典型的なニセ科学の言い分
朝日新聞DIGITALより。
STAP論文「撤回すべきだと思わない」 米教授が反論
ワシントン=小林哲2014年4月2日10時21分STAP細胞の論文を不正と認定した理化学研究所の調査結果を受け、主要著者の1人、米ハーバード大のチャールズ・バカンティ教授は1日、「(STAP細胞の)発見全体を否定するような決定的な証拠がない限り、撤回すべきだとは思わない」などとする声明を出し、改めて論文の撤回を否定した。
バカンティ教授は米留学時代に指導した、理研発生・再生科学総合研究センター小保方(おぼかた)晴子ユニットリーダーの不正を認定した調査結果について、「論文作成において過ちと判断ミスがあったとしているが、科学的な内容や結論に影響するものとは思えない」と反論。「過ちを正すのは不可欠だ」としつつも、STAP細胞の存在自体を否定する決定的な証拠がない以上、論文撤回に応じるべきではないとの考えを示した。
さらに、研究室のホームページで公開したSTAP細胞の詳細な作製法に従って、香港中文大のチームがSTAP細胞とみられる多能性幹細胞の培養に成功した可能性があるとし、「時間がたてばおのずから真実は明らかになる」などとしている。
一方、論文を掲載した英科学誌ネイチャーの広報担当者は1日、同誌ウェブサイトのニュース欄で「理研の調査結果も考慮したうえで独自の評価を進めており、現段階で論文の訂正や撤回についてはコメントできない」とする談話を発表した。(ワシントン=小林哲)
大事なところを青色で強調した。
STAP細胞存在の証拠が改竄されたものであり、小保方さんの実験データの管理が極端に杜撰であったこともわかった以上、STAP細胞の存在を示した実験そのものが疑わしく、サイエンスとしては論文提出前の振り出しに戻った状態である。
自分で新規な説を言いだしておいて、十分な証拠を示せないのに、(誰かが)否定するまで撤回しない、というのは、典型的なニセ科学の主張である。自然科学での立証責任は新規な説を提唱する側が全面的に負うのがルールである。ヴァカンティ教授がこのような考え方でこれまでも研究に取り組んでいたのなら、こんなスーパーバイザーのところに学生を派遣するのは教育上大きなマイナスでしかない。
Filed under: 科学
もし、追試の結果、再現された結果がウジャウジャ出できたら、ノーベル賞間違いなしなんですが、現時点では、あまり期待しないようにします。
Lee教授がやってみて、理研のもハーバードのもダメなんでこれ以上は無駄、って結論出したみたいですね。
バカ教授・・・ハーバードってこんななの?(笑)
世間の言い分で、「実験やってSTAPが出来たらどうすんだよ」みたいなのがあるけれど、その時点で初めて「良かったねぇ」と言えるだけの事で、もしも結果が正しくても、論文として杜撰なものは、それ以上でも以下でもないですね。
こんにちは、mimon24さん。
>もし、追試の結果、再現された結果がウジャウジャ出できたら、ノーベル賞間違いなしなんですが
変な話ですが、もし論文に捏造もなく、追試が成功したとしてもノーベル賞は無理じゃないかと思います。
なんていうか、実は2010年くらいに、山中遺伝子の導入ではなく化学物質の作用でiPS細胞の様なものができるという報告なんかもなされていて、私なんかは「それの発展形?」みたいな感じで最初の発表を聞いたのね。
ノーベル賞というのは、発展形ではなかなかとりにくいのね。山中先生は、「体細胞を初期化できる」ことを示したという意味で非常に根源的な業績といえるのだけど、山中遺伝子が化学物質に代わっても、あるいは酸の刺激に代わっても、あくまで山中先生の業績の発展形と言えるのではないかと思います。
そういうことを考えていると、なんていうか、「マスコミ」というものの恐ろしさを感じますね。例えば化学物質で細胞が初期化されるなんてのはマスコミの一部でしか報道されてないから、多くの人は知らない訳ですね。山中先生が最初に報告した後、iPS細胞の研究がどこまで進んでいるかもあまり報道していない。そんな知識があれば、もしSTAP細胞が実在しても、あくまで、「万能細胞の研究もまた一歩進んだね」レベルで、ノーベル賞には少し遠いとわかるんだけど、マスコミは地道な進歩は報道しないから、なんか突然スゴい発見みたいに報道してしまう感じかな。
技術開発者様、いささかカメで申し訳ありません。
STAP細胞の研究に、そのような連続的背景があったとは、知りませんでした。
まさに、マスコミの思う壺にはまり、独立した「世紀の大発見」だと思っていました。
その後、いろいろ出てくるにつれ、願望というか思い込みのような骨格の上に、実験結果のほうをつじつま合わせして肉付けした感じが見えてきました。
期待はずれは覚悟していましたが、少しくらい、当該分野の進展に貢献していないかとの思いも、捨てかけています。
こんにちは、mimonさん。
>STAP細胞の研究に、そのような連続的背景があったとは、知りませんでした。
研究と言うのは常に積み重なっていくものなんですね。なんていうか、山中遺伝子の発見と言うのは、一つの金字塔だけど、そこで止まっていたら、その発見なんて何の価値もありはしないのですよ。「なぜ山中遺伝子で初期化が起きるのか?」は、その次に続く研究の命題となる訳です。でもって、「山中遺伝子が生産するタンパク質が働いているのかも」とそのタンパク質やそれから派生する物質によって引き起こされる研究が進むわけです。まだ解明できていないのだけど、細胞内に初期化を引き起こす遺伝子群はあるらしいのね。ただ、それがヒストンによって厳重に動き出さないように鍵を掛けられているらしいのです。その鍵にちょっかいを出す化学物質の組み合わせを探っている最中というところね。
なんていうか、再生医療に使うという視点で考えたときに「メカニズムは良くわからないけど初期化した細胞」なんてのを使いたくはないという気がしますよね。「この操作でここの鍵が外れて、この遺伝子群が動いて初期化した」なんてわかっている方がはるかに安心して使えますからね。
>自分で新規な説を言いだしておいて、十分な証拠を示せないのに、(誰かが)否定するまで撤回しない、というのは、典型的なニセ科学の主張である。
先生。 快刀乱麻を断つ、とでも評すべきお言葉です。 ネット上でも諸種の評がありますが、先生の評が一番切れます。 私の専攻は、憲法・行政法ですが、文系でも、実は、そうなのです。 新説を主張される先生方は、公法学会で発表され、「公法研究」上で延々と論文を書かれ、その他学内外誌で論文を書かれます。 その間には、反対説の学者が論争を挑まれますので、反論を書かねばなりませんし、大忙しです。
論争を経て淘汰された学説が「通説」なり「有力説」なりとして基本書に書かれることになりますし、場合によれば、判例として残ることになります。
今回の場合には、法律学で云えば、新説発表時の質疑応答段階で消え失せた学説紛いのもの、と云うことになるのでしょう。 法律学で云えば、反論する価値さえ無いもの、と思われます。