電解質を含むような溶液をサンプルセルに入れて200 mVの電圧をかけると、内側と外側の導体間を電流が流れる。そのため反射波形の電圧は200 mVよりも小さくなる。このような時には、NaClの水溶液を標準試料に用いる[27]。図(5.4)はその測定例である。
RS1は導電率を持たない蒸留水の反射波形、Rxは未知試料の反射波形、RS2は未知試料と同じ反射波電圧となるように濃度を調整したNaClの反射波形である。またこの図でRS2とRxはほとんど同じに見えているが、差をとると緩和を見ることができ、最初の部分(ベースライン)と最後の部分がほぼ同じ電圧であることがわかる(図5.5)。
この3つの波形を用いて複素誘電率を計算する方法を図5.6に示す。
十分時間がたった後(緩和が終わったあと)でのRS1とRS2(Rxと等しい)の反射波の電圧の比が試料の直流導電率(DC)に比例することが知られている。まずRS1とRS2から試料の直流電導率σを求める。このσを用いて、RS1の測定に用いた標準試料の複素誘電率の虚部を補正する。このとき実部はそのままとする。次にRS2とRxから、(9)式で示されるρを求める。補正した複素誘電率をε*(ω)として使用し、(8)、(9)の計算を行う。なお、再現性よくスペクトルを得るにはNaCl水溶液の濃度を正確に調整し、差のスペクトルの最後の部分がベースラインと一致するようにしなければならない。このときNaCl水溶液の電導率が試料の電導率より大きくならないように注意する。補正が毎回同じ程度に行われないと、誘電率の虚部の低周波領域のデータの再現性が悪くなる。
DC成分が著しく大きくなければこの方法で補正して測定することができる。しかし、DC成分が大きなりサンプルセルのインピーダンスが50 Ωより小さくなると、反射波形は200 mVより下に出るようになり測定できない。また反射波形が200 mVより上に出ていても、印加した電圧はDCのために電圧降下を起こすので実際に試料中の双極子にかかる電場は小さなものとなり、測定感度は悪くなる。どの程度の塩濃度まで測定できるかは、使用するサンプルセルにより異なる。サンプルに接している電極面積が小さいほど電流が流れにくいので小さなセルを用いると塩濃度の高い試料も測定できる。
この補正方法は非常に便利であるが、すべての試料でうまくいくわけではない。その例を図5.7に示す。DC成分を持つ試料の反射波からNaCl溶液の反射波を差し引いたものである。
図5.7のAで示したところでほぼ緩和が終わり、その後わずかに増加している(B)。このような波形を用いて(8)の計算をすると、誘電率のスペクトルはあたかも共鳴のような形となる。典型的な緩和の実部は、図5.8のように吸収のある所でなめらかに減少し、その後は変化しない。共鳴の場合は現象する前に一旦増加する。
DCの補正としてNaCl溶液を用いる際には、試料のDC成分の時間変化とNaCl溶液のDC成分の時間変化を同じと仮定している。この2つが常に同じである保証はどこにもない。DCの原因はサンプルセルと試料溶液の間の電子移動によっている。一般に、金属の電極を用いてイオンの含まれた溶液にステップ電圧を印加すると電流はある時定数で定常値になるが、溶液の粘性や含まれているイオンの種類によって定常値に達するまでの振る舞いが異なっている。電流の時間変化の差は、TDRでは反射波が平坦になるまでの時間変化の差として見える。従って、時定数が異なるDC成分を互いに差し引くと、電流が定常に達するまでの間は誘電緩和が終わっていても信号は平坦にならない。図5.8では共鳴が起きているわけではない。