分光測定の目的は2つある。物質のミクロな構造(空間情報)を調べることと、物質中での分子や原子の運動状態(ダイナミクス)を調べることの2つである。
構造を調べる方法の代表的な手法はX線回折である。金属その他の結晶の構造はもちろん、蛋白質などの生体分子の構造も決めることができる。構造がはっきりしない液体やガラスに対しても、2体の分布関数を測定する方法として有効である。液体の分布関数の測定には中性子回折も用いられる。また生体分子については、分子量の小さいものであれば、distance geometry法によりNMR単独で構造決定することも可能になってきた。
ダイナミクスを調べる方法には、光散乱や吸収、NMR、非弾性非干渉姓中性子散乱などがある。
たとえばNMRでは、強磁場環境下でラジオ波によってエネルギーを与えられた試料中の原子の核スピンが、ラジオ波を切ったあとどのようにエネルギーを失っていくかを調べることで、核スピンと周りの環境の相互作用がわかる。この相互作用の情報をもとにして、物質中での原子や分子の運動状態を推定することができる。
ダイナミクスを調べる主な測定方法について、図にまとめると次のようになる。
誘電緩和、つまり物質中の電気双極子(=分極)が関係するのは、インピーダンス測定、マイクロ波分光、TDR、赤外・可視・紫外吸収である。それぞれの測定法がカバーできる周波数は図2.1に示した通りであるが、時代とともに技術が進歩することで、適用可能な領域が拡がってきている。横軸を周波数で目盛ったが、この周波数の逆数が、観測可能な現象の時間スケールにほぼ対応する。時間スケールの長いところでは、粒子の配向が観測でき、時間スケールが短くなるに従って、分子の配向、分子の振動、電子状態の変化が観測できるようになる。すなわち、同じ分極による電磁波の変化を観測していても、観測の時間スケールによって分極の原因となっている現象はそれぞれ異なっている。
少し性質が異なるのが超音波分光と時間分解蛍光偏光法である。超音波分光では、光ではなく力学的な振動を加えて応答を観測することで、音波や超音波の伝搬と吸収を測定し、物質中の分子の運動を推定するものである。時間分解蛍光偏光法は、蛍光を発する分子団を光で励起し、蛍光を発するまでに分子がどれだけ動いたかを蛍光の偏光の変化から推定する。
電気双極子(分極)や核スピンなど、入力(電磁波)と直接相互作用するものをプローブという。何をプローブにしてどういう時間スケールの現象を観測するのか、その結果から何について推定可能なのかを理解してから、投入する測定手法を決める必要がある。
また、図に示した方法は、必ずしも何にでも適用可能というわけではない。導電性の物質の誘電緩和測定は、損失が大きく難しいし、蛍光のある物質はラマン散乱ではうまくとれない。そもそも光が入らないと、動的光散乱もBrillouin散乱もできない。分子の動きを反映するようなところに蛍光を発する原子団がないと時間分解蛍光法は使えない。どれも一長一短ある。
構造情報を得る測定で得られた結果の解釈は、構造決定の精度を問題にするだけでよいので誰にでも理解しやすい。その一方、ダイナミクスの測定は、結果の解釈をするのにモデルを考える必要があり、モデルの決め方に恣意性があるのでなかなかすっきりしない。また、ダイナミクスの議論をするには構造情報がわかっている必要がある。構造を決められないもの(複合材料や生体の組織そのものなど)にダイナミクスを測定する手法を投入するなら、測定対象をブラックボックスとして扱わざるを得ず、大雑把で定性的な議論しかできないだろう。
分子や結晶構造のサイズはX線の波長程度である。このためX線を使うと、回折パターンから構造を求めることができる。その反面、X線は分子の振動や電子分極(紫外領域)よりずっとエネルギーが高いので、分子の運動とエネルギーのやりとりをすることができず、運動に関する情報を得ることができない。
可視光以下の振動数の光を用いた分光では、光の波長が分子や結晶構造に比べてはるかに長いため、測定対象を連続体近似して扱うことになり、測定結果から構造情報は落ちてしまう。そのかわり、分子振動や回転緩和のエネルギーが可視光以下の波長の光のエネルギーと同程度になるので、光の変調の様子から分子の振動や回転に関する情報をとることができる。
従って、光散乱やマイクロ波分光で直接得られるのは、運動に関する情報のみである。
NMRは、構造情報もダイナミクスの情報も得ることができる。構造を決めるときの測定は、同位体ラベルをしてケミカルシフトの全パターンを測定し、そのパターンと矛盾しない構造をdistance geometry法の計算によって決める。一方、ダイナミクスの情報を得るときは、すでに構造が決まっているものとして、分子のある特定の位置にある原子のケミカルシフトのピークにのみ着目し、線幅や緩和時間を測定する。構造を見るときとダイナミクスを見るときの測定はほとんど別物である。
粒子は波としての性質を同時に持つ。中性子回折は、最近の技術の進歩により、物質波としての波長が分子や結晶のサイズと同程度でエネルギーが分子運動と同程度にすることが可能で、運動の情報と空間構造の情報を同時に得ることが可能になってきている。
分光における時間空間相関の扱いは、文献[1]が基本となっている。