情報と知識が足りない時に安全側に振るには?
朝日新聞デジタルの記事「(記者有論)エセ科学 見分けるための七つの基準 高橋真理子 2014年1月8日05時00分」への補足とコメント。
「こうすれば放射能を除去できる」と、手軽な方法を売り込む人たちがいる。たとえ科学の常識からかけ離れた方法でも、「これまでの科学ではできなかったことです」と説明されれば、「新発見かも」と思うのが人情だろう。
しかし、キュリー夫人をはじめ多くの先人の努力で積み上げられた知識からあまりにかけ離れた方法では、除去はほとんどできまい。お金や労力の無駄になるだけなのに、と心を痛めてきた。
「人情だろう」という部分がキーポイント。これまでできなかったようなことが簡単にできる、すばらしい結果がすぐ手に入る、と、人の欲望を刺激する言説に注意、といったところか。楽をして結果を手に入れたいという感情を揺さぶられる話だと騙されやすくなる。
売り込む人たちは、たいてい科学用語を使う。セシウムはもちろん、イオンやプラズマ、波動や光合成細菌などなど。発明者に立派な肩書がついていることも多い。
たとえ科学用語を使おうと、たとえ立派な肩書を持つ人の発明だろうと、筋道の通らない主張は科学ではない。普通は「エセ科学」と呼ぶ。しかし、両者を見分けるのは案外難しい。エセ科学がなくならない理由である。
十分な時間をかけて情報収集して判断できるなら間違えることを減らせるだろう。「十分な時間をかけて」には、知識が足りなければ教科書を読み直して……といったことまで含まれる。しかし大抵の人にとって、ある言説がエセ科学かどうかを判断するのにそんな手間はかけられない。不勉強のままでいることを肯定するつもりはないが、かといって、あまりにハードルが高い判断方法は実用的ではない。
昨年11月下旬、アジアの科学報道の充実を目標に世界科学ジャーナリスト連盟が始めた事業「スクープアジア」の東京会合が開かれた。30人ほどが参加した会議で途上国の記者が「迷信をいかになくすかが課題だ」というのを聞き、「日本でも似た問題を抱えている」と思ったものだ。
迷信やらエセ科学やらの種類は文化的背景によって違ってくるので、多分国ごとくらいの単位で考える必要がある。例えば創造論はキリスト教圏のUSAでは社会問題になっているが宗教的背景の異なる日本では問題になるほどの勢力ではない。
解決策は簡単には見つからない。だが、インドネシアの環境ジャーナリストが帰国後に面白い表を送ってくれた。科学とエセ科学の対比表だ。
「新しい証拠があれば喜んで考えを変える⇔考えを変えない」「同僚(同じ分野の研究者)同士で情け容赦のない評価をする⇔同僚同士の評価はなし」「すべての新発見を考慮に入れる⇔都合の良い発見だけ選ぶ」「批判を歓迎⇔批判を陰謀とみなす」「証明可能な結果⇔再現性がない」「限定された有用性を主張⇔幅広い有用性を主張」「正確な測定⇔おおよその測定」
むろん、「科学」⇔「エセ科学」の順に書いてある。
「科学とは何か」と専門家に問えば、「反証可能なもの」というような答えが返ってくる。これでは訳がわからない。対比表を使うと、科学の中身に詳しくなくても、目の前の主張がエセ科学かどうか判断できそうだ。
たとえば「何にでも効く」は「幅広い有用性を主張」に当たる。項目のすべてについて判定できなくても、いくつか当てはまればエセ科学の可能性大だ。「だまされないための七つの判定基準」、使ってみていただけませんか。
インドネシアのジャーナリストはそれなりに科学あるいは科学哲学に詳しいからこのような項目を取り上げたのだろう。高橋氏もエセ科学の問題に興味があるから、対比表を使うことを薦めているのだろう。この対比表は、高橋氏のように、エセ科学の問題に感度の高い人にとってはおそらく有効だ。
実はこの対比表と同じような内容を私も基盤教育の講義で学生に教えている。だからいわんとすることは非常によくわかる。教えた結果はというと、(学生のコメントを読んだ限りでは)多分それなりに効果があって将来学生達が活用してくれそうではある。教えている相手は(いわゆる難関ではないけれど)山形大学には合格できる程度には知識を持っている人である。その人達に、半期15回かけて物質は原子から出来ているというあたりから話を始めて、正しい科学のトピックをまず教え、関連するニセ科学を提示し何がおかしいかといったことをいくつか例示し、ポリウォータ−、常温核融合、パンヴェニストの実験の顛末とホメオパシーの話までやった上で、最後のまとめとして教えている。ここまでやれば、それなりに実感を持って何に注意すべきかを理解してくれるだろうと思う。
