテラシーというのは、「法は両端を定めている」という事を理解し、その間には「した方が良いこと」や「しない方が良いこと」があるという事を理解することだろうと思います。
なんと言っても「常識だ」というの言葉自体を聞かなくなってきたのがまずい思う。
法もヘンに使うと「法匪」なんて事にもなるわけです。
なんていうか、例えば皆さんがスーパーの肉屋さんで、「この牛の細切れを300グラムください」なんて言って、あの重さとついでに値段まで表示して、値札まで印刷してくれる秤に肉をのっけて貰って買ったりしますでしょ。あの秤はなぜ信頼出来るのか?なんて話なんですね。実の所、秤なんてのは機械ですから、狂わす気になれば狂います。調整ネジをドライバーで回すだけのことですからね。でもね、それは法律で禁じられているし、商売に使う秤は計量士に定期的に校正して貰わなくちゃならないわけです。
実は、この特定計量器(商売に使う秤や物差しのこと)に関して、計量士が定期的にチェックしているとかいった事というのは、世の中の人があまり知らない訳です。さらには、計量士がチェックに使う分銅も段階的に比較されて、最後はフランスにあるキログラム原器までたどれるようになっている(これがトレーサビリティ)なんて事もあまり知られてはいない訳ですね。
なんていうか、単に肉屋で肉を量り売りで買うという事にすら、その裏に「その重さは確かである」とするためのいろんな努力があるわけです。こういう努力は知らなくても肉は買える訳ですか、その努力を「自分は知らないから、必要の無いものだ」としてしまったら、こっちの肉屋で300グラム買って家の秤で量ったら400グラムで、別な肉屋に持っていって測ってもらったら250グラムなんてなって、いったいどの秤が正しいのか分からなく成ってしまいますよね。
或る意味で「科学的」という事においても「モノサシをきちんと同じにする努力」というのは必要なんだと思います。その努力の詳細は知る必要は無いのかも知れないけど、「自分はそんな努力が為されているなんて知らないから、必要が無い」としてしまったら、同じ事で何が正しいか分からなく成ってしまうのだろうと思います。
わたしに言わせると、上記のように主張している会社が複数あるわけですわ。
そうなると、正しい・間違っているという以前に「分からないから失格」とするべきなのでしょう。
そこが機能しないのは社会として問題だと思うのです。
「必要が無い」という部分が何を指しているか分かりにくいですね。
「ニセ科学」論争なんかでは「影響が分からないから必要ない的なことが書けるんだろうなあ」というような文もないではないですが。分からないものは分からないんだろうなあ、としか。
>そうなると、正しい・間違っているという以前に「分からないから失格」とするべきなのでしょう。
>そこが機能しないのは社会として問題だと思うのです。
ここ、「失格」と判定するジャッジとして整理できていませんが、消費者、法的機関、業界基準、職業倫理とかあると思うのですよ。
「社会として」という部分、これらが相互で機能する必要があるのでこれらのどれか一つでなくそれぞれレベルをあげていく必要がある気はします。リテラシーも法も「常識」もどれもいるので。
わたしのイメージでは、ここの「失格」は「人殺しの是非」とか「ドロボーの是非」といった感じですね。
是非を社会的に論じる意義が全く無いから失格、といった感じです。
そうですねぇ、ニセ科学的なイメージとしては「マイナス1000度C!!」とか言い出す場合のようなものでしょうか?
