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Re:なぜ「ゲルマニウム(健康グッズ限定)」の効果がまったく期待できないか
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Kei (2008/05/07 21:23)
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主義主張思想の内容を問わず、他人に自らの信じるところを伝えようと思ったら、言葉を尽くす以外に方法はない。
「水からの伝言」は、ニセ科学(というかむしろオカルト、迷信の類)であると同時に、言葉を蔑ろにする話である。文脈から単語を切り離してその善し悪しを水に判定させるという代物だからである。
世の中でしばしば行われている「レッテル貼り」では、言葉を使って人にレッテルを貼る。「科学原理主義者」「右翼」「左翼」など、いろんなレッテルが存在するが、全て言葉によるものである。ところが、「水からの伝言」は、水結晶という自然現象を使って言葉に「良い」「悪い」のレッテルを貼るという話である。このような話は、言葉と思考が分かちがたいという認識を持っている人には、受け入れられるものではないはずである。言葉を伴わない思考は無いし、言葉は思考の道具であり武器でもある。
言葉で相手を記述するつもりならば、レッテルを貼るという方には行かないし、言葉そのものにレッテルを貼ることの無意味さにも同時に気付くのではないだろうか。
「水からの伝言」を「いい話」だと思う人と、他人に平気でレッテルを貼る人が、かぶってるんじゃないかと思ったりしたもので、メモ代わりに置いておく。
posted at 2008/04/16 20:19:09
lastupdate at 2008/04/16 20:19:09
前々から水伝のことで訊いてみたい(というか、言いたい)ことがあって、再度話題に上るのをずっと待っていました。
それは、水伝の主張するところなど、科学的な反証抜きで「そんなバカな」と一笑に付して捨ていいんじゃないか、ということです。ありがとうと声をかけた水はきれいな結晶になり、ばかやろうだとそうならないだなんて、「寝言は寝て言え」と一喝してはダメなのでしょうか。
ある冬の日に友達とけんかで負けて、大声でばか〜と叫んだときにも、服についた雪の結晶はきれいな形をしていました。もし、ばかと言ったら水がきれいな結晶にならないなら、罵詈雑言のあふれる人の世界に、きれいな結晶の雪なんか降らないんじゃないでしょうか。
(それとも、雪と水の結晶とはべつなのでしょうか?)
水伝に対して「そんなバカな」というのも、ごくまっとうな科学的知見(たとえば、ヘリウムの超流動現象)に対して「そんなバカな」というのも、文学的な意味では違いがありません。
前者の「そんなバカな」を支持し、後者の「そんなバカな」を否定することが出来る裏付けは、さしあたり自然科学しかないと思います。
>科学的な反証抜きで「そんなバカな」と一笑に付して捨ていいんじゃないか、ということです。
それは、きくちさんだって私だって思っていたことです。ってか、普通はそう思うだろうから、ごく一部の人以外はそんな話受け入れないだろうと……。
ところが世の中の現実は違っていて、本気にする人が続出するは、そんなバカな、な話を学校の道徳の授業でやる教師がいっぱい出てくるは、というていたらくだったんです。
だから延々問題になっているんです。kaeyさんが書かれたように、
なぜ、「そんなバカな」で済むはずの話がこんなことになったのか
というのが問題意識としてあるわけです。
水伝に関して言えば
・そもそも水が「日本語」を理解するのか。
・日本語を理解するとしても、どうやってビーカーに貼ったラベルを読むのか。
・たとえば水が「貼った人のオーラ」か何かを読み取るのなら、それはまた別の現象ではないか。
・ていうか原因はオーラでも言葉でもいいけど、そんなもんで食べ物が腐らなくなるなら、食品会社が一斉に採用するはずではないか。