高橋氏も書いているとおり、この対比表は科学の定義でもエセ科学の定義でもなく「だまされないための判定基準」である。これで科学と科学でないものを定義するのは無理だし、科学哲学方面からクレームがくるだろう。しかし、科学や科学哲学の専門家でない人が必要としているのは、手軽にそこそこ使える判定基準である。ぶっちゃけ、科学とは何か、などという定義はどうでもいい。科学っぽい言説で優良誤認と不実告知のオンパレードのような商品を買わずに済めばそれで良いのである。元々知識は足りないのだから、100%の精度で判断できなくても仕方無いが、大部分のエセを却下できればかなり助かる。だから、この対比表に従って判断した場合に、それなりの精度でエセ科学を却下できるならニーズにも合っていて有用ということになる。
しかし残念ながらこの対比表は科学を専門としない人にとっては難しすぎるだろう。ニセ科学の問題に直面している人は半期15回の講義を聴く余裕など無いのが普通だ。さらに、それそれの項目の確認の手順が具体的にどういうものになるかを考えれば、実はかなり手間がかかることがわかる。
○「新しい証拠があれば喜んで考えを変える⇔考えを変えない」
「あなたは新しい証拠があれば喜んで考えを変えますか」とインタビューでもするのだろうか。「はい」という答えを信じて良いのか。
「学校で勉強していたときはこんなことは不可能と思っていたが証拠が出たので考えを変えた」と、実は間違った実験に基づいてトンデモ説を主張しだした人は、喜んで考えを変える人になってしまう。一方、科学の本流は意外と保守的で、新しい証拠が少し出たくらいだと「現状の枠組みで説明できないかもうちょっと粘ってみるわ」という人など普通に居る。そういう粘り方をすることでより理解が深まることもあるから別にかまわないのだけれど、判定基準の適用をするとエセ科学に分類されそうだ。
○「同僚(同じ分野の研究者)同士で情け容赦のない評価をする⇔同僚同士の評価はなし」
同僚同士の評価が行われていることをどこで確認するのだろう。論文を書くときに共著者が居る場合はおかしなことを言えばそこでまずツッコミが入るし、学会発表や論文投稿でも批判にさらされる。非専門家が科学者の同僚同士の批判を目の当たりにするには、学会の会場で話をきいていなければならなくなる。そして学会の会場に行っても、本当に筋のいい発表だと、質問は出るが批判が出ずに「面白い成果ですね」となったりする。情け容赦のない批判を目撃できるかどうかは運次第である。まあ、研究室内で師匠とガチバトルのことも珍しくはないけど、それが外部の人の目にふれるかというと、ねえ……。
査読のある論文誌の場合は、査読者が容赦なく批判してくれるので、査読有りの論文誌に問題の主張が出ているかどうか、というのは1つのチェックポイントになる。題名と著者名と発表した雑誌と要約くらいはネットで無料で検索できる。しかし科学の成果は大抵英語で発表されるので、どんな用語で検索するかという部分で素人にとっては既にハードルが高い。その上、最近はオープンアクセスジャーナルの質の悪い論文誌まで入りみだれていて、どれが信用できるかは専門家にきかないとわからなかったりする。
○「すべての新発見を考慮に入れる⇔都合の良い発見だけ選ぶ」
全ての新発見を考慮に入れているかどうかを判定するには、何が発見されているかを、全てとはいわないまでも広範囲に知っていなければならない。そうでなければ、相手の主張が、都合のよい発見だけ選んでいるのかどうかわからないだろう。
困ったことに、科学の本流でも過渡期のテーマだと全ての新発見を考慮できる枠組みがまだ無い場合がある。とりあえず説明できるところまでやって後から拡張を考えよう、ということもある。
ということでこの基準も予備知識と内容の理解を要求するものである。
○「批判を歓迎⇔批判を陰謀とみなす」
これは予備知識無しに使えるかもしれない。自分の説が認められないのは権威の○○が邪魔してるからだとか、学会の陰謀だとか御用学者の工作だといった類のことを言い出す人は、エセ科学の側の人と判定して説を却下してもおそらく損はしない。
○「証明可能な結果⇔再現性がない」