純学術的に、トラックの部品をペラペラな素材で作ってみるという研究は問題ないのです。
問題は、社会的な常識の範囲に入るものか?であって、ユーザの常識のハイでは使えないようなものを作って、それの言い訳として理屈をくっつけてくるのは、失格とするべきだというものです。
ユーザが使えないものを、使えるかどうかを議論するのは開発段階の話であって、市場で事故を起こした後に「検討しましょう」では通用するわけがない。
>ユーザが使えないものを、使えるかどうかを議論するのは開発段階の話であって、市場で事故を起こした後に「検討しましょう」では通用するわけがない。
単なる無知だと酔うぞさんが仰るようなことになるのですが、最初からニセ科学宣伝で製品を売っているような会社はさらにその斜め上をいってまして、往々にして、ユーザーで試験をしていたりするわけです。
メカニズムは知らん、効果の実証は売りさばいた後の体験談で実証、などとやっている。
科学というモノサシを拒否する云々以前に、さっさと市場から退場してくれというしかないんですよねぇ。
>科学というモノサシを拒否する云々以前に、さっさと市場から退場してくれというしかないんですよねぇ。
是非うんぬんは書いていないのですが、本音のところは、
「そんなもんを市場に出すな、【市場に出す前に】「失格」にしてくれ」なんですが、そうはなっていない現状があるわけで。
無知などの単なる力不足であれば気付けば自社内のチェックシステムで「失格」にしてくれるのでしょうが、一方で、apjさまの書かれるような「確信犯」もあるわけで。
そうなると、市場に出た後で、すみやかに「失格」と判定してご退場頂くしかない。
メーカーが「製品」をつくりこむ上で「失格」にすべき、というのはその通りでこれはメーカーの責任・職業倫理・常識というか「ちゃんと作れ」という点は異論はないです。
一方で、「そんなインチキでも通用してしまうんだ」というのも責任うんぬんでなくやや問題があると思うのですよ。
「客をなめとんのか?ちゃんとしたもんもってこい」というようなとこが「消費者運動」とかにあったのでは、と思うのですけど。
昨日、TVで架空請求とかをおちょくる番組をみていましたら、「裏DVDの販売者が摘発されたので購入したあなたも共犯になります」なんて脅しで金を取るニセ弁護士事務所の話題で、弁護士が「共犯にはなりません。でもだから買って良いとは思わないでください。そういうDVDの販売は暴力団の資金源になりますから」なんてコメントしていました。番組では馬鹿な出演者が「裏DVDって内容も詐欺だ」なんて話に持っていくので誰も真面目に考えようとしない訳ですが、この「犯罪にはならないけど、暴力団の資金源には成る。だからやるべきではない」なんて部分が今の日本で最も欠けている考え方なんだろうと思います。
「ゲルマニウム装身具が非科学的でも面白いから良いじゃないか」と無思慮に楽しむ姿勢が「血液サラサラ」と医師法違反の検査でゲルマニウム装身具を売る悪人の懐を肥やす。「本気にする奴が馬鹿なんだ。楽しめば良いよ」と例脳番組を楽しむ姿勢がカルト宗教やヒーリングなどの霊感商法業者の懐を肥やす。それは、確かにかなり離れた間接的な犯罪の幇助であるから、そうやって幇助したって「共犯」として罪に問われる訳ではない。でも、じゃあ道徳的・倫理的な意味で「やっても良いことか」というと「やるべきじゃない」ことのはずです。
そんな間接的な「世の中を悪くする事」を「良いじゃないか」としてしまう現代の日本の風潮こそが一番のもんだいなんだろうと思うわけです。
>「必要が無い」という部分が何を指しているか分かりにくいですね。
なんていうか、我々は「世の中のしくみ」全てを知っている訳ではないですよね。例にあげたみたいに肉屋の秤が信頼出来る様にするためのシステム一つ多くの人は知らないわけです。でも、その自分の知らないところにも「何か大事な事がきちんと行われているのでは」と漠然と考える力があれば良いわけです。その能力が失われていると「自分が知らないのだから、世の中に自分の知らないところで何か大事なことを守る働きなんてないんだ」となってしまう訳です。それが私の言う「必要ない」です。
上の前者・後者は共通の部分はありますね、方向性は逆ですが。