という疑問が浮かぶはずです。
こんなのに高度な自然科学の知識は必要じゃないと思うんですが。
X が小学校〜大学にいる間、X の恩師たちは科学を教えていると思っていた。しかるに X が学んだものは、なにか肝心なところで「科学じゃないもの」だった。水伝によってそれが露見した。それを初めて知った科学者たちは狼狽しているし、狼狽しなければならない。
足りていないのは高度な自然科学の知識というよりも、それがないと科学じゃなくなるような何か肝心なもの、でしょう。
その一方で自然科学には、善悪などの価値観は存在せず、ただ事実あるのみですね。「きれいな」結晶が良いわけでも、「汚い」結晶が悪いわけでもありません。人間からみれば、醜く奇怪な生物は沢山存在しますが、それらが邪悪な悪魔の化身と言うわけでもありませんね。
水伝は、人間の価値観を熊どころか水という非常な単純な物質に投影した素朴なアニミズム信仰みたいなものじゃないでしょうか。おとぎ話ではくまさんも落としものを届けてくれますからね。だから意外と人気があって根強いのじゃないかと。
その反対に科学は人間の価値観の都合など斟酌しない非常に厳しいものであるということが、案外一般には理解されていないのじゃないかと言う気がします。
要するに、近視眼的なのです。目の前の問題を処理することが現実的で大人の態度だと思っているわけです。間違いなのでいずれ破たんすることは目に見えているのですが、それはそのとき処理すればいいのさ、という感じですね。
今日も注射1本で予定終わりという暇な一日なものでご容赦ください。
>Keiさん
>工学、農学、薬学、医学なんかは、自然法則と人間の価値観とをどうやって折り合いをつけるか、という学問だと思う。
その通りであります。それらはテクノロジーであってサイエンスではありませんから。しかし、かって科学技術庁という役所もあったように、ミソクソ一緒であまり区別しないところもありますね。
テクノロジーはサイエンスの応用であって、その応用の目的とするところで価値観が必要になります。しかし、基礎のサイエンス部分に価値観を混入すると変なことになるわけです。まさに水伝がそうですね。
kaey さんが書かれているみたいに「私はその話は否定するけど、信じている人の人格を貶める気はない」というのは、ニセ科学批判では良く使われる形です。実のところ、批判としては立派だけど、社会的な意味の実効性という点で良くない形かも知れないなんて思うんです。
kikulogで、狭い道に速度規制を掛けて白バイがたまにねずみ取りをする話を書いたら、「白バイに捕まらなければ良いという意識を増して、もともとの『事故を起こさない』という意識を弱くさせる」なんてコメントがつきました。実のところ、「取り締まり」を巡っては良く議論されることではあるんです。
しかし、現実の問題として、「事故を起こさない」意識喚起で実際に狭い道での事故が減るなら、もともと速度規制や反則金なんてシステムそのものが不要なんですね。人は、目先の事の方が先の事よりも大事に思いやすい生き物だから、いつ、どう起こるかも解らない事故に対する防御意識では、どうしても速度を出しやすくなり、そして事故を起こしてしまう。だから、意識喚起のためには一部逆効果であることは承知しながら、目先の「白バイに捕まって反則金取られるぞ」を事故よりは多い頻度で目の前にぶら下げる事で速度を出しにくくする面はあるんですね。
なんていうか、「そんなの信じているなんて馬鹿じゃないの」みたいな人格否定的な発言というのは、「良くない」みたいに思えるし、また、実際に科学リテラシーの向上にもほとんど寄与はしないと思います。でもね、人に馬鹿にされるというのは、白バイに反則金取られるのと同じで「嫌なもの」だからこそ実効性が有るのではないかと思ったりもするんです。
なんていうか、自然科学のリテラシーなんていうけど、昔だってそんなにリテラシーが高かったとは思っていないのです。ただ昔は、人が皆さんほど上品ではなくて「そんなの信じているなんて馬鹿じゃないの」がもっと頻繁に人の口から出ていたような気がするんですね。
