第2章:とにかくやってみないことには.....

 軽部教授は、いろんな会議に出席したりして大変に多忙であり、なかなか研究室で会うことができない。そのため、院生や学生は、直接面倒を見てくれるスタッフと相談しながら研究をすすめることになっていた。私をみてくれる事になったのは民谷助教授(現・北陸先端大教授)であった。ところが民谷助教授の専門は発生工学で、センサーも脳も専門ではない。そこで私は、センサーの作り方を、私が入学した年に卒業して会社に就職した研究生から学ぶことになった。彼は、中島君という埼玉工大からきていた外部研究生だったが、軽部研で卒業研究をし、テクノローグという会社に就職した後も会社から派遣された研究生として仕事をしていた。テクノローグは、微小電流を測定して基盤の評価をするのが専門の会社だったが、その技術を活かして微小電流を測定できる電気化学測定装置を開発し、中島君はその装置を使ってセンサーを作っていろんな測定に応用していた。

 私は、中島君から、針型センサーの製作法を教わり、まずは、in vitroでグルタミン酸濃度に対するセンサー応答の検量線を出すということをしていた。製作方法は、リード線に直径8ミクロンのカーボンファイバーを導電性接着剤でつける。次に、ガラスキャピラリーを引き延ばした中に挿入し、隙間をエポキシ接着剤やシリコンゴムで覆う。先端部分をグラインダーで磨いて、白金メッキし、光架橋性樹脂にグルタミン酸オキシターゼを混ぜた液を付着させ、反応によって固定化するというものだ。白金メッキの歩留まりが悪いので、大量に作っていい物を選ぶ必要があり、感度の高い電極ができるまでひたすら作り続けることになった。

 さて、そこそこいい電極ができたので、酵素をつけて理研に持っていって、理研の研究者の安島さんと一緒に測定をすることになった。安島さんは電気生理を専門としていた。電気生理の実験ベンチに、微小電流測定用のポテンショスタットを置いて測定するのだが、これがなかなかうまく行かない。ポテンショスタットは前任者から引き継いだ自作のものを使っていたのだが、電気生理の実験ベンチに置くと変なノイズが入ったりアンプが発振したりでなかなか動作しない。たまにうまく動作しても、今度はセンサーを設置しているときに先端の酵素膜が壊れたり、白金メッキがはがれて測定できなくなったり、酵素が失活したりと、失敗の連続だった。装置一式をもって理研に通うと結構な荷物になり、私は車の免許を持っていなかったので、測定の日だけは中島君に車を出して貰うことになり、大変お世話になった。そのうち、自作品のポテンショスタットは移動させるとまともに動かないということで、理研にも、テクノローグのポテンショスタットを貸してもらって常設することになった。これではじめて装置側が信頼できるようになり、センサーの具合にだけ集中できるようになった。

 最初の半年は、中島君を失敗にばかりつきあわせることになった。よく親切につき合ってくれたと思う。

 この間、研究報告会の内容は失敗の連続だったので、まともなデータで発表できたことはなかった。「前任者が結果を出してるじゃないか、できるはずだ」と、教授にもスタッフにも言われた。これも励ますつもりだったのだろう。しかし、脳の計測は私にとっては全く未知の実験なので、この目でちゃんと確認するまでは、前任者の結果を信用する気にならなかった。

 実験を始めたころ、理研の安島さんに、「なぜこの研究を?」と訊かれた。私は「実は水の方に興味があったのだが、なぜか脳の研究になってしまった。さっさと測定してこの仕事を片づけて、自分の興味のあるテーマをやりたい」と答えた。まあ、一度は「やります」と言ったことだし、前任者の追試くらいはやってから考えようと思っていた。

 実は、テーマが脳の研究に決まってから1カ月位たったときに、民谷助教授に「脳には興味がありません」と言ったのだが、とりあってもらえなかった。それで、一応納得してもらえるまではやるしかないのだと悟ったのだ。


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