予備知識と同事に長いタイムスパンを要求する基準である。生命化学の実験で再現性が無いものがいろいろ見つかって論文撤回騒動になったり、臨床試験がごにょごにょな状態が話題になっている。疫学調査だと、再現性の確認が何年も後になって別グループがやったりする。長い時間が経てば再現性のない結果は捨てられていくのでこの基準は正しい。短い時間で再現性があるかどうかを知るには、即追試をするしかない。そんなことができるのは同じ分野の専門家だけである。素人には使えない基準である。
なお、「水からの伝言」騒動の時、提唱者の江本氏は自著の中で言葉のイメージにあった結晶写真を選んでいると堂々と書いていたのに再現性のある実験だと勘違いした人が続出したのだから、再現性の判断を大勢が正しくするということは望み薄である。
○「限定された有用性を主張⇔幅広い有用性を主張」
これも予備知識無しに使える。健康食品系のエセ科学はこれをチェックするだけで相当却下できる。
○「正確な測定⇔おおよその測定」
測定が正確かどうかを判断するには、正確な測定がどういうものかを知ってなければならない。どれかの分野で測定の経験を積んだ人でないと判断が難しいだろう。素人向けではない。
理科教育では演示実験という自然を理解するための実験をする。大抵の人が経験する実験だが、これは教育目的の実験で、精度をそんなに気にしなくてもわりとはっきり結果が出るように作られている。演示実験は未知のことがらを確定させる実験とは違う。しかし、大勢の人にとって「学校で習う正統派の実験」とは演示実験のことである。
それなりの時間をかけて科学の知識のある人が科学とエセ科学の観察を積み重ねれば、科学とエセ科学の対比表にいきつくのはわかる。が、対比表をエセ科学の判断基準として誰でも使える手続きに落とし込もうとした途端にハードルが跳ね上がる。ある程度は英語で情報収集ができ、必要とあれば専門家に取材できるジャーナリストになら使いこなせるだろう。ある分野の技術者が隣接分野について調べることになった場合も何とかなるだろう。でも素人向けではない。
もっと簡単にするならこんな感じかなあ。
○理科の教科書の範囲で起きることが禁止されている法則に反する主張(エネルギー保存則に反する、化学反応で元素転換など)は却下。
○効果の具体例が、関連のない数多くのものである場合に却下。
例:糖尿病にもアトピーにもガンにも効く、など。
○提唱者が、誰かの工作や弾圧によって自説が認められないと主張しているなら却下。
○病気になるとか、危険だとか、このままだと大変損をする、といったことをことさら強調する場合は却下。
○うまく見える話はやってくるがうまい話は来ない。
○特許、学会発表、医者や大学教授の名前を出す、有名な施設や研究機関で使われていることを強調していたら却下。
など。
これですり抜けるものはあるだろうし、まともなものを捨てることもたまにはあるだろうけど、テキはわかりやすくするため情報量を落として宣伝していて、細かい科学以外の部分でインパクトを狙って来ることが多いから、むしろそちらに注目して捨てた方が楽かもしれない。
朝日新聞デジタルの高橋氏のエセ科学判断基準についてのコメント。http://t.co/otjHpKsvgb 素人が使うには難しすぎるよねやっぱり。
難しく、悩ましいニセ科学問題。 / “v2log » 情報と知識が足りない時に安全側に振るには?” http://t.co/KKeCAuW1pY
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いきなり、細かいことですが、「100%」って、数字を半角で記号を全角に変換するのは、Windowsだと、案外面倒なんですが、MACだと簡単なんですか。
私がニセ科学と判定する基準のひとつに、価格があります。
チャチな品物に高額な定価が設定されていたり、
逆に「そんな効果があるなら何億円もするだろう」という物が、
数百万円だったりします。
そういう場合は、たいてい、ハズレです。
mimonさん、
怪しい科学の判定基準に、証拠と結論が釣り合わないというのがありますけど(ちょびっとの証拠で科学の歴史を覆す主張をする)、怪しい商品の判定基準として値段と商品の性能が釣り合わないというのがありそうですね。
apjさんへ、そうですね。「タマタマ」を証拠に、九分九厘以上、確かな事を覆そうとする、大胆な人は、あとをたちません。
私は、民間企業に勤めていますから、「価格の妥当性」とか、わりと鼻が効くんです。