まあ、皆さんが昔の人より上品なのは、良いことだと思うので、無理して「馬鹿じゃないの」をやれしは言わないんですが、そういう事にも何らかの価値が有ったのではと考えてみるのは必要かもと思って書いてみます。
交通ルールの場合は、無知や理解不足を批判するのではなく、倫理観の欠如が主に批判されるわけですよね。したがって、意見の批判というよりも人格批判の面が強く出ざるを得ませんね。社会的批判は多少ともそういう面があるので、人格批判の要素を皆無にはできなような気がします。純粋な学術論争の批判とはその点で違いがあるような気がします。でニセ科学批判はどうかというと、社会的問題としてとらえている場合が多いように思います。純粋に科学的に間違っているという批判ではなく、ウソをつくという欺瞞や、ウソの意識はなくとも社会的な影響を憂えているわけでしょうから。
このような場合は意図的に「馬鹿にする」方法も有効かとおもうのですが、それには条件があって馬鹿にする方が多数派でなければ効果が無いということです。個人的に身にしみて感じているのですが、少数派が馬鹿にしても馬鹿にしたことにならないのですね。何を書生くさいことを言っているのだ、あるいは自分だけ達観したような言い方をしているのだと、逆に馬鹿にされる結果になります。
それから、技術開発者さんもおっしゃっているように、無理して「馬鹿じゃないの」をやる必要無いでしょう。私自身も含めて普通は自然と馬鹿にする態度になるものです。どちらかと言うと、やりすぎないことを意識しておいた方が無難かと。
例えば、科学的な思考力を少しでも高めて、インチキな商品を買ったり病気の治癒には効かない怪しい製品に金を出したりしなくなくなると、損害が減ってお徳ですよ、と実利を説くのもひとつの方法かと思います。
しかし、容易じゃないんですねこれが。私の親類や知人で、よくインチキ健康器具を買ってしまう人がいます。いろいろと忠告するのですが、やっぱりつい買ってしまう。その人たちの購買をやめさせるには、彼らの「教祖」であると認識してもらうような人間に私がなって、託宣を下すのが一番なのかしらと投げやりな考えになってしまうことがあります。
あるいは、自分で理解したり実証しなければ信じないといった科学者的な人ばかりになると、世の中が息苦しくなったり、日々の生活でストレスが増えるので、生活しやすくしようと、あまり深く考えない習慣が生まれているのかしら?
> テクノロジーはサイエンスの応用であって、その応用の目的とする
> ところで価値観が必要になります。しかし、基礎のサイエンス部分
> に価値観を混入すると変なことになるわけです。まさに水伝がそう
> ですね。
「水伝を批評するのはテクノロジーではなくサイエンスの仕事だ」という点について、小学校の道徳教師に納得してもらうのは大仕事だと思います。あるいは、「テクノロジーが価値観を扱う方法と、水伝の中に価値観が取込まれているやり方とは全然違う」ことについて納得してもらうとしても、それも大仕事です。
価値観と科学の関係を説明するというのは、すでに水伝対策に特化した方法です。災厄の源は水伝じゃなくて、「みんな科学を学んだはずなのに、使うべきところでどうして使ってくれないの?」みたいなことだと思いますので、もっと汎用の攻撃手段が必要だと思います。
無学者を嘲るというメソッドは、もう十分過ぎるほど使われていて、科学教育を促進するという効果はもう飽和していると思います。
水伝批判は科学の立場からだけでなく、道徳、言語学、その他多方面からなされています。
>それから、技術開発者さんもおっしゃっているように、無理して「馬鹿じゃないの」をやる必要無いでしょう。私自身も含めて普通は自然と馬鹿にする態度になるものです。
そう、そうなるはずが、皆さんかなり抑制が良く効いて、自制されている感じをうけるんですね。でもって、その抑制による「不合理性のメリット」が発揮されなくなっている感じをうけるわけです。