「【自分の知らないところで】何か世の中を悪くすることが行われているのでは?」
「【自分の知らないところで】何か大事なことがきちんと行われているのでは?」
という点において。
前者においては「必要ないと言えないといけない」し、後者においては「必要ないということに問題はある」のです。
「漠然と考える力」を養成すること以外にもそれを補助する「知識」なり「情報」を流す必要はあるでしょう。
最初からニセ科学宣伝で製品を売っているような会社は
さらにその斜め上をいってまして、
往々にして、ユーザーで試験をしていたりするわけです。
メカニズムは知らん、効果の実証は売りさばいた後の
体験談で実証、などとやっている。
科学というモノサシを拒否する云々以前に、さっさと市
場から退場してくれというしかないんですよねぇ。
ここに微妙に問題があるのかな?と思うところです。
一応まともにやっている会社でも事故が起きたときの言い訳が理解不可能であったりするわけです。こういった事例を図式化すると。
問題を起こした → 説明になってない。
説明できない → ニセ科学系商品
といった関係になるのでしょう。
社会の信用という観点からは、事故になろうがどうしようが説明できること重要で、説明が出来ない=出てくるな、ということなのでしょう。
説明が前にあろうが後ろにあろうが撤退勧告は同じということかな。
> メカニズムは知らん、効果の実証は売りさばいた後の体験談で実証、などとやっている。
その上、神戸の丙二号証のように「注意:これらの現象はすべて事実ですが、個々の体験ですので、すべての家庭や店で同じ事が起こるとは限りません。」 などと、免責を打つようでは、無責任もはなはだしいといえます。
>上の前者・後者は共通の部分はありますね、方向性は逆ですが。
>「【自分の知らないところで】何か世の中を悪くすることが行われているのでは?」
>「【自分の知らないところで】何か大事なことがきちんと行われているのでは?」
>という点において。
むしろ2行目は
「【自分が面白がっている事が、自分の気づかないところで】何か世の中を悪くすることにつながっているのでは?」という方が相応しいかなと思います。
悪徳商法の批判をしていた頃に「ゴキブリ養殖」という事を言っていました。自分があまり気にならないからといって、アパートの自分の部屋で食べ物のクズなどを散らかし放題にしてゴキブリを増やせば、そのゴキブリは隣のゴキブリ嫌いの人の部屋にもでるわけです。自分が「信じたりしないけど、面白いから」と霊能番組がTVで増えることを喜ぶなら、どこかで信じやすい人をカルト宗教の罠に誘い込むのに協力してしまう面があるわけです。
我々は否応なしに、社会という共同アパートの住人であるという意識がどこかに必要なのでは無いかと思うわけです。自分が気にならないからといってゴキブリを増やせば、周りの人に迷惑を掛けてしまうという心がけみたいなものは、知識以前にないと、知識そのものが頭を素通りしてしまうんじゃないでしょうかね。
って、小中学校ではセンセに言われるのに、社会に出たら
「見て見ぬふりしないと損だぞ」あるいは「見て見ぬふりができないのなら生きていけないぞ」
って言われるあたりに根本的な問題がある気がします。
>前者においては「必要ないと言えないといけない」し、後者においては「必要ないということに問題はある」のです。
お書きになられた前者について、問題は、「「必要がないと言えないといけない」「やるべきじゃない」とできるか」というとこでしょう。
「【自分が面白がっている事が、自分の気づかないところで】何か世の中を悪くすることにつながっているのでは?」
という点では、雑誌の購入にしろ、自分が面白がっていることが自分の気づかないところで何か世の中を悪くすることにつながっていないか?といわれると、大抵というかほとんどのことが「つながっている」と言わざるをえません。
(私が今、インターネットで楽しんでいることも、「電気という資源を消費するというコスト」を伴ってまでやることなんか?ということがあり、それを徹底していくとアーミッシュとかに行きつくのかとも思ったり。)
ですので、「やるべきじゃない」「必要ない」とすべきものとそうともいえないもののどこで線を引くべきか、というところで、その影響度合いの大きさとかについて「知識」とか「情報」とかになると思うのですが。
別な人のブログにも少し書いて見たのですが、青年期心理からの脱出みたいな話です。なんていうか「自己矛盾の許容」と「矛盾を前提とした判断」みたいな事というのが、青年期の心理を脱するということとつながっている気がするわけです。
>「見て見ぬふりも同罪」
>って、小中学校ではセンセに言われるのに、社会に出たら
>「見て見ぬふりしないと損だぞ」あるいは「見て見ぬふりができないのなら生きていけないぞ」
>って言われるあたりに根本的な問題がある気がします。
なんていうか、例えば電車の優先席に腰を下ろしている時にご老人が乗ってきて近くつり革につかまる。さっと譲れる時もあるし、なんとなく疲れていたりして譲れない時もある。譲れなかった時に後で「あぁ、譲れば良かったな、悪い事したな」と思う。自分自身が「分かっているのに譲れないこともある」という矛盾を抱えた存在である事をどこかで許容する部分ができあがる事で、「済んでしまったことは仕方ない、これからは譲るように心がけよう」と自己の矛盾を解決する訳です。
なんていうか、青年期心理なんていうとおごそかチックですが、こういう時に「譲らなかった自分は駄目に人間だ」みたいな意識が強く出る面が若いときにはある訳です。自分がいろんな面で完全でありたいという自己愛の傾向と、それに反する自分に向き合ったときに出る自己嫌悪の傾向がなかなかうまく擦れ合わない時期なんですね。でもって、青年期のこの傾向は時に色んな形の自己合理化を生んだりします。「もともと優先席なんて制度が悪いんだ」とか「こんな混む時間に暇そうな老人が乗るのが悪いんだとか」ですね。そういう意識というのは、自己の矛盾をうまく許容できない事から生ずる訳です。そして、青年期心理を脱すると自分という人間が矛盾を抱えている事に対する許容がありますから、「まあ、譲らなかったのは仕方ない、これからは」で済むようになるし、変な合理化へりくつを自分でこね上げる事もなくなる訳です。
なんていうか、私なんかもいろんなニセ科学の蔓延の最初の内は「嘘だろうけど面白いな」と思っていた事はある訳ですよ。別に蔓延に手を貸したりはあまりしなかったとは思うけど、「私は研究者向きのB型ですから」くらいは言ったことがあるかも知れません。でもね、そういう蔓延がいろいろと問題だなと思い始めたら、「その頃面白がっていたのは仕方ない、これからは・・・」と素直に割り切れる訳です。どうも、そういう部分の欠如が社会的にある様な気がしてきている訳です。
受け入れないという態度を取り続ければ
、景表法4条2項にひっかかるし、
さらに特定商取引法で規制される販売形態をとっていた場合は
同時に特定商取引法6条の2にひっかかることになる。
この部分については、わたしは製造業からの見方としてはもっと厳しくするべきかと思ってます。
科学のモノサシや、法規制の遵守は市場に参入するための最低限の規制ですら無い、と思っております。
この種の公的な規制は結局は「検査に合格」のような形で「証明」されるわけですが、事件が起きたときにしばしば出てくるのが「検査はしていた」などです。
世の中には「検査なんかするものではないが常識だ」というのがあります。
わたしが問題にしているは、三菱そふうのトラック部品の破壊とか、コースターの暴走原因の部品の破損などです。
これらは検査項目ではないのですが、ほとんど設計ミスとか検査基準の意味が通じていない、といった「常識レベルが伝わっていない」ところに遠因があります。
設計ミスや材質選定のミスといった技術的な常識に反することを公的検査で見つけるのは社会コストの点からとうてい是認できないことで、検査には合格しているけど壊れる理由は最初からあった、というような事態は今後も続くでしょう。
そうなると「検査に合格」とかだけを基準に企業を批判するのでは限界があるとなってしまい、「常識に反する」だけでも十分非難に値するということを再確認するべきだと思っています。
つまり「法的規制はクリアーしても世間は許さない」ということですね。
社会は多重構造なのだから、一つの判断基準だけではない、ということは強調して良いでしょう。