私は「群れを作る動物が群れから受けるメリット」というのは、かなり個体の不合理性にもとづくものがあるという感じを受けています。例えば、群れが餌をあさっているときに、一匹の個体が捕食動物が近づいているのを見つけて逃げると、他の個体も追随して逃げるわけですが、その時他の個体は「捕食動物が近づいている」と認識して逃げる訳ではありません。「あいつが怯えて逃げるから、何か良くないことが有るのだろう。逃げておこう」なんて、実のところそう考えもせず本能的に逃げる訳です。乾期に水を求めて移動する時に、鼻の良い個体が「こっちから水の臭いがする」とそちらに動き出せば、他の個体も「なにやら解らないがついていこう」と付いていくことで水にありつけたりするわけです。こういう、「きちんと解って動くのではないけど、結果として正しい行動をする」が成り立つというメリットこそが「群れをつくるメリット」ではないかと思うわけです。
人間は確かに野生動物ではなく、知性というものをもってはいるわけですが、その知性はやはりそういう野生の本能の上に薄皮一枚が乗っているようなものの様に感じます。或る意味「個人がきちんと考えれば済むことだ」みたいに個人に能力を要求するという考え方は、「群れを作るメリット」というのを捨て去る事につながる気がする訳ですね。
さらに考えると「群れを作るメリット」というのは「個のバラツキを或る程度に抑える」という事と結びつく気がします。群れの中に「バッタが跳ねても逃げ出す」ほど敏感な個体がいて、上で述べた「どれかの個体が逃げ出せば、他の個体も危険を認識しなくても逃げる」という事が行われたら
群れ全体が「餌を食う暇がなくなる」訳です。群れのどこかに、そういう個体を排除する働きが無いと「群れるメリット」が逆にディメリット化してしまうわけです。これが「社会的批判は人格批判的な要素を含む」ことの根底にあるのではないかと思います。
確かに皆さん抑制が効いていらっしゃいますね。多分じっくり考えていらっしゃるからだと思います。技術開発者さんのおっしゃる群れをつくる動物のメリットは、群れをつくらない場合でも有効のように思います。時限爆弾が仕掛けられた部屋から逃げられない人工知能という話がありますが、時間が無い場合は最短距離がどっちかなんて悩まずにどこでも良いからとりあえず逃げた方が良いわけです。大抵の動物の行動はきちんと考えて最良の選択をしているわけではなく、大体うまく行くだろうという決まったパタンを反射的に行っている場合が多いですね。じっくり考えているつもりでも、じつは行動した後の後付けの理由だったりします。(すべての行動がそうだという説もありますね)
詐欺の常習者だからと言って必ず詐欺をするわけではありませんから、個々の話について判断しなければならないというのはまあ正論です。しかし、閑人ばかりではないので普通は個々の話ではなくて人で判断しちゃいますよね。それが、日常生活を送るうえでの賢い方法です。しかし、時間が十分ある議論の場では個々の話をじっくり吟味しても良いのかなとも思います。
再度お邪魔いたします。
>「水からの伝言」を「いい話」だと思う人と、他人に平気でレッテルを貼る人が、かぶってるんじゃないかと思ったりしたもので、・・・
レッテル貼りというのは、積極的に行われる場合では、都合の悪い事実を排斥したり隠したりその影響を限定するために行われる戦術と思っています。
水伝(に限らず疑似科学やいんちき論全般)を利用した企みは、ほとんどの場合あるコミュニティを形成しており、これを維持し拡大することを目指します。そうした活動の一環で、自らの論を否定する意見や主張は必ず何かしらの手が打たれます。
特に、彼らに名指しで行われる批判に対しては、さまざまな攻撃を試みるのですが、レッテル貼りはそのなかのひとつでしょう。
で、「水伝をいい話と思う人」というのは、信者の中でもコミュニティの「国民」か「羊」だと思いますが、中枢の人たちは、十中八九いい話とも増してや真実とも考えておらず、なのに批判には敏感で、攻撃することを怠りません。でないと失格なんです。
言葉にレッテルを貼る無意味さ。言葉や芸術を善悪二つに分けるという理不尽。そしてその判定を水が行うという無理。
否定する理由を考えるのも悔しくなるようなことですが、件のコミュニティの人たちが支持するのを理解はできる。しかし、それとは無関係の、無関係でなければいけない教師が水伝の主張の一部でも支持し、あまつさえ水伝を題材に授業をしてしまった。
apjさんのおっしゃった、そういった「ていたらく」。
知ってはいましたが、先ずは「バカな」といわずには居れなかったのです。
「水伝」については以前からも興味を持っていました。
さて、先ほど(20日13時)テレビを見ていましたら、フジテレビの明石家さんまのでている番組で、江本氏が登場し、どこかの水2種(「何とか水(名前忘れました)」と「ごろごろ水」)と水道水の結晶で、水道水は結晶が汚くなるとやっていました。さらに水道水に「イマジン(ビートルズ)」とさんまの曲「しあわせなんとか(すいませんこれも忘れました)」を聞かせるときちんとした六角形の結晶になるとかやってました。出演者も驚いて、感嘆の声をあげるという。。
日曜の昼のテレビで流れるとか・・・それが正しいか、正しくないかに係わらずこういうのを見ると簡単に信じてしまうのでしょうね。「水伝」についてよく知らなくて、うまく編集したテレビで現象だけ見せられれば私も信じてしまいそうです(笑)
私は、案外「素直に信じてしまう人」は多いと考えています。なかなか、自分で水道水を音楽を聞かせた上で凍らせて、顕微鏡で見て確認するような人はいないでしょう。テレビや授業などで「そーなんだ」と思った人はきっかけが無い限り、ずっとそれを知識として持ち続けていくわけです。だからこそ「そんな馬鹿な」の一言では片付けられない、根気よく啓蒙していくことが必要になると思います。そういった意味でお忙しい合間を縫ってのapjさんやきくちさんの活動には頭が下がると同時にこれからも続けていってほしいと思うわけです。
テレビを見てびっくりして、あまり考えがまとまらないまま、書いてしまいました。
なみへいさんが紹介された番組のオフィシャルサイトに、本日放送分の回の説明があります⇒» link here «
水伝話を肯定的に紹介する事については言わずもがなですが、水道水に対するネガティブなイメージを形成させてしまうような構成も、問題であるように思います。
やっぱりフジテレビがやったことはまずいと思うので、別エントリーを起こしました。
しかし、分かりやすく、人に訴える力の強い議論をしたがる人は、対照を単純化したりレッテル貼りをする傾向があるように思います。例えば、西洋古典音楽はいい音楽で、ロックは騒音だなんて分類をするわけです。西洋古典音楽が唯一絶対的にいいのだと主張するために、他の音楽を否定する。議論は単純化しますし、主張は強くなりますが、おかしな主張です。そもそも、音楽はそれぞれ愛好する人がいて、全ての音楽のよさを測る方法も基準も存在しません。1000人の内、900人が好む音楽が良く、100人が好む音楽が悪い、などとは決められません。
そもそも「良い」・「悪い」という価値観そのものが、相対的で情緒的です。簡単に、あるものに「良い」とか「悪い」なんて絶対的評価を下せるものでしょうか? せいぜい個人的な価値観を基準にして、「私にはロックがいい」と意見を述べるだけのことです。
人の性格や行動傾向をABO式の血液型に基いて4つに分類する非科学的でバカな話(←私にはこう思えます。バカげていると考えます。でも、これを信じている人を否定しているのではありません。)も、レッテル貼りによって内容を単純化して、訴える力を強めていると思われます。乗っていき易い。
自然現象も人間活動も複雑で多様です。人や現象にレッテルを貼って、これを否定するのは議論の姿勢として良くありません。
因みに、上で述べた血液型性格診断を信じている人を、私は否定してはいません。なぜ、このような現象が生まれ、信じる人が出てくるかの分析が大切であると考えています。そして、問題の本質に迫るための議論を大切に考